ブラック・ワールド 今日の出来事

2015年01月23日

サイト更新

昨年発表したものを加えて、業績一覧を更新しました。

2015年01月20日

お知らせ

下にも記していますが、ファーガソンでの黒人少年殺害、ニューヨークでの黒人絞殺などの時事的な問題について、このところはフェイスブックにて発言をしております。というのも、関連記事へのリンクが容易でわかりやすいからです。


それでもこちらのブログも、ほんとうに再開させることを真剣に考えないといけません。そこで新たな試みをすることにします。黒人研究にあたって話題の書籍について、その読後感想を、自分の研究ノートもかねて、ここに少しずつ記すことにします。

今回はその第一回で、ウィリアム・ジュリアス・ウィルソンのもとで学んだ社会学者による、シカゴのサウスサイドにエスノグラフィ。Mary Pattillo, Black Picket Fences: Privilege and Peril among the Black Middle Class (Chicago: University of Chicago Press, 1999)

同種のエスノグラフィには、同じくシカゴ社会学のスディール・アラディヴェンカテッシュによる『アメリカの地下経済―ギャング・聖職者・警察官が活躍する非合法の世界』があり、邦語訳も慣行され、日本においても知っている人は多いはずである。ここで紹介するパティーロの研究は、黒人の貧困層の「逸脱行為」に焦点を当てる研究が多いことを批判的に捉え、むしろミドルクラスがいかなる社会経済的環境に住み、どのような規範をもっているのかの解明に焦点をあてたところに特徴がある。その内容は以下の通り、


【梗概】
・社会学・政治学の研究は、わけても1980年代以後、貧困層にもっぱら焦点を当ててきた。その結果、黒人ミドルクラスはかつてのゲトーから「脱出した者たち」という簡単な規定を受けるに留まり、その内実の研究は疎かにされてきた。しかし、黒人ミドルクラスの研究は重要である。
・黒人ミドルクラスの経験は、白人のそれとは質的に異なる。黒人ミドルクラスは、実態としての住宅地の人種隔離が存在しているために、貧困層と近接して住む傾向がある。1970年代以後のアメリカ経済の低成長は、それまで続いてきたミドルクラスの増加に終止符を打った。この情況が隔離された生活圏と重なったとき、黒人ミドルクラスは、白人とは異なり、強い下方圧力を経験することになった。たとえば、黒人の場合、ミドルクラス家庭出身であろうと貧困家庭出身であろうと、同じ公立学校に通う傾向がある。同じミドルクラスでも白人の場合、白人貧困層とは居住地が異なるために、このような事態は生じてはいない。
・したがって、アメリカ経済のリセッションに対する黒人の対処法は、白人のそれとは異なることになる。それは、拡大家族のネットワークを活用するという柔軟な対応策を採る場合もあれば、ギャング活動やドラッグ売買といった犯罪性の強い対応策へ向かうケースもある。
・黒人青少年は、白人とはまったく異なり、ギャング活動に対する直接の経験と知識を持っている。黒人ミドルクラス家庭は、子供たちをそのような活動から遠ざけようとはするのだが、しばしばそれは成功していない。
・しかし、同書がリサーチ対象に選んだコミュニティでは、ギャングの存在は地域の治安維持に貢献するといった肯定的な側面も持っている。また、顔を向き合わせた親密な関係がまだ特徴的であるこのようなコミュニティにおいて、ギャングはしばしば親しい「横丁の少年」でもあり、年長の住民たちのギャングに対する勘定はアンビヴァレントなものにならざるを得ない。

【感想】
同書におけるギャング活動やヒップホップ文化に関する記述は、黒人の犯罪性というステレオタイプを強化しかねない。犯罪行動は社会経済的な混乱や苦境へのクリエイティヴな対応であるということ、これは社会科学においては通説であろう。ところがしかし、それが一般社会の「常識」にフィットした感覚かというと、そうではないはずだ。ここで述べられている現象が事実だとすると、それをどのように記述するのかこそが大きな問題であろう。

2014年12月07日

ミズーリ州ファーガソン、ならびにNYPDの件について

上記の件、リンクを貼るのが容易だということで、かなりの数のコメントをすでにfacebookの方で行っています。こちらと同時に掲載できれば良いのですが、なかなか時間の都合でそれができていません。よろしければfacebookのわたしのページへどうぞ。

2014年08月19日

ミズーリ州ファーガソンについて(1)

このサイトは2000年大統領選挙で起きたことを伝えるために始めました。ずいぶんと休んでいましたが、活発に発言を再開するべきときが来たと感じています。そこで、久しぶりに日本のニュースも賑わしているミズーリ州ファーガソンでの件について。英語で書いた文章をfacebookの方にアップしましたので、こちらにも再掲します。

newyork2014_detroit1942.png

Left: NYPD officers chalk-killing an unarmed African American (2014)
Right: Detroit police officers brutalizing an African American protester (1942) in front of a public housing project.

You can add Rodney King beating in 1991 in LA.

Scenes are so similar, but. . . .

Pundits say that a racial disturbance will lead to conservative backlash, but is it really so?

1943 Sojourner Truth riot in Detroit precipitated coalition building between civic liberals, white unionists, and civil rights activists. This coalition served as a backbone of the Civil Rights Movement. Racial disturbance does not always lead to backlash but sometimes help organize liberal coalitions.

Look closely at diverse crowds protesting killings of unarmed African American males on the TV screen right now. The videos are, more often than not, HD with FULL COLOR. These are not black and white. Then, we can build a coalition which will crush current political stalemate in Washington.

ファーガソンの件については、facebookにおいても発言しています。

2014年07月19日

ウェブとブログを再開すると言いながら、それを実行してきていないので、あんまり信用ならないかもしれませんが、これから少しずつここでの発言を増やしていけたらと思っています。

最新のアップデートでは、2013年から今までの業績を更新し、今年2月に立教大学で行われたシンポジウムでの報告のレジュメをアップしました。

長いあいだ休んでいると、このように、これまでの話のトーンを維持していいものか、つまり話のモードの選択に当惑します。

幸い、いま、久しぶりに依頼原稿の類いが途絶え、本来の自分の仕事に専念できる時間ができたところです。下で目立つのは、2008年大統領選挙の興奮。その調子を維持できないのは明らかです。では、どうすべきか、どうすればいいのか、ここでの発言を再開することで、徐々にその立ち位置を決めていければといまは考えています。

追伸:レンタルサーバーの移転にともないオープンソース系のウェブソフトの移転・設置に戸惑いました。本来ならわたしが責任をもたなくてはいけない技術的な問題ですが、近年のIT技術の進歩はめざましく、とてもかつてのような「内職」では追いつくことができずに、困っていたところです。レンタルサーバー会社のサポート関係者のみなさまにはご迷惑をおかけしましたが、こうやって何とか記事を載せることができるようになりました。どうもありがとうございます。

2014年07月15日

Japanese Journal of American Studiesで拙稿を発表しました。

Japanese Journal of American Studiesに拙稿を発表しました。1983年シカゴ市長選挙をめぐる考察です。詳細はこちら

2014年07月09日

ウェブサイト更新

2014年のこれまでの業績をアップデートしました

2011年09月13日

あれから10年…

昨日、「あの日から10年」関連のテレビ特集をみていてつくづく思った。

アメリカは確かに変わった、と私も思う。ところが、報道のトーンは、テロ直後の変化から、この10年間まるで何も変わっていなかったかのよう…

08年にもう一度変わった「はず」でした。しかし、「チェンジ」をもたらすはずだった、その期待を一身に集めた人は、相変わらず"[We are] E Pluribus unum, out of many, we are one"の「マントラ」を繰り返すばかり。正直、だんだんうんざりしてきた。

彼の当選は、経済環境が極めて悪いときに起きたと言う意味で、そして保守派の組織的「巻き返し」がその後隆盛を迎えたという意味で、73年のデトロイト市長選のコールマン・ヤングや、93年のニューヨーク市長選でのデイヴィッド・ディンキンズの当選とタイミングが良く似ている。しかし、否、だからこそ、もっと何かできただろう、と思う今日この頃。

2011年07月10日

黒人人口の変化(その1)——シカゴの黒人人口の「流出」が続く

先週7月3日の日曜日、拙訳の書評が朝日新聞に掲載されました。径書房でのお仕事は、わたしがまだ修士1年以来、実に16年ぶりになります。そのときは、マルコムXのアフォリズム集『マルコムXワールド』で、黒人史年表を書くという仕事でした(物を書くことで初めて収入を得たわたしにとっては一生忘れられないお仕事で、映画公開に併せた最後の追い込みは、やっていてとても楽しいお仕事でした)。同書を監修され、私を起用して下さったアメリカ文学者の佐藤良明先生も、ご自身のブログで批評とともに紹介してくださっているので、これらの内容について、いずれここで、まとめて語りたいと思います。

さて、今日は、かつてのこのブログの調子に戻ろうと思います(と、いうので文体変更)

この春頃からアメリカの新聞では黒人人口の北部都市離れが数多く報じられている。2010年国勢調査(センサス)の数値に基づいて政策が策定される時期に入ったのがその原因であるが、このような報道のなかには大都市が連邦政府から受けている助成金が大幅削減される水準にまで人口が落ち込んだデトロイトのケースなど、かなりショッキングな数値も多い。

南北戦争勃発以後、一貫して南部から北部へ、農村から都市へと動いていたアフリカン・アメリカンの人口は、1990年のセンサスで初めて「南部への回帰」とも思われる徴候が現れた。それから20年、黒人の人口動勢は、どうやらはっきりと北部から南部へ、都市中央部から郊外へと向きを変えたようだ。これはまさに「歴史的」と形容できる変化である。

このなかで、紹介したいのは、7月1日にAP通信が報じたニューヨークに関する記事と、7月2日に『ニューヨーク・タイムズ』が報じたシカゴに関する記事Black Chicagoans Fuel Growth of South Suburbsである。ここには、かつてさまざまなメディアに溢れたアメリカの都市の地景——たとえば、スパイク・リーの映画に出てくる混乱していても活気溢れるブラック・コミュニティであったり、「24時間犯罪現場密着追跡」のようなタイトルののぞき見主義丸出しのテレビの特番に描かれる黒人ゲトー——が急速に過去のものになっていっていることが現れている。

今回は、この二つのなかでも、より大きな動勢について書かれている『ニューヨーク・タイムズ』の記事について述べてみたい。

ファンクバンドのパーラメントは、1975年に、Chocolate Cityというタイトルのアルバムを発表した。このタイトル曲、Chocolate Cityは、アメリカの都市——わけてもこのアルバムにおいてはワシントンD・C——の有り様を、「チョコレート色の街とバニラ色の郊外」と表現し、チョコレート・シティで花開くファンク・ディスコ文化を賛美した。この色彩豊かな表現は、実のところ、アメリカの都市がデファクトの人種隔離状態にあったということを物語っていた。チョコレート色とは黒人の肌の色、バニラ色とは白人の肌の色を指す。

アメリカの都市、わけても北部・中西部の住宅の人種隔離に関する研究は多い(そのなかの優れた研究のいくつかは日本語の翻訳も出ている)。わけてもシカゴは、都市と黒人文化、そして黒人の社会政治運動に関心をもつ人びとの主な焦点になってきた。わたしがそこに住んでいた1990年代半ばも、おそらくその基本的構図は変わっていなかったと思う。たとえば、ループ地区の中心にあるデパート、メイシーズ(当時はマーシャル・フィールズ)の前にあるバス停に夕刻に立ち、バスに乗り込む人を見れば、それはよくわかった。北や北西に向かうバスに乗るのはほとんどがコーケージャン、対して南や西に向かうバスに乗るのはほとんどがアフリカ系だった。当時のわたしはサウスサイドの59丁目に住んでいたのだが、夜11時を過ぎると、南に向かって走ってくれるタクシーを捕まえるのに苦労したことも多い。学部学生当時にバンドを一緒にやっていた友人が遊びに来てくれたので、バディ・ガイが経営しているブルーズ小屋(Checker Board Lounge--当時はハイド・パークではなく、サウスサイドのど真ん中にあった)に行こうとして何台もタクシーに乗ったが、最終的に連れて行ってくれる運転手にめぐり遭うまでとても長い時間がかかり、さらにはそのブルーズ小屋から帰るのに電話で読んだタクシーを3時間(!)も待たなくてはならなかった。しかし、どうやらその構図に大きなとは言えなくとも、意義深い変化が現れているようだ。

シカゴ市の人口は、2000年から2010年までのあいだに、約20万人減少した。この減少した人口のうち、18万1千人が黒人である。この10年間のあいだに同市の黒人人口は、比率にして17%も減少したのだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道によると、この人口流出を促した要因は二つ。ひとつは、日本でも予測できることではあるが、サブプライム住宅市場のクラッシュに伴う抵当物件差し押さえの増加。つまり、単純に言って、不況のため都市に住めなくなったという要因。そしていまひとつが、日本的環境ではまったく馴染みのないこと、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き(ちなみに、これはこの記事では触れられていないが、シカゴの2016年オリンピック立候補は、めずらしくループ北側の高級住宅地ゴールドコーストに隣接した地区に建設されていたカブリニ・グリーン・ホームズという「悪名高い」公共住宅を取り壊すことで可能になっていた)。低所得者という経済的階層は、この都市のなかにあっては、かなりの確率でアフリカ系を意味する。

この記事で描かれている図式は簡単に言うとこうなる。差し押さえ物件の増加と、それの低迷する住宅市場での売り出し(つまり住人のいない物件の増加)が、都市中央部(インナー・シティ)にあった中上流層向けの住宅地——2000年代初頭の住宅バブルのときに開発されていた——の魅力を乏しいものに変えた。これと同時に進行した公共住宅の取り壊しは、インナー・シティの「マイノリティが住む低所得者住宅地」にさらなる低所得者を「流入」させることになった。そこで生じたのが、マイノリティの中間層の郊外への「脱出」である。

シカゴ郊外のマッテソン Mattesonの街に、サウスサイド96丁目から引っ越してきたある人物は、こう語っている。「シカゴの市内には中間なんていうものはありません。デイレー[前]市長の政策は、ずっと噂されていたこと、つまり中間層の浸蝕政策というのがほんとうの姿だったのです。リッチになるか、プアになるか、そのいずれかだったのです」。

このようなアメリカ社会の実態は、ベストセラー『貧困大国アメリカ』でも詳述されていることであり、経済格差の拡大といったテーマ自体、今日となっては何の新規さもないものである。しかし、ここでこの記事をほんの少し詳しく見れば、ブラック・アメリカに生じていることの深層が垣間見ることができる。ほんの少し詳しくみよう、マッテソンの位置から。

イリノイ州の南、もしくはインディアナ州の側からシカゴに接近して行くと、シカゴ都市圏に入ったと思う特定の地点がある。それは、おそらく東西に走るI-80かI-94を越えて北に進んだときだ。これを越えると東西に伸びる通りの名前も急にシカゴ市中心部から続く連番が増えてくるし、ハイウェイも有料のものが現れてくる。道の両端が壁で仕切られ、場所によっては高架道になるなど、はっきりと都市に入ったとわかるようになる。しかし、マッテソンは、これより南に位置する。市民活動家だったバラク・オバマがその活動の拠点としていたアルゲルト・ガーデンズは、このマッテソンより北側、シカゴ市中心部とのほぼ中間あたり。つまり、ここは、郊外suburbというよりも、exurbや”outburb”というところに位置する。そのようなところで、黒人人口の増加率は85%に達し、19,000人の総人口のうち15,000人が黒人になった。他方、白人の人口は、4,000人から2,800人に減少しているのである。

この記事のなかで興味深いのが、移ってきた住民が、その理由に都市の荒廃をあげているところ。

ブラック・アメリカの歴史的経験を捨象して考えるならば、荒廃した居住環境を去るということに殊更不思議な点はない。しかしながら、郊外への居住が人種的偏見の壁に阻まれ、黒人がインナー・シティのゲトーに住まざるを得ないとき、彼ら彼女らにとって政治社会的に現実的な戦略は、都市の政治的権力を握ることだった。その戦略にしたがって大衆を動員するには、人種的アイデンティティを強める「ブラック・コンシャスネス」はきわめて重要だった。しかし、いまや都市の政治を握ることよりも、その地を去ることをインナー・シティの住民は選ぶことができ、現実にも選び始めたのである。

1987年、シカゴ最初の黒人市長、ハロルド・ワシントンが在職中に死去して以後、黒人がこの市の市長に当選したことはない。現職のリチャード・デイレーが出馬しなかった2011年2月の市長選では、黒人候補の当選が予測され期待されたが、「黒人の統一候補」を擁立するための話し合いも難航するなか、白人のラーム・エマニュエルが市長に当選した。この市にあって、ひとつの政治運動を形成できるほど強力な人種的紐帯は、もはや存在していない。

シカゴのこのような情況はおそらく全米の都市各地で起きていることだろう。そう考えてくると、2008年の大統領選挙で、オバマが黒人の96%もの支持を集めたという現象の方がむしろ奇異なものに思える。2012年、彼がここまで強く黒人有権者から支持される可能性は、それほど高くはない。

いささか古い言葉だが、スチュアート・ホールが〈人種〉について定義したつぎの言葉が響いてくる。

Race is a modality in which class is lived.

2011年06月21日

ずらずらと思ったことを書いてみる

ずらずらと思ったことを書いてみる…

ついこのほど、共和党大統領候補のテレビ討論会が開催された。また大統領選挙の「シーズン」が到来する。

思えば、このウェブサイトは、2000年大統領選挙でのフロリダの緊急事態、元学生非暴力調整委員会の幹部、H・ラップ・ブラウンの奇妙な逮捕など、「何かを言わねば!」と思った事件が相継いだことをきっかけに始めてみた。些細なことではあるが、初代iMacにバンドルされていたAdobeのHTMLエディタによって、それほど詳しいHTMLの知識がなくても、人に見てもらっても支障のないサイトが作られるようになったのも大きい。それでも、当時は、プレADSLの時代であって、やっと価格が手頃になったISDNの、いまから考えるととても遅い回線をつかってサイトのアップロードをしたように覚えている。おかげさまで、あれから22年、その間には研究者のためのサイト制作ガイドブックのようなものにもとりあげてもらったり、ふと気づけば、このサイトの訪問者も6万7000人を超えた。最初の頃はCGIの知識がなく、カウンタをつけていなかったし、Cookieの設定などを考えると、10万人は超えているはずだ

いまでは、もはやわれわれは、何らかの意見を発するのに、携帯があれば十分、パソコンすら必要なくなってきている。ついこのあいだ見つけたのだが、ミシガン州デトロイト市郊外から、まあとても熱心にオバマの誹謗中傷とへんてこりんで奇々怪々な自称「リバタリアン思想」を、日本で運営されているブログに書き連ねている方もいらっしゃるくらいだ。

それはそれで、いまの「言論の世界」がある意味健全であることを示す。このようなときに必要とされているのは、説得力のある反論にほかならない。

そのようななか、このサイトのブログコーナーの更新がなかなか進まなかったのは、おそらくわたしが多忙を極めたこと原因ではない。自分のエントリーを振り返ってみて、おそろしく忙しかったときにでも、更新はかなり頻繁に行っていた。

自分で認めるのも恥ずかしいことだが、おそらく「燃え尽きた」ところがあったと思う。オバマ当選の多幸感のなかで。そして、そうこうするうちに、政治イデオロギーの相対的布置関係がさらにまた大きく変化してしまい、それについて「註釈」を加えるのが、いくぶんか面倒にすらなってしまったのである。

面倒になってしまったのは、オバマのアポロジーをしなくてはならない、そんな感情を抱かなくても良いのに抱いてしまったからかも知れない。ところが、最近、そのような力みからが徐々にわたしを放してくれ始めた。逆に、ここははっきりと批判をしなくてはならない、という感慨が逆に強くなってきた。


思えば、最初の「おや?」という幻滅感はすでに政権発足後の早い時期に感じていた。それは、ハーヴァード大学で教鞭をとる思想家・批評家で黒人のヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアが自宅で逮捕されたときのことだった。レイシャル・プロファイリングどころか、露骨な人種偏見の発現にほかならないこの事件に際し、オバマは、ケンブリッジの警官を「バカたれ」stupidと切り捨てた。ところが、翌日にはその発言を撤回し、警官とルイス・ゲイツとの「ビール・サミット」をホワイトハウスで開催することを提案、自ら仲介者を買って出た。なぜ自宅にいた黒人を逮捕した警官がホワイトハウスに招かれるのか、わたしにはさっぱりわからなかったし、わたしのアメリカ人の知己ですら、この行動に疑問を呈するものは多かった(なお、その「知己」のほとんどが白人である、念のため断っておく)。

強く思う。「バカたれ」発言は撤回するべきではなかったし、警官は処罰するべきだった。なのに、彼は何かに怯えたような決断と行動をとってしまったのである。

あとはズルズルと後退。そのズルズル、いくつか今後の記録のために、深く失望に引き込んでいたのだけでも、思い出しながら列挙してみようか。

・グアンタナモ収容所の閉鎖の中止
・ブッシュ減税の見直しの中止
・キューバ外交の見直しの中止
・リビアへに参加しつつ、そのほかの中東の民主革命は傍観
・パキスタンという主権国家で行った実に大胆な行動、ビン=ラディンの処刑

要は、キャンペーンで語ったことをやっていない、ということになるだろうか。しかし、基本的なところで政策的現実性を欠いていたどこかの党の「マニフェスト違反」とは異なり、オバマは財源に苦慮しているのではないように思える。

キャンペーンが終わるとともに霧消してしまった熱気溢れる世論の不在に直面し、とにもかくにも世論の行方のみ、わかても「オバマ・ケア」の審議中に吹きだした人種主義的言辞を破廉恥にも弄する世論の動向に最大の関心を払っているように思えてならない。


勇気が必要なときに勇気を欠く。Audacity of Hopeというのは、オバマの著書の名前だが、彼自身がこれを欠いていては、いったん冷めた世論はさらに冷める。

デトロイトの草の根市民活動家にグレイス・リー・ボッグスさんという方がいる。マルクスの『経哲草稿』の英語翻訳を全米で初めて手がけた哲学者である彼女の運動の経歴は長く、それは1930年代のニューディール左翼の活動まで遡る。そのボッグスさんは、2008年の大統領選挙期間中にこんなことを言っていた ── オバマの政策に同意するから彼を支持するのではない、政策だけを考えるとベターな候補はほかにもいる、彼を支持するのは、彼がactive citizenryという概念を賦活しているからだ。

また、ハワード・ジンは、亡くなる少し前にこんなことを言っていた ── 新しいリベラル政権の行方は、その政権を左に押せる世論の形成にかかっている、ニューディール政策や公民権立法はそのような世論があるからこそ果たせたのだ

オバマがリベラルを見棄てたのか、それとも、移り気なリベラルな若者たちがオバマに飽きたのか、いずれにせよ、このままでは彼の大統領在職期間は4年で終わる。それもまたそれで良いだろう。問題はそこから何を「学ぶ」か、だ。

さて、ブラック・アメリカの社会や政治を見つめてきておよそ20年が経つが、それにしても最近、とても気になることがある。というのは、人種問題が新聞で報道されることが近年とても少なくなってしまった。わたしは、どうやら最近はこれがオバマ当選の「副作用」だと思えて仕方がない。アメリカの政治もこの12年でずいぶんと変わった。

まあ、熱気は冷めたままでも地道にその微妙な機微を伝えていくことにするか…

『ストークリー・カーマイケル自伝』

それなりに面白いところはあったが、なかなか読み進むことができなかった。700頁の自伝、読み終わるまで結局3年費やす。

60年代後半のSNCCの内紛等、肝心なところにほとんど言及なし。この『自伝』で語られていることは、すでに他のところで語られていた。

2011年05月09日

静かにお知らせ

今年になって、論文を1本、翻訳を1冊公刊しました。

ずいぶんとブログの更新ができず、「復活」と言っては休んでいましたので、今回は控えめにブログの再開をお知らせします。

2010年06月03日

サイト更新

以下のページを更新しました。

http://www.fujinaga.org/sitemap/index.htm
http://www.fujinaga.org/japanese/works/index.htm

2010年04月05日

オバマと黒人教会 ── Rev. Jeremiah Wright's Smile

ちょうどいまから2年前、大統領選挙予備選が行われていた頃、フォックステレビが、「反米的思想」を吹聴しているとして、オバマが通っている教会、トリニティ教会Trinitity United Church of Christの牧師を非難、猛烈なネガティヴ・キャンペーンを行ったことがあった。問題となった牧師、ジェレマイア・ライトは、ネットやフォックスニュースの画面を通じて頻繁にながされたビデオのなかで、黒人は「神よアメリカを祝福し給え」God Bless Americaと言うことはできない、「神よアメリカを呪い給え」God Damn Americaと言うべきである、といったことを教会の演壇から説いていた。

これは何も「反米的」と形容できるものではない。むしろ、アメリカ黒人の歴史のなかでは、黒人の苦境を映し絵にアメリカを断じることは至極一般に行われていることであり、近しいところでは、その論調はマーティン・ルーサー・キングやマルコムXの双方が用いたことがある。

いわばこのような誹謗中傷を受けて、当時ヒラリー・クリントンと熾烈な予備選の最中にあったオバマは、フィラデルフィアで"A More Perfect Union"と題する演説を行った(右上のYouTube動画を参照)。この演説は、多くのアメリカ史・黒人史家が、アメリカ政治の歴史のなかでもっとも人種を率直に論じた、名演説中の名演説と評価するものである。わたしも、彼の演説のなかでは、この演説こそ最高のものだと評価するし、何度聞いても魂が洗われる感覚を受ける。

「ブラック・コミュニティはわたしと絶縁することはできません、ならばわたしだってブラック・コミュニティと絶交することなどできないのです。わたしが(白人の)祖母と絶縁できないならば、わたしはライト牧師と絶交することもできないのです」と彼が言い放ったとき、このキャンペーンの流れが大きく変わった。それまで、アメリカ黒人ではなくアフリカ人を父に持つオバマのことを、「黒人の経験を知らない人物、ほんとうは黒人ではない人物」と批判していた論調が去り、クリントンを支持していた老獪な黒人政治家ですら彼の支持へと傾いていったのだ。つまり、ネガティヴ・キャンペーンは、オバマに人格の高潔さを示す機会を与えてしまい、意図した効果とは逆の結果になってしまったのである。

しかしながら、ジェレマイア・ライトが、911テロを賞賛していると捉えかねない扇情的な発言を繰り返すにしたがってオバマの政治生命も危機となり、関係を見直さざるを得ず、結局両者は絶縁するに至る。そのとき、NAACPデトロイト支部の会合で、ライトはこう言っていた。

「オバマのほんとうの色true colorは、彼がホワイト・ハウスの主になった後、どこの教会に行くことになるか、それを見ればわかる」。

アメリカ合衆国は、近代思想の産物であるとともに、きわめて宗教的な国でもある。そのような国にあって、大統領が無信教であることは許されない。

しかしながら、その一方、アメリカの教会は、人種統合されているとは言い難い状態にある。その状況を端的に言い表しているのが、「日曜午前11時(つまり、教会で礼拝が行われている時分)はアメリカがもっとも人種隔離されている時間」という表現であろう。つまり、同じキリスト教であっても、黒人は黒人だけで、白人は白人だけで集うのが、事の善し悪しは別として、慣例となっているのだ。

つまり、ライトは、この状況を鋭くつき、オバマの「忠誠心」は黒人教会にあると、挑撥的に言い切っていたのだ。

さて、イースターの日曜日を迎えた4月4日(ちなみに、この日はマーティン・ルーサー・キングが暗殺された日でもある)、オバマは、ワシントンD・Cの黒人ゲトーである、南東部第9区にある黒人教会を訪問した。第9区での失業率は28.5%、貧困率は40%に達する。『ワシントン・ポスト』は、オバマがワシントンD・Cのブラック・コミュニティとが最接近した事例として、この模様を報じている。

ここのところ全米のメディアでは、オバマと黒人運動家との確執を報じる記事が多く見られる。ところが、元来彼は、ワシントンD・C第9区と大して変わらないところ、シカゴのサウスサイドで活動していたコミュニティ運動家だった。つまり、彼にとって、このようなコミュニティが抱える問題は、何も目新しいものではないし、また直接的関係性が薄いものでもないのだ。

オバマがこの日訪れた教会の牧師は、激しく体を揺り動かしシャウトをする、いわゆるリヴァイヴァル調の会衆について、「大統領御一行のみなさま、どうももうしわけありません、しかしわたしたちはこのようにここではクレイジーでいたいのです、髪を乱し、靴を放り投げている光景を見ることになるかもしれません、しかし、それがわたしたちが主を讃えるやり方なのです」と言ったという。この出来事を報じる『ワシントン・ポスト』は、それをこう表現した。「オバマがトリニティ教会のメンバーだったときに参加していた激烈な礼拝」である。

さて、ジェレマイア・ライトがこの記事を読んだら、何を思うだろう。わたしはきっと微笑んでいると思う。

「ブラック・コミュニティはわたしと絶縁することはできません、ならばわたしだってブラック・コミュニティと絶交することなどできないのです」。

ワシントンD・C第9区の教会の牧師はこう言っていた。「大統領がこのような苦しい時期にここを訪れてくれているのに、第9区のことが世間から忘れされられているということなどありません」。

わたしもオバマはブラック・コミュニティのことを忘れていないと思う。

問題を人種問題と規定することなく、より普遍的な問題として捉え、人種問題そのものに取り組むこと、オバマの〈人種〉とのそんなダンスは続く…。

2010年02月07日

「多幸感」が過ぎ去って Part 2: On Asylum -- Cuba and Haiti

バラク・オバマは、政権発足直後に、二つの大統領行政命令を発布した。

ひとつは、キューバのグアンタナモ米軍基地にある秘密捕虜収容所(拷問が行われ、人身保護令状の埒外にあるということで国際人権団体が激しく抗議していた施設)を閉鎖すること。そしてもうひとつが、アメリカに親族のいるキューバ人のアメリカへの渡航、またキューバに親族のいるキューバ系アメリカ人にキューバへの渡航を許可し、国交正常化に向けた大きな一歩を踏み出したこと。わけても後者は、キューバを「悪の枢軸」と名指しし、強硬路線をとっていたブッシュ外交からの大きな離脱を示した。

卑俗な表現で気がひけるが、そのときのわたしの心境は「アドレナリンが噴き出してきた」といったところだった。というのも、前年キューバへのアメリカからの渡航を試みて断念した経緯があったからだ。アメリカにとって、キューバは遠い隣国なのである。

ところが「対テロ戦争」がオバマの思う通りに進まず、アフガンには兵が増派される事態。内政は医療保険改革でどんずまり。キューバ政策に関しては前に進んでいる様子がまったく見られなかった。

ところで、キューバからの「難民」に対して、アメリカ政府はきわめて寛容・寛大に「亡命者」としての政治的庇護 politial asylum を賦与するのに対し、ハイチからの「難民」にはそうではない、彼ら彼女らは「不法滞在者」として訴追されるという話はご存じだろうか。

カリブに浮かぶ二つの美しい島、それを統治してきたのは、いわゆる「独裁者」である。ところが、アメリカは、社会主義的独裁者には激しい敵意で立ち向かうのに対し、(開発)資本主義的独裁者(i.e., マルコス元フィリピン大統領、ソモサ元ニカラグア大統領、グエン・バン・チュー元南ベトナム大統領、そしてアメリカに反旗を翻す前のサダム・フセイン、さらにはハイチのデュヴァリエ父子)には極めて寛容だ。政治的庇護権賦与がもつ、政権批判の意味を最大限に活用しようとしているのが、そこには窺える。

ハイチ人は、このイデオロギー上の問題に加えて、アメリカに住み続けることが難しくなっている。なぜならば、ハイチからの夥しい画像がはっきり示しているように、彼ら彼女らはまぎれもなく「黒人」だからである。対し、マイアミなどに行けばすぐにわかるが、アメリカで市民権を得ようとしているキューバ系と言えば、そのほとんどの人の肌の色は「白い」。

いま、そのハイチに対し、アメリカは人道的観点から大規模な救済活動を行っている。その行為はいくら賞賛しても賞賛しきれない。そのことを踏まえてなお且つここで言っておきたい。緊急事態が過ぎ去ったあとのアメリカに求められるのは、政治的な決意である。キューバの扱いもハイチの扱いも、共に「正常」に戻すこと。

オバマ政権、最初のダッシュはすばらしかった。そのときの勢いが戻らないと、正直、2012年、リベラル票が離反するような気がする。

"Saints" Go Marchin' In -- New Orleans Mayoral Election

ニューオーリンズ市長選の第一回目の投票結果が出た。黒人票が公民権運動後では初めて白人候補を支持することになるかもしれないという事前の予測通り、現職副知事で元市長の息子、ムーン・ランドリューが当選。過半数獲得まで投票が繰り返される同市の選挙制度にあって、一回目で66%を獲得する地滑り的勝利になった。

さて、歴史的に言って、南部再建期以後黒人は幾度も白人を支持してきた。なぜならば、都市内部における黒人の比率が高くなるまで、黒人が当選できる可能性は極めて低く、白人に投票でもしなければ彼ら彼女らの声が政治に反映されることなどあり得なかったのである。

その状況を一変させたのが公民権運動と都市人口の変容。

公民権運動は黒人の人種意識を覚醒させ、50年代以後の白人人口の郊外への「逃亡」は、全米諸都市において次から次へと黒人市長が誕生する現象を生みだした。

この間に進行していったのは、実は投票が人種的アイデンティティによって決定されるということ。これが問題なのは、黒人だからと言って、黒人市民を利する政治を行うとは限らないということ。民主政治の根幹のひとつには功利主義がある。人種アイデンティティが選挙を支配したとき、有権者は決して功利主義的には行動しない。

ニューオーリンズは、過去2回にわたってC・レイ・ネイギンを当選させてきた。カトリーナが同市を襲ったとき、テレビの前でブッシュを罵倒して泣き崩れた人物である。巨大な自然災害と無能な連邦政府の板ばさみになった彼には「不運」なところがないこともない。しかし、結果を見ると、政治家としての彼に評点をつけるとすると、C-を下がる。

2008年の大統領選挙、以下に記しているように、わたしが特に注目したのは境界州の白人票の動向。同地の白人は人種を超越してオバマを支持した。2010年、ポスト・カトリーナ2度目の選挙、前回は人種的忠誠心からネイギンを支持していた黒人市民たちが、今度は彼を見棄てた。〈人種〉の呪縛を、とりあえずは振り払ったのである。

そのことを祝おうではないか。明日のもっと大きな祝杯の前に!

2010年02月02日

「多幸感」が過ぎ去って

オバマ政権が誕生して1年余りが過ぎ去った。支持率が低迷しているのは多くのメディアで報じられている通りだし、登場の華々しさのわりには「パッとしない」状態が続いている。

他面、多くの論者は、この政権をどう評価していいのかまだわからないというのが現状だろう。筆者も実はそのような当惑を感じている者の一人であるし、ここで大胆な評価をするのも実際のところ気が引ける。しかしながら、ずっと黙っているのもそれ以上に気が引けることなので、これからしばらく、いくつか思うところを整理したい。

まず手始めに2011年会計年度予算、良い線を行っているのではないか。

この予算の支出の大枠は、こういったものだ。教育とエネルギー政策関係を増額、国防予算はやや抑制気味、雇用創出のための支出大幅増。

対して歳入の方、ここではブッシュが富裕層に対して行った減税措置に幕が下ろされる。もともと2010年に終わるものであったが、「増税」という言葉を、かつての「共産主義」と同様に怖れる公衆を相手に、なかなかできるものではない。

アメリカにおいて、階級と人種は同じ意味ではないものの、複雑な似姿を描く。富裕層というとほとんどが白人なのに対し、失業者というと黒人の比率が人口比に不釣り合いに多い。健康保険改革の問題が頑迷な抵抗にあっているのも、(カーター元大統領が言ったように)それが人種問題と絡んでいるからだ。白人の富裕層は、彼ら彼女らが「だらしない」と見なす、都市の貧困層のために税金を使ったりしたくはないのである。

人種と階級の「綱渡り」。ひとつ歩みを間違えると、一気に下に落ちていく。おそらくオバマ政権が進めている足取りは、そのようなものなのだろう。

2010年01月25日

ブログ再開のあいさつに代えて

ブログは定期的に更新するのが何よりも重要。それはわかっているのですが、またずいぶんと更新を怠ってしまいました。書くネタは多くある、否、多すぎるほどあるのですが、時間が…。

それでもわたしなりのペースで頑張っていきます。再開にあたって、あいさつだけでなく、H-Netのアフロアメリカン・メーリングリストで紹介されたもののなかから、ハイチ関係のニュースサイトのリンクをご紹介します。

http://www.bpl.org/news/haiti.htm
http://guides.library.umass.edu/haiti

2009年02月27日

ニューオーリンズから(1)

上の動画は、2005年のハリケーン・カトリーナの災害で最大の被害を受けたニューオーリンズのロウアー・第9区、マルディ・グラの祭典が行われる前夜の今年の模様である。

ちょっとした縁から、同地の災害復興ボランティアの参加する機会を得て、現在これは現地から書いている。ここで一緒に行動している者の中には、インドネシアのバンダ・アチェ地区で通訳として復興活動に参加した者もいるが、その人物の話ではニューオーリンズの復旧の方が「遥かに遅い」らしい。

ところが、わたしが同地に入る前にちらっと目を通した『地球の歩き方』では、日本の「郵便」にあたるUnited Postal Serviceの統計をあげて、85%の郵便が配達されていると紹介されている。もちろん、観光客に対し必要以上の恐怖感を煽らないことは大切だし、復興が着実に進んでいる側面もある。

では、さて、上の画像のなかに現れる地区の85%が帰ってきていると言えるだろうか?

実際のところ、郵便は配達されているのではない。わたしが復旧作業に入った家(ロウアー第9区より遥かに被害が軽かったアップタウンにある)には、宛名が違うが住所が同じ手紙が無造作に複数投げ入れられたままになっていた。所帯主に会ったが、その家には現在住んでいないらしい。住めないから。

借家に暮らしていれば、誰でも経験があるものだ、前の住人の郵便が配達されたことくらい。郵便はしたがって、住民帰還の指標にはまったくなり得ない。アメリカの場合、日本の住民票にあたる人口管理の方法がないので、その統計の取り方は難しいだろうが、郵政公社の値を参考にしては「ならない」ことだけは確かだ。

戻ってくることには、資力が多いに関係し、そしてその資力は人種と強い関係があった。この街の貧富の差、そして人種隔離された居住区の有り様は、これまで見たどれよりも凄まじかった(続く)

2009年02月19日

全国黒人向上協会の危機と「ポスト人種」のアメリカ

2009年2月12日、全米各地でリンカン大統領生誕を祝う行事が行われた。この日がリンカン生誕200周年ならば、それは、アメリカでもっとも古くかつ最大の規模の黒人人権組織、全国黒人向上協会 (the National Association for the Advancement of Colored People) が結成100周年を迎えたことになる。なぜならば、この組織は、1909年にイリノイ州スプリングフィールド(リンカンの生誕地)で起きた人種暴動(当時の人種暴動は白人に黒人が一方的に襲いかかるものだった)に抗議して、リンカン生誕の日に結成された組織だからだ。

しかし、オバマ大統領誕生後、何とNAACP不要論が飛び出すことになってしまった。

以前から、NAACPが黒人大衆の現状と噛み合っていない(黒人コミュニティの空気が読めていない)とする批判はかなり多く上がっていた。より正確に言えば、この組織に大衆基盤があったのは1940年代初頭だけであり、戦後は赤狩りに与することで保守勢力の一翼を担ってしまい、1960年代は若者の組織の後塵を拝したり、1970年代以後は明確な指針を打ち出せずにいたりと、法廷において画期的な違憲判決(たとえば、もっとも有名なのが人種隔離教育に対する違憲判決、『〈ブラウン〉対〈教育委員会〉』判決)を導き出したという以外、あまり高い評価は与えられていない。

おそらく歴史を画するような偉業をなしえるには、この組織は巨大すぎるのだろう。つねにアメリカの主流社会の動向に敏感であり、否、敏感でありすぎ、そのためアナクロニズムと思われるような戦略をしばしばとる。

実は、今回飛び出てきたNAACP不要論は、このアナクロニズムを鋭く批判したものだった。コロンビア大学の比較文学者で、全国公共放送などで人種問題に関するコメンテーターとして活躍しているジョン・マクホーターは、リベラルな論壇誌『ニューリパブリック』に掲載された論文「誕生日の乱痴気騒ぎ」のなかで、「NAACPが今日解散してとして、それがブラック・アメリカに大きな影響を与えるだろうか」という過激な自問自答を行った。その答えは、ノー。影響はない、ということだ。

かと言って、マクホーターは、大統領が黒人になった今や人種主義は消え去った、などという単純でおめでたい議論を行っているのではない。彼がいうには、人種主義はもちろん存在している、しかし、それは、「中庭の掃除をしたあとに、まだゴミが残っているというようなもの」、一切合切のゴミを取り去ることなどもともと不可能なのだという現実感覚に基づいたものだ。つまりゴミがでたところで、そのゴミを除去する最良な手段を考えれば良いというのである。

たとえば、黒人のなかでは以上な高率になっているエイズの問題。これは公衆衛生と保険行政の問題になる。青年黒人の犯罪率(とその再犯率)の高さといわゆる黒人と白人の「成績格差」なのならば、それは教育問題になる。

マクホーターに言わせると、それらはデモ行進で解決できないものである。そのような彼にとって、デモや抗議に終始しているNAACPは、「60年代のスピリットを色鮮やかで劇的に再演しているにすぎない」のである。

そこで彼が求められる黒人の運動として紹介している例が、元ブラック・パンサー党員でつい最近逝去したばかりのウォーレン・キンブロが、ニュー・ヘイヴンで行っていた「前科者再生プログラム」である。キンブロ自身、「同志」を殺害したいわゆる「内ゲバ」で実刑を受けたことのある「前科者」で、自分の経験に基づいて社会更正支援組織を立ち上げた。その近年は高い評価を受けているが、なにはともあれ、それはキンブロのプログラムが「ブラック・コミュニティ」の需要にぴったり応じたものだったからである。

このマクホーターの意見、わたしもうなずけるものがあった。古くは黒人指導者ベイヤード・ラスティンが1965年に提唱した「抗議から政治へ」という路線を踏襲するものであるが、もはや抗議デモの時代ではない。エンパワメントへの道は、コミュニティ自体の活性化を通じて行われる。

たとえば、筆者が知っている限りでも、ブラック・コミュニティの健康問題や教育問題にグラスルーツの視点から対処している組織は数多くある。たとえば、ジオフリー・カナダの斬新なアイデアで発足した「ハーレム子供解放区」Harlem Children's Zone (HCZ)

「ハーレム」と「子供」とは、実際のところ、ちょっとした形容矛盾である。少し無理して、日本でわかり安い比喩にすると、この組織は「新宿ゴールデン街子供解放区」とか「新大久保子供公園」とかいった響きすらする。ハーレムと子供とはどうしても馴染まない。しかし、高校生の就学率と大学進学率の向上を目指したこの組織の評価は高く、実はバラク・オバマはこの組織の「実験」を全国規模で展開するということを(選挙中は)公約に掲げている。マクホーターがハーレムに隣接する大学で教鞭を執っていることを考えると、彼がこのHCZのイニシャティブを知っていないはずがない。まちがいなくこのような組織の存在が旧態然としたNAACPに対するいらだちになっているのだ。

日本でもベストセラーになった(らしい)オバマの伝記を読めばわかるが、バラク・オバマは、シカゴでそのような組織のオルグだった。このところ日本の新聞のウェブサイトを読むと、「オバマの指導力」という言葉をよく見かける。日本の首相がよっぽど指導力がないのか、それともまちがった方向で指導力をガンガン発揮しているのかは知らないが、バラク・オバマに、たとえば小泉純一郎のようなトップダウン式の「指導力」があると思ったら大きなまちがいだ。オバマにカリスマ性は確かにある。というか強烈なカリスマ性がある。しかし、それは、グラスルーツの組織の活性化の結果として輝き始めたものだ。オバマのネットを使ったまった新しいタイプの選挙運動と同じく、彼の指導力をこれまでの政治家のひな形をあてがって考えようとすると必ず失敗する。

このような展開を考えると、ポスト人種社会のアメリカ、そこから人種問題は消え去らなくても、ブラック・コミュニティ自体がその問題への対処はあきらかに変えてきているように思える。

これは、市民社会の成熟度を問うとすれば、まちがいなく良い方向への大きな一歩だ。そして、実は、これも、NAACPの抗議のページェントとは違う意味で、60年代のスピリットを引き継いでいるのである。

2009年02月12日

バラク・オバマが目指す政治(7) ── 勝利演説完全解読(6)

次にこの旅のパートナー、自分の心情にしたがって選挙運動を行い、故郷スクラトンの街のストリートで一緒に育った人びとのために発言し、たったいま故郷のデラウェアへ帰路についた男、アメリカ合州国次期副大統領ジョー・バイデンに感謝の意を捧げたいと思います。

そして、これまでの16年間わたしの最良の友人であり、わたしの家族の固い支えであり、わたしの最愛の女性、次期ファースト・レディ、ミシェル・オバマの弛むことのない応援がなかったならば、今日こうしてわたしはここに立つことはできなかったでしょう。

サーシャ、マリーア、あなたたちが想像できないほどわたしはあなたたちを愛しています。ほら、たったいまあなたたちは買ってやると約束していた子犬と一緒にホワイト・ハウスに引っ越しすることが決まりました。

そして、つい最近逝去しましたが、祖母がきっとどこからかわたしを見守っていること、それがわたしにはわかっています。わたしが誰であるのか、そのアイデンティティを培ってくれた家族のみんなと一緒に。亡くなった人びとのことを考えると、今宵、寂しい気持ちになります。彼女たちに対してどれだけ多くのものを負っているのか、それをわたしはわかっているからです。

妹のマヤ、姉のオウマ、そのほかの兄弟姉妹たち、これまでの支援どうもありがとう。とても感謝しています。

3つの点について解説したい。

1.呼称の変化
オバマが立候補を表明してからこの時期までに20か月が経っていた。一方、大統領選挙に費やされる選挙運動期間は14か月と言われている。だから、彼の場合、平均より半年長かったことになる。初期の頃の写真と現在の写真を比べるとよくわかるが、オバマはこの20か月で一気に老けた。目立たないながらも、彼の髪にはいまは白髪がある。

小さなことだが、これまで「副大統領候補」vice presidential candidateを「次期副大統領」と呼んだとき、それは支援者たちが勝利を確信し、今一度喜びに浸ったときである。

そしてまた、これまでとは立場が変わる、という将来への期待と怖れを感じた瞬間だった。

なお、ミシェル・オバマは、選挙戦中は「バラク」と親しみを込めて使っていた呼称を、就任式が終わるや否や「ミスター・プレジデント」に変えた。

2.ミシェル・オバマと選挙政治
ミシェル・オバマは、民主党予備選が始まったときに、「1週間のうち3日ほど選挙運動をする」と言っていた。

ではあと4日何をするのか?。

これはバラクの最大の政敵、ヒラリー・クリントンを意識した巧妙なアピールだったある。

つまり、わたしは主婦、主婦が第一で、家族が第一、それを守り抜きます、と保守的イデオロギーではなくとも保守的心情を抱えている人に訴えかけていたのだ。

だからオバマは、まずこう言っている。家族の固い支え、rock of my family。

ブッシュの失政のために共和党に対して強烈な逆風が立つなか、昨年の春には民主党の候補が黒人か女性かになることにほぼ決まった。どちらがなっても史上初である。しかし、結局、黒人が先に「初」を達成したことで、実は人種の「壁」よりもジェンダーの「天井」の方が固いのではないかという話が出てきているくらいだ。

4.多様なファーストファミリー
さて、オバマの大統領就任により、ホワイトハウスの主と血縁のある人の多様性が一気に拡大した。母親違いの姉がアフリカに、父親違いの妹(インドネシア生まれ)がハワイにいることは広く報道されているところであろうが、その妹の夫はトロントに住んでいる中国系カナダ人である。

その模様は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の " target="_blank">このイラストを見ればよくわかる。

なお、アメリカにいるとよくわかることだが、日本はもはやアジアでの戦略的最重要国としての地位を失っている。その国はいまや中国だ。軍事力のみならず、米国債の保有残高を考えてもそれが順当なところだ。

そのうえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、被差別部落出身者に対する現首相の暴言を大々的に報じ、現首相の世間離れどころか世界離れは、黒人を大統領に選んだ国の人びとにも知られることになった。その先長くないと言われながら、まだ首相の座に居座り続けているらしいが、恥ずかしいのでいい加減にしてもらいたい。

大統領就任の宣誓文句を空で覚えている大統領と漢字の読めない首相、首脳会談をするとしてもいったい何を話すのだろう。

2009年01月22日

連邦議会黒人幹部会 Congressional Black Caucus と大統領の関係 ── 多様性 diversity の今ひとつの側面

大統領就任式記念の昼食会でのオバマの挨拶で、名前が言及された人物が二人いる。ひとりはテディ。これは、今年の春に脳腫瘍の手術をし、昼食会が始まるとすぐに倒れたリベラル派のシンボルでケネディ大統領の実弟、エドワード・ケネディのことを。突然のこの事態にあたり、オバマ大統領は、彼の健康の回復を祈った。

もう一人は、ジョン。これは「公民権運動の突撃隊」と呼ばれ、数ある公民権団体のなかでももっとも急進的だった学生非暴力調整委員会のジョン・ルイスのこと。彼は現在連邦下院議員を務めている。

オバマは、この両者の共通点として、自分の当選には1966年投票権法の制定が不可欠であり、それにあたっては、テディ・ケネディが上院議員として、そしてジョン・ルイスが運動家として関係していたことに触れて、簡単な謝意を示したのである。

ジョン・ルイスが参加したセルマ行進では、アラバマ州兵がデモ隊に襲いかかり、彼は頭蓋骨骨折の重傷を負った。そんな彼は、その後のホワイト・ハウスまでの大統領のパレードのときにCNNの解説席に呼ばれ、就任式では涙がでてきたこと、そして運動の最中に投げ入れられた冷たい監獄のなかでは想像すらできなかったことが現実になったと良い、感無量のようだった。

ところが、このブログがかつて紹介しているように、実のところ、ジョン・ルイスはヒラリー・クリントンの支持者であり、オバマ支持に回ったのはジョージア州での民主党予備選が終わったあとである。

彼の場合、「自分の選挙区の民意には逆らえない」という考えが強く働いて、翻意につながっていった。ところが、黒人議員のなかでも、たとえば、下院議院院内幹事の高位の職にあるジェイムス・クライバーンなど、自分の選挙区がオバマに行っていても、最後までクリントンの支持の姿勢を変えなかった者もいる。

つまり、バラク・オバマは、黒人議員の支持を固めているとははっきりとは言えないのだ。彼の大統領就任がまちがいのない人種関係の歴史の新しい時代の幕開けであったとしても。

ここに来て厳しい立場に置かれているのは、そのような黒人議員たちからなる連邦議会黒人幹部会 Congressional Black Caucus (CBC)だろう。これまでCBCは、数ある議会会派のなかでも、もっともリベラルな会派として、もっとも団結した投票行動をとってきた。ところが、大統領が黒人となると、そしてその大統領と政策が噛み合わなくなった場合、会派が統一行動を取れなくなるケースが多いにあり得る。

たとえば、イリノイ州知事が、オバマの大統領就任で空席になった連邦上院議員の席に座る人間を指名する際、もっとも高額の賄賂を贈ってきたものにその席を与えるという汚職行為を摘発され、それでも憲法の規定にしたがって(アメリカではこの場合補欠選挙が行われるのではなく、州知事に任命権が与えられることになっている)公認を任命したとき、その任命された人物 ── 黒人のローランド・バーリス ── の議会出席を民主党幹部が妨害し、大きな問題になった。

このときのオバマの態度は、イリノイ州知事に辞任を求め、別の手段や人間によって後任人事を行うことだった。他方、CBCは、態度を表明できなかった。なぜならば、CBC内部の意思統一ができなかったからだ。

たとえば、かつてはブラック・パンサー党シカゴ支部の幹部であり、2000年の選挙では当時政界に入ったばかりのオバマを簡単に選挙で打ち負かしたこともあるシカゴ選出の連邦下院銀ボビー・ラッシュは、バーリスの承認を拒否しようとする動きには人種主義があるとし、民主党幹部の姿勢を激しく批判していた。他面、この大統領選の初期からオバマ支持をはっきりと言明していたCBC会長のイライジャ・カミングスは、憲政的手続きに則ってバーリスが任命された以上、それを否定することは憲法違反に当たるという意味から民主党幹部を批判していた。つまり、総論賛成各論反対の状態だったのだが、こういうときに行動に出られないのは政治の常だ。

実際のところ、CBCが人種だけに左右される組織だとしたら、もっと自体は簡単だろう。オバマ「候補」に対しても、彼は同会派の会員であるがゆえに、早い段階で一致団結した支持を表明していたはずだ。ところが現実はこれとは異なっていた。

黒人コミュニティ内部はおろか、黒人政治家のなかでさえ政治的姿勢や意見はいまや多様化しているのである。

それでもCBC議員のなかには、これまでは大統領に自分の政治姿勢を黒人の視点から説明する必要があったが、これからはそれがなくなる、と言うものもいる。それでも、今後、CBCとホワイト・ハウスは、おそらくまちがいなく何度も衝突するであろう。そこに見えるのは、このような多様化した社会だ。バラク・オバマの当選自体、アメリカ社会の多様性 diversity の証左だと言われるが、CBCとホワイト・ハウスとの関係もまた、 多様性の今ひとつの側面だと言えよう。

それとも、あまりにも急速に進む多様化に押されて、CBC自体が機能不全に陥るかもしれない。これを書き終えて思ったが、この可能性、実はそんなに低くはないように思えてきた。これが「ポスト公民権時代」の現象であることは間違いないが、果たして「ポスト人種」であろうか。今少し考えてみたい。

2009年01月20日

歴史的キング博士誕生記念日

20090119julian_bond_small.jpg大統領就任式を明日に控えたワシントンD・Cのモールの夕暮れの模様がテレビに映し出されている。もうかなりの人が集まっており、明日の就任式がいかに巨大なものになるのかを、そしてバラク・オバマ ── このブログで彼を最初に取り上げたとき、まさかこんなに短期間で大統領になるとは思わなかった ── にどれだけ巨大な期待が寄せられているのかを伺わせる。

さて、その就任式イヴにあたる今日は、マーティン・ルーサー・キング博士誕生日記念日の休日だった。したがって、ワシントンD・C、そして実質上アメリカ中が明日のオバマの宣誓の瞬間に向けて、公民権運動が辿ってきた歩みを反芻する機会を得たことになった。

わたしの住んでいるミシガン州アナーバーでもミシガン大学が実に多くの行事を主催した。

そのなかで、これまでわたしが出席したのは3つ。

ひとつめ、「非暴力」が主な戦略となった南部公民権運動のなかにあって、「暴力は暴力で向かい打つ」という発言を行い、アメリカ政府から迫害された末にキューバに亡命したラディカルな黒人活動家ロバート・F・ウィリアムスの研究で有名なティモシー・タイソンの講演。

彼は自分が生まれ育った街、ノース・キャロライナ州オクスフォードでおきた1970年の黒人殺害事件の研究を一昨年公刊し、それはこの夏にはハリウッド映画として公開されることになっている。

彼が強調するのは、アメリカにおける暴力の歴史。いかに暴力が歴史を作り、そしてそれを公的記憶が消し去ってきたのか、これが彼の研究の主眼だ。自分の生まれ育った街の暴力の歴史を「暴露」したところ、激怒する人が現れて、そのような「隣人」たちは悪宣伝サイトまで開設しているらしい。

これを主催したのは歴史学部とアフリカン・アメリカン研究センター

二つめ。NAACP会長、ジュリアン・ボンドの記念講演。今日の午前中に行われた。彼はこんなことを言っていた。「キング博士がムーヴメントをつくったのではなくて、ムーヴメントがキング博士をつくったのです、それは本人も何度も言っていました」(冒頭上部の写真がボンド)

三つ目。キング博士の伝記でピュリツァー賞を受賞したテイラー・ブランチの講演。彼によると、すべてが非暴力の運動から始まったらしい。南アのアパルトヘイト政権崩壊から、1989年の天安門事件まで。そしてそれは明日(オバマの大統領就任)へとつながっていくらしい。なおこれはビジネス・スクールが主催した。

ブランチの講演にはがっかりした。もう非暴力ばかり。非暴力が凄かった、非暴力がすべての運動の「変化」の源泉だった、それしか言わない。

いまこの暴力だらけの世界を見て、どうしてそんなことが言えるのだろう。パレスティナ人がイスラエルの戦車の前で非暴力に徹したらどうなるだろう。

きっと轢き殺される。

オバマの勝利にしてみても、民主的過程(選挙)を保障するには巨大な警察力が必要であり、それが今回は見事に機能したからこそ、民主主義が「動いた」のだ。アメリカの少し前の歴史をみても、2000年の大統領選挙のように、人間の「権利」などは簡単に蹂躙されるものなのだということがわかっていない(天安門を引用しつつ、この峻厳な現実を等閑視しているから驚きだ)。

ピュリツァー賞に輝いたこの歴史家にはホッブス的現実感覚がないようだった。そのようなブランチはアレントの講義を受けたことがあり、アレントは「民主主義とは非暴力だ」と言っていたそうだ。アレントの発言や著作のなかにそう臭わせるところはある。しかし、これはアレントの思想の大きな歪曲だ。ホロコーストの傍で生きた彼女には、「人間が南京虫になるのは簡単だ、それは南京虫のように扱えば済む」という彼女自身のことばがあるように、研ぎ澄まされた現実を見据える眼力があった。しかし、ブランチにはそれがない。

だから、彼は、聴衆のからのこんな問いに答えられなかった。「なぜ、では、アリゾナ州やサウス・キャロライナ州はまだキング博士の誕生日を休日にしていないんですか?」。

ブランチはぜんぜんわかっていない。

他方、今朝CNNテレビに出たクラレンス・ジョーンズ(キング博士の演説草稿の執筆者のひとり)は、オバマ当選の日に泣いたと言っていた。ここでなぜ泣いたかが問題だ。くやしかったらしい。多くの人が死んでいった。そのなかには運動のなかで殺されたものも多い。その人たちとこの日をともにできなかったことが悔しかったらしい。

そういえば、ティモシー・タイソンは、非暴力をロマン化することを歴史家は避けなくてはならないと言っていた。わたしは強くタイソンの意見に同意する。なおタイソンはアメリカ歴史学者協会のフレデリック・ジャクソン・ターナー賞(優れた歴史研究に贈られる褒賞)を受賞している。

2009年01月19日

バラク・オバマが目指す政治(6) ── 勝利演説完全解読(5)

20090118_small.jpgわたしにいるアメリカではもう完全にお祭りムードである。大統領就任式のためにワシントンD・Cに向かう人の数は都市圏全体で400万、市内中心地だけで200万人と報道されているが、ワシントンD・C大行進が25万人だったことを考えると、これから行われる儀式がいかに巨大なものなのかが想像できる。

そして、ブラック・アメリカにとってみれば、今週末のキング・ホリデイにこの「祭典」が続き、たいへんな季節になってしまった。

前にこのシリーズを終えて、またわたしはバテてしまった。そして次のところがいささか平坦な内容なので、「完全解読」に対する力が抜けてしまった。オバマがまた強烈な就任演説を行うことへの期待は高く、またまた日本の新聞各社は見当ちがいの翻訳を掲載するだろうが、このブログではマイペースで解読を進めていく。

では、次回の続き:

「今日この夜の少しばかり前、マケイン上院議員からとても丁重な電話をもらいました。マケイン上院議員は長く激しいこの選挙戦を立派に闘いましたが、彼が愛するこの国のための彼の闘いはそれよりずっと長く厳しいものでした。彼は、わたしたち多くが想像することすらできないほどの犠牲をアメリカのために支払ってきたのです。わたしたちが今日このように恵まれた生活を送らられているのは、この勇気ある無私無欲のリーダーの国に対する奉仕があったからなのです。そのような彼を讃えたいと思います。そして、ペイリン知事と彼女の業績を称えたいと思います。これからやってくる将来、この国が掲げた約束に対する信頼感を新たにするために、彼ら彼女らとともに奉仕できる日のことを楽しみにしています」。

実のところ、この部分、戦後日本の教育を受けてきたものには少しばかり得心がいかないところがある。ベトナム戦争で捕虜になり、いかなる拷問を受けても軍事機密を守り抜いたジョン・マケインの行為を「国に対する犠牲」ときわめて肯定的に描いている点だ。

オバマは、アメリカ史上初(しかし彼にはいろいろと「史上初」が多いが)、戦時中にあって兵力を引き揚げるということを選挙公約にして勝利した候補である。民主党予備選の序盤で「テロとの戦争」を支持したヒラリー・クリントンとの立場のちがいを鮮明にするために行った公約でもあろうが、この「反戦姿勢」からすると彼は平和主義の候補ではないかと思われてしまう。しかしそうではなかった。

アメリカでは、国を守るために銃をとることは決して否定されていない。それはこの国の国歌を聞けばよくわかる。フランス国歌と同じく、これは革命戦争に命を賭けた兵士を讃える歌だ。

もちろん、上の写真にあるように、反戦論者がオバマを支持したことは事実だろう。彼の才能のひとつは多くの人に違った意味の魅力でアピールできるというところだ。アメリカで、日本流の平和主義者が選挙に勝つことはまずありえない。だから、「無条件の愛」を説いていたキング博士が大統領選挙に出ても勝てるはずなどなかった。彼の「夢」を叶えるには、ほかの方途が必要だったのだ。

ためん、ペイリンの業績については、????だ。

さて、この次もいささか平たい賛辞が続く。ブログはマイペースに進めて行こう。

2009年01月10日

オークランドの警官暴力が暗示するもの ── 「ポスト人種」時代の人種問題

20090109_policebrutality2009年元旦のカリフォルニア州オークランド、サンフランシスコ=バークレー=オークランド間を結ぶ鉄道BARTの駅で、警官が無抵抗で非武装の黒人青年を射殺した。広く報道されている画像を見るかぎり、これは幾多ある警官暴力のなかでももっともひどいもののひとつだ。黒人青年は、3人警官から抑え込まれてうつ伏せになっている。その3人のなかのひとりが、ピストルを抜き背後から弾丸を撃ち込んだ。この模様を映している鉄道の乗客の携帯ビデオには、その警官の行動に対する驚きの声までも録画されている。

同地では、NAACPはもとより、市議会議員も先頭に立ち、抗議行動が行われた。自己調査をするのでその報告をまってくれと言っているBARTに件を任せた市警察に対しての抗議だ。そしてその非暴力の抗議は、7日、小さな暴動と化した。

これは1960年代後半の人種暴動や公民権運動の展開と「うりふたつ」だ。オークランドは、また、警官暴力への抗議をきっかけに結成されたブラック・パンサー党発祥の地でもある。抗議デモを行っている人のなかには、「身の回りに注意しろ、警官が近くにいる!」と皮肉を書いたプラカードを掲げているものがいたが、これはパンサー党が抗議デモで用いたものそのものである。

ところが当時とはひとつだけ大きく異なることがある。

現在のオークランド市長はロナルド・デラムス。1940年代に黒人ポーターの労働組合オルグとして社会政治活動を始め、1970年代には同市の「ブラック・パワー」のシンボルにもなった人物。さらにまた、60年代にはほとんどが白人だったオークランド警察は完全に人種統合されている。

人種は社会的構築物であるという認識が広まってから以後頻繁に言われるようになった言葉に「ポスト人種社会」という言葉がある。現代社会は、人種によって分断した社会の「後」に位置するという見方だ。

そして、バラク・オバマの当選は、ポスト人種社会の象徴とさえ思えた。

そこで起きたこの事件。

大統領は黒人である、しかし実際の現状は60年代と何らかわならい、そんな事態の展開をある面では予示しているように思える。

ただし、そんな不安を消し去ってくれるかのような状況もまた、この事件のなかでは見られた。60年代の抗議行動、その後半期になると怒りを抱えた群衆の大半が黒人だった。今回の抗議行動は完全に「人種統合」されていた。白人もまた、残忍な警官の行為に激怒していたのである。

なお、黒人を射殺した警官は、これを書いている時点では、まだ逮捕されていない。

2008年12月14日

バラク・オバマが目指す政治(5) ── 勝利演説完全解読(4)

前にエントリーを書いてから、学期末ということもあり、少しバテてしまった。今回は、この演説の「最初」の佳境に入る。このブログのために再度演説を画像からおこしていて、改めてこの演説の意味の重層性に驚いている。今回は、したがって、ヘヴィな解説になると思う。

まず英語の原文を示そう。

It's the answer that -- that led those who've been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day. It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America

これを訳すとこんな感じだろうか。

「またそれは、ずいぶんと長い間、ずいぶんと多くの人に、歴史が描く円弧を自身の手でしっかりとつかみ、それをもう一度より良い明日の方向へ曲げるには、やれシニカルになっている、やれ恐怖心で、そしてさらには猜疑心でいっぱになっていると言われてきた人びとが出した答なのです。この答がでるまでに、ほんとうにずいぶんと長い時間がかかりました。しかし、今夜、私たちが今日行ったことによって、この選挙によって、そしていまこの決定的瞬間に、変化のとき、それがアメリカにやってきたのです」。

さて、この訳を読むと、「歴史の円弧を自身の手で…」の部分、さっぱり意味が通じないはずだ。なかには、これを「手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために」と訳しているところもあるが、正直言ってこれではこの一節が持つ重みがまったく伝わらない。

オバマは、3行目で "once more"と言っています。直訳は「もう一度」。さてでは最初の一回はいつのことだったのでしょう? 少し日本の新聞の訳をみたが、全部不正解です、まったくわかっていません。先に紹介した訳は、ここをまったく無視しています(さらにこの訳は、「あれはできないこれはできないと言われてきました」と訳していますが、そんなこと彼は全然言っていませんよ、achieve anything とは言ってないじゃないですか?、政治行動に関してだけここは述べているのです、その内実がわからないのでごまかそうとしていますね、この訳は)。

では、今回が"once more "ならば、前回はいつだったのでしょうか?

答え:公民権運動のときです。

なぜか、なぜそう言えるのか

それは、その直前にある"arc of history"という言葉があるからそう言えるのです。

人類の営為=歴史を天空を描くアーチに喩えることは、実はマーティン・ルーサー・キングが十八番としたものだった。彼は"bend"という動詞も使ってよくこう述べていた

The arc of the universe is long, but it bends towad justice。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのだ」

さてよく考えるとこの比喩はおかしい。だからすこしピンぼけな感じがする。比喩が懐にポンと落ちない。

おかしいのは、「天空の弧」の中心には「地球にいる人間」が立ち、それを「中心」にして宇宙の秩序が説明づけされているからだ。現代のわたしたちはこんな天空の描き方はしない。これは「天動説」なのである。

それもそのはず、この文言を最初に述べた人は、中世の神学者、アウグスティヌスである。彼の思想を現代の政治に持ち込んだのは、神学博士であるキングの解釈があってのことだ。

「あのねぇ、学者先生、それはあんたの深読みでしょ」、そう述べたい人がいるかもしれない。だから少し念を押しておこう。

ちがいますよ、オバマははっきりとキングの演説を意識しています。意識している証拠があります。

1966年投票権法の期限延長法案が連邦議会上院で討議されたとき、彼は、キングが行ったこの演説(それは投票権法の可決を迫るセルマ=モントゴメリー行進の最後の集会──公民権運動史上、主要黒人団体が最後の団結を示した行進──で述べられたもの)をはっきりと出典を明示して議場で、こう演説している。

Two weeks after the first march was turned back, Dr. King told a gathering of organizers and activists and community members that they should not despair because the arc of the moral universe is long, but it bends towards justice. That's because of the work that each of us do to bend it towards justice. It's because of people like John Lewis and Fannie Lou Hamer and Coretta Scott King and Rosa Parks, all the giants upon whose shoulders we stand that we are the beneficiaries of that arc bending towards justice.

「(セルマ=モントゴメリー行進の)最初のデモ隊が撤退させられたあと、キング博士はオーガナイザーと活動家、そしてコミュニティの人びとに対してこう述べました。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのです、だから悲嘆に暮れるべきではないのです」と。そうなるのも、わたしたち一人ひとりが、天空の弧を正義の方向に向かうように行動しているからです。ジョン・ルイス、ファニー・ルー・ヘイマー、コレッタ・スコット・キング、ローザ・パークス、その他もろもろ偉大な人びとの存在があってこそ弧は正義へと向かい、そんな彼ら彼女らの偉業のうえにわれわれは立っています。われわれは、弧が正義へと向かい始めたことの受益者なのです」。

つまり、1966年にははっきりとしていた天空の円弧の方向は、その後一度見えなくなり、2008年11月に再度そもそも向かっていた方向に「曲げられた」のだ、そう彼は述べたいるのだ。

ここの意味の重層性、強烈である。

その次の箇所はこれに比べるとそれほど重くはないが、それでもその時間感覚の表現は絶妙だ。

時制を少し変え、語句を抜き去れば、ここにこんなフレーズが見えてくる。

It's been a long time coming but , , , change has come. . .

こうすれば、リズム&ブルースの好きな人は、すぐにピンと来るでしょう。そうです、サム・クックの名曲、「ア・チェンジ・ゴナ・カム」の歌詞をもじっているのです。この曲は、映画『マルコムX』のなかで、マルコムXが煩悶の末にネイション・オヴ・イスラームを脱会することを決断するシーンで流れる曲でもある。

公民権法が成立した1964年(サム・クックが殺害される年)、クックはこう歌った。

It's been a long, long time coming, but I know, ou, ou, ou, a change's gonna come

ここでのポイントは時制にある。クックが近接未来形を用いた箇所で、オバマは大胆に現在完了・完了形を用いている。1964年公民権法が約束した変化の到来を、44年後に宣言したのだ。

なお、右のCDは、1990年代になって発売されたベスト盤だが、これに収録されている「ア・チェンジ・ゴナ・カム」は、公民権運動の歴史に少しでも関心があるものには必聴のものだ。64年に発売されたシングル盤にはない歌詞が入っているものが収録されていて、その「発掘された」歌詞の部分は、明らかに公民権法成立によって到来した新しい秩序のことを歌っているのである。

しかし、ほんとうにほんとうに実に長い時間だった。

さらにオバマの才覚。キングの演説(YouTubeのリンクを参照)では、"How long, not long”というフレーズが繰り返されている。ブラックパワー宣言が行われ、ロサンゼルス・ワッツ地区では大規模な人種暴動が勃発した1966年の夏、キングは、たちこめる暗雲(と催涙弾のガス)を振り払うかのように、夢が現実となる日まで「長くはない」と断言していた。黒人のキリスト教の伝統のコール・アンド・レスポンスを駆使しつつも、自分で自分に言い聞かせるかのように何度も何度ももそう述べていた。

そう、今回解説している箇所の前半部と後半部は、時間の表現、long によってつなげられているのだ。わかりやすく翻案すると、オバマはこう言っているのである。

「キング博士、あなたは長くはかからないとおっしゃいましたが、実際のところ長くなってしまいました。その間、人びとはシニカルになり、怖れを抱き、猜疑心でいっぱいになっていったのです。でも、それも終わりです、今夜、変化が来たのです、ご安心ください」。

さて、よく英語を聴いて欲しい。中学2年で習う文法が実に巧妙に使われている。クックの近接未来 is gonna come (is going to come) が、オバマでは現在完了 has come になっている。まだ現実でない(近接未来)の実現が完了したのだ。

これは、おそろしく大胆な宣言だ。

こうやってみると、オバマの演説の bottom line にはいつも「アメリカ黒人の経験」が存在しているのがわかるだろう。彼の演説の妙は、それを明示することで黒人の経験の特殊性を主張したりはせず、敢えて比喩や引用にとどめることによって人類普遍の経験を喚起しているところにある。

オバマの雄弁さは、ヒラリー・クリントンとの「死闘」を通じて、一般に知られるようになった。しかし8月の民主党大会の指名受諾演説(それまでの演説を繰り返しただけの間延びした退屈なもの)にがっかりした人は多い。それによって彼が旬だった時期はもう去ってしまったと思った向きも多い。

それゆえ、11月5日未明、わたしはオバマの演説に期待するとともに不安も感じていた。しかし、おそらくいまとなってははっきりとは思い出せないが、この辺りから、「今夜はちがう」と感じ始めたと思う。Tell like it is!、おそらくそう実際に叫んでいた。

ところで、クックの歌い方とオバマの話し方にはかなりの差異がある。クックの歌い方は、ジェシー・ジャクソンらの黒人教会が育んだ黒人指導層の話し方に近い。そう考えると、さまざまな意味をコラージュさせていくオバマの手法はヒップホップ的と形容してもいいかもしれない。

続く

2008年12月02日

バラク・オバマが目指す政治(4) ── 勝利演説完全解読(3)

今回の解説は、オバマ演説の訳から入ろう。

「それは、若い者も老いた者もともに下した答、民主党支持者も共和党支持者も、白人、黒人、ヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民(Native American)、同性愛者(gay)、異性愛者(straight)、身体障害者(disabled)、健常者(not disabled)も一緒になって下した答えなのです。そうしてアメリカ人は世界に向かってひとつのメッセージを発しました ── アメリカが個人の寄せ集め、共和党支持者が多い集(red state)と民主党支持者が多い集(blue state)によって分断された政治を単につなぎあわせたものであったことなど一度もなく、われわれはいつの時であっても、ひとつの統一されたアメリカ合衆国だったのです」。

この演説の後半部は、2004年の民主党大会の基調演説を彼が行ってきた主張をそのまま繰り返したものである。アメリカを〈人種〉や政治思想によって分断された国家であるとみなす考え方は、1990年代半ばより広く共有されてきた。ここでオバマは、そのときに広く読まれた著書、アーサー・シュレジンガー・ジュニアのThe Disuniting America をはっきりと意識しつつ、シュレジンガーらの主張を否定し、その勢いを一気にアメリカ愛国主義につなげている(しかしながら、「ケネディ神話」を作り出した人物のひとりであり、それゆえケネディをこよなく愛するこの老歴史家は、オバマ当選を喜んでいると思う、たぶん…)。

さて、前回指摘した「アメリカ大統領選挙戦史上初めてのとんでもないことば」は、すらすらと述べられたこの演説の前半部にある。実は、アメリカ先住民ということば、そして同性愛者ということばが、このような舞台の演説のなかで発せられることはなかった。オバマにこれができたのは、彼が自分が黒人であることをはっきりと意識していたからにほかならない。

しかし、これはよく考えるととんでもないことだ。日本の総理大臣が、「わたしが総理になれたのは、国民の熱烈なる支持があってのことです」と慇懃に礼を述べ、そのあと支持層それぞれに挨拶し始めるとしよう。そのなかに「ゲイ」ということばがでることなどありあり得ない(もちろん、この選挙で、カリフォルニア州の住民投票はゲイから婚姻の権利を剥奪することを是とした。その問題はあまりにも大きいが、実際のところ、このわたしにはそれを論じる力がない)。

選挙結果が世界に知れ渡ったあたりから、アメリカではオバマ当選を祝う各国の姿が報じられた。そのなかには、もちろん彼の父の国、ケニヤの姿もあったが、多くは、香港のイギリス系、フランスやドイツのアラブ系といった、彼と同様ハイブリッドなアイデンティティを抱く人びとの姿だった。日本からの画像は、福井県小浜市の勝手連。それは実に異様だった。

話をもとに戻して、オバマはこれまで大統領選挙で無視されてきた人びとをこうして登場させる一方、ある人物像を退場させた。それは、ジョン・マケイン(わたしが参加した集会で、ブルース・スプリングスティーンは彼のことを「もうすぐ歴史の脚注にしかすぎない存在になる人物」と言ったが、もはやはっきりとその「定位置」を確保してしまった感がある)が、テレビ討論会で突然「テレビの前のジョー、配管工のジョー、わたしはあなたのための政治をしようとしているんです、オバマ上院議員はあなたのような人びとに対し増税を行い、大きな政府をつくろうとしているのです」といったことを述べ立て、周囲をひかせてしまったその「配管工ジョー」である。

このブログの大統領選に関する記事を読まれている方ならお気づきの方も多いはずだ。この「配管工ジョー」は白人、政治思想はレーガンデモクラットである。

政治的言説の舞台から、かくして登場者が入れ替わった。こうしてみるとオバマは、政治舞台の登場者であるというよりも、ここではむしろ演出者である。

2008年12月01日

バラク・オバマが目指す政治(3) ── 勝利演説完全解読(2)

さて、前回の問いに答えることからまず始めよう。

おそらく、「わたしは目がねをかけています」ということを、選挙遊説のたびに言うものはいないだろうし、選挙戦を通じてまったくその事実に触れないものだって普通に存在するはずだ。

もともと〈人種〉とは、人間がもつ属性のなかのひとつに過ぎず、それはひとつの属性であるという意味において、目がねと同じものである。しかし、この〈人種〉という属性が殊更重要な意味を果たしているのは、それが社会によって強い意味づけを施されているからである。

この社会的力は人の意思で簡単に変えられるものではない。この力が変わるには、人びとの意識的な営為とともに、人為を超えた時の流れが必要だ。何はとまれ、現在のアメリカ社会ではこの力を否定していて政治世界を生きられるものではないのである。

したがって、オバマの〈人種〉は、「わたしは黒人です、だから…」ということをわざわざはっきりと言わなくても、彼が存在するその場を既に規定し続けていたのである。よくオバマは〈人種〉について言及しないから黒人政治家ではないという論評が(特に民主党予備選序盤の日本のメディアで)見られたが、これほど馬鹿げた議論はない。

なぜならば、オバマが黒人政治家であること、これはオバマ本人が逃げようにも逃げられない社会的現実なのだからだ。

この峻厳なる現実がまず存在していた。そしてオバマはそこから逃げなかった。むしろ事態は、その反対であり、自分が当選すれば、それがアメリカ史上初の「黒人大統領」の誕生を意味するという「歴史性」を強く認識していた。そして、「黒人」、つまり「奴隷の子孫」がアメリカ合衆国大統領になるということそれ自体に、「〈テロとの戦争で失墜したアメリカ民主政治〉、それを再生する」という政治的アジェンダとを直結させていったのだ。

みずからを「歴史の体現」とするこの大胆な戦略、それを彼はことばにして表現することなく実行していった。なぜならば、彼の風貌がぱっとみてわかるアフリカ系だからである。

先に述べたキングの引用に見られるとおり、この選挙戦にはいろんなところでいろんなシンボリズムが用いられていたが、昨年に始まったオバマの選挙戦の開始点と終着点もそのひとつだ。

開始点は、リンカン大統領生誕の地、イリノイ州の州都、スプリングフィールド
終着点は、南北戦争の北軍の最高司令官の名前を冠したグラント公園

「俺に投票しろ、それが民主主義の豊かな生命力を物語ることになる」。こんな横柄なことを述べたところで、誰も見聞きしないだろう。しかし、現実として、オバマはこれと同じメッセージを、より崇高なことばに変えて、はっきりと宣言したのだ。

彼は勝利演説の冒頭でこう言っている。

「どんなことだって可能なところ、それがアメリカだということをまだ疑っているものたち、われわれの建国の父祖たちの夢はまだ生き続けているということをまだ疑っているものたち、われわれの民主主義のパワーを懐疑的に見るものたちがいたとして、今宵の結果があなたたちがそのような人びとに対して示した答えなのです」。

ここでいまひとつのポイント。オバマは、ここで、自らの人種的象徴性がもった意味を、すでに能動的な市民(「あなたたち」)の功績に帰し、それを称えている。ここで、「俺に投票しろ、それが民主主義の豊かな生命力を物語ることになる」といえば自己中心性が高まってしまうメッセージを脱中心化し、民主主義そのものの理念のなかに選挙の意味を埋め込んでいるのだ。

さらに肝心なことに、ここで「自分」を「中心」から退かせるとともに、〈人種〉は消えているようでいて帰って大きな存在感を示している。何はとまれ、オバマはここで〈人種〉はつねにアメリカ民主主義の弱点であった、その弱点を克服したのだ、と宣言しているのだから…。

このレトリックの巧妙さには、改めて考えてみて、驚嘆せざるを得ない。

かくして彼の演説のなかでよみがえった能動的市民の政治活動が彼のことばによって称えられていく。

学校や教会を一回りするほど伸びた投票者に並ぶものの列、それはこの国が歴史上なかったほどの数にのぼり、票を投じることができるまで3時間、4時間と待たなくてはならない、そして多くのまた生まれて初めて投票したそんな人もいる、そんな人びとみんながくだした結論なのです。この選挙だけはこれまでとは違ったものにならなくてはならない、自分たちの声が今度こそは違った結果になるかもしれない、そんな信念をもった人びとがいたからこそ、この結果が生まれたのです」。

さて、この次、この能動的市民のカタログをオバマは作り始める。そこでは、実は、アメリカ大統領選挙戦史上初めてのとんでもないことばが大胆にも潜み込んでいた。

【続く】

2008年11月28日

バラク・オバマが目指す政治(2) ── 勝利演説完全解読(1)

そろそろ大統領選以外のことを書きたいとは思うものの、現実の話、黒人研究に携わっているものは、いまだに「バラク・オバマという現象」から離れることができない。

彼の大統領選勝利は、承知のとおり、よく「歴史的瞬間」と言われている。おそらくほんとうの「歴史的瞬間」とはこんなものだろう。

忌憚なく言って、わたしには、場面も内容もまったく違うが、同じく歴史を明らかに劃する瞬間に出会った経験がある。それは昭和天皇崩御のとき。あのとき、右派も左派も、共産党も右翼も、みんな「裕仁という人格の外側」で論じることができなかった。そのときの「歴史のうねり」をふと思い出したりする。

さて、本題に入ろう。新シリーズを「完全解読」とした限りには、冒頭部分を解説しないといけない。単なる「挨拶」にあたる冒頭のところに何か深淵な意味があるのか?、そんな声も聞こえそうだ。

そんな疑念にははっきり答えます。

「おおあり」です。むしろ冒頭部分にこそ、彼の選挙キャンペーンの妙技が濃縮されて表現されていると言ってもいい。

では、こんな場面を想定して欲しい。あなたは目がねをかけている。そして選挙に立候補した。「目がねをかけているあなた」は、冒頭で何と言うか。

【続く】

2008年11月14日

バラク・オバマが目指す政治(1) ── A Dream from My Father とつなげてみよう

では、バラク・オバマの勝利演説を少しずつ解説してみよう。

と言っても、その前にまず整理しておきたいことがある。以前にここでも書いた彼の言うチェンジとは何かという問題、それを改めて彼の発言に即して整理してみたい。わたしは前のエントリーで、彼が政策 policy の変化だけではなく、「政治のあり方 politics の変化」を主張していることに着目してみた。それを今回は敷衍してみたい。なぜならば、それがわかる部分をよく見てみると、勝利宣言直後にわたしが書いた「キングの遺言の受け手」であるというところもさらに鮮明にわかってくるからだ。

1995年に著された彼の自伝 A Dream from My Father の 2004 年増補版のあとがきにオバマは、既存の政治、いまある政治を批判し、こう記している。少し長くなるが、彼の政治観を物語る重要なところなので丁寧に訳してみよう。

「もちろん、毎日仕事をすることで精一杯のおびただしい数のアメリカ人たちが語らなくてはならない、いまひとつの物語が存在している。そのなかには、職に就いているものもいれば、求職活動中のものもいるし、事業を始めたばかりのものもいるだろう。面倒をみなくてはならない年頃の子供がいるために仕事を抱えて家に帰らねばならないものもいるし、高騰するガソリン価格のために請求書と格闘しているものもいるし、さらには裁判所が破産を宣告した保険会社の年金に加入していたためにそれを受け取る権利を失ってしまったものもいるだろう。人びとは将来について思いをはせるとき、希望と恐怖を交互に経験する。人生は矛盾と不確実さに満ちあふれている。そして、彼ら彼女らが日々経験し続けているものについて政治がほとんど何も語らないため ── そして、彼ら彼女ら自身も、政治は使命感とは関係のないビジネスであり、ディベートと呼ばれているものでさえ実は大仕掛けの見せ物にすぎないと考えているため ── に、彼ら彼女らは内側を向き、喧噪、怒り、終わりのないおしゃべり、これらみんなから遠ざかってしまっている。
「このようなアメリカ人を真に代弁する政府には、いままでとは異なった政治が必要である。そのような政治は人びとの現実の生活を映し出す必要がある。それは予め包装紙に包まれたもの、つまり棚から下ろせば事足りるといったものではないはずなのだ。それは、われわれアメリカ人の最良の伝統からもう一度構築されなくてはならないものだし、われわれの過去の暗い部分も責任をもって物語らなくてはならないのである。そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所へ、どうして辿りついてしまったのかを理解しなくてはならないのである。そして、それでも、どれだけの差異がわれわれのあいだにあろうとも、それより多くのものをわれわれは共有しているのだということを忘れてはならないのである ── たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯、それを忘れてはならないのである。

さてどうだろう。日本政治を物語るときに流行したことばでいうと、彼はこのときからまった「ぶれて」いない。むしろ、この思いひとつで大統領選に勝ったと言っても良い。

それでも後の議論を明確にするために、いくつかのキーワードを解説しよう。

1.「そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所」

彼はここで、通常は状況と思われるところを、はっきりと空間概念「場所」に置き換えている。これは、まるで勝利宣言のWe will get there というのをすでに準備しているかのようだ。

実のところ、勝利宣言のなかにある"I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there"というパートを彼が流暢に言い放ったとき、あまりにもそれが流暢だったがゆえに周囲のムードが一変したものの、その真の意味については共通理解はなかった。自分がそのときいた場所(ミシガン大学)でもそうだったし、YouTubeにある録画画像にあるグラント公園の様子もそうだ。人びとがはっきりとわかったのは、彼が We as a people と口にした瞬間だった。そして周囲は絶叫する人もいれば、絶叫が終わったあとにその意味を聞いて絶叫する人も現れ、とんでもない状況になった。

これからだ、単なる選挙政治の散文的結果が、「独裁制からの解放」を祝うかのような祝典に変化していったのは。Diagと呼ばれるミシガン大学セントラルキャンパスの中心ではドラムが鳴り響き、あたりは解放感に包まれていった。

いまわたしは「解放感」ということばを使った。しかし実のところ、このことばの意味を知っていたわけではない。わたしはこのときにこのことばの内実を「経験」した。

さて、"We as a people get there"、このことばは、先に述べたキングの演説を彷彿させるとともに、アメリカ合衆国憲法の最初の文言を思わせる。さてオバマが何と書いているだろうか? 上をよく読んでほしい。「われわれアメリカ人の最良の伝統」と言っているではないか。そしてこれは、勝利宣言の冒頭のきわめて大胆な文言へと接続されている。

ここで、この箇所は「公民権運動のことじゃないの、それをこのブログが指摘しなくてどうするの?」と思われる方もいるかもしれない。もっともな指摘。確かにこの箇所は公民権運動「も」指示している。しかし、公民権運動が根本のところで依拠したのは建国の理念であり、合衆国憲法であった。この辺りのつながりに関しては、公民権運動の「参加目撃者」であるハワード・ジンが著した横の著書が詳しい。

2.二つめはかなりわかりやすい。「われわれの過去の暗い部分」。これは、明示的には人種主義の歴史のことであると考えてまちがいない。しかし、バラク・オバマの政治手腕の妙技は、これをはっきりと言わないところにある。言わないことを通じ、「たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯」を際だたそうとしているのである。

初回の今回はいささか長くなった。次回からは小出しに短くする。

なお、"A Dream from My Father"は、〈人種〉の憂鬱とそれを超克することの歓喜とが瞬時に入れ替わる「名著」だと思う。その文学的トーンはデュボイスの『黒人のたましい』に似ている。

2008年11月10日

バラク・オバマは何を起こしたのか? ── グラスルーツをみてみよう!

先のエントリーで少しばかり「過激」なことを書いたので、ではわたしが集めたもので「バラク・オバマが何を起こしたのか」を示そう。

20081109_fall_2007_small

上の写真(クリックで拡大)は、昨年の秋のミシガン州アナーバーにある大学の光景である。ここでは、08年の大統領選にマイク・タイソンを!という突拍子もないことを言っている。

さて、この写真は今年の秋、タイソンがなんとオバマになった。こちらをご覧ください。

20081109_fall_2008_small

ここでシニカルな人間はこう言うだろう。

「へへ、単に学生が最新の流行に乗っただけなんじゃないの?」

ちがいます。ぜったいにちがいます。

流行に乗せるだけで大統領選に勝てるなら、それは楽なもの。そりゃ、安いよ。そう思っている人、次の大統領選挙の顧問にでもなって、大学生票獲得の戦略を練ってください。

バラク・オバマは、本気だったから、タイソンを応援するような政治をシニカルに見る人間を大きく動かしたのです。そしてそれをかなり前から狙って行ったのです。

しかし、通信社や新聞社のアメリカ駐在記者、きちんと仕事をしなさい。眠気眼でみたCNNの内容をそのまま本社にメールするんじゃありません。街の人の声を聞いてください。というと、この人たちは、「街の人の声を聞いているCNNの放送」を配信するんだろうなぁ、きっと。

それをこれまでのオバマの著述と勝利演説とを解説することを通じて論じてみよう。では、これから「バトルグラウンドからの報告」に続き、新しいシリーズ「オバマ演説を読んでみる」を始めることにする。

グーグルでのヒット数を上げるのを狙っているようなものになって気恥ずかしいが、「We need a fudamental change not only of policy but also politics of our past ── バラク・オバマが目指す政治」とでも題して、新シリーズを始める(もちろん、そのほかのことも書きますが…)。

2008年11月08日

海外からみてわかる ── 日本の報道関係者ほんとうはバラク・オバマのことなどほとんど何も知っていないだろう!

今日の記事の題名を思いついたのは、日本では何が起きているのかなと思ってのぞいて見たこんな記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081108-00000055-jij-int

はっきり言って、アメリカではこんなことまったく、全然、どこのどの局でも「話題」にはなっていません。[ヤフーのサイトからは削除されたので、付言しておきます。この記事は、ナンシー・レーガンが占星術に凝っていたことを茶化して批判され、オバマがレーガンに謝罪したことを初の舌禍だとして報道しています。しかし、こんな舌禍、アメリカではほとんど報道されていません。報道されたのは、ほんの一瞬。その一瞬のあいだ、この報道を配信した時事通信の記者はテレビをつけていたのでしょう。そうして日本からの督促に応じて、急いであり合わせの記事を送ったのでしょう。あほらしい]

誰だ、この記事配信した記者は?

時事通信もついにイエロー・ジャーナリズムの仲間入りか?

何もわかっていないから、こんな記事を書く。

しかし、これが次期アメリカ大統領の最初の記者会見、しかもこんな世界情勢、こんな経済情勢のときに書くことかね…

もう一度言おう、何もわかっていないから、こんな記事を書く。

We as a people will get there の there が一体どこかわからなかったのは問い詰めないとしても(調べればわかるし、そう、あの日、シカゴのグラント公園にいてまじめに取材すれば教えてくれたよ、きっと)、知らないところ、それでも何か言わなくてはいけないところを「アホ記事」で濁すのはいかがなものかな…

2008年11月07日

I promise you, we as a people will get there ── バラク・オバマにキングが微笑みかけたとき

20081105_cnn_projection_small.jpg4日、開票速報をわたしは知人たちと一緒に観ていた。選挙の結果が出るまでは一緒に観ようと言ってイスに座ったのだが、当初は深夜にピザの宅配を注文することはもはや「予定」に入っていたし、徹夜も覚悟していた。ところが、改めて振り返ってみると、事態は恐ろしいほど早く進行した。

選挙の行方を支配する最初のバトルグラウンド州の帰趨が決定したのは8時45分頃。ペンシルヴァニア

9時30分頃、オハイオ州も民主党へ。

この時点で開票が始まっている州のなかで行方が注目されていたのはノース・キャロライナ州とヴァージニア州。この二つは先にここで述べた通り、歴史の岐路を示すかもしれない最重要州だ。そう簡単には決まらない(実際のところノース・キャロライナ州は本日結果が判明した)。

そんななか、これまでの世論調査などをもとにCNNが「マケイン勝利の可能性」を計算し始めた。その「計算」によると、太平洋岸3州が共和党に行くことは有り得ないので、ほかのすべての接戦を制しないとだめらしい。オバマが勝つ、そんな期待がこの時点で大きく膨らみ始めた。

ところが、国内に時差のあるアメリカという大陸国家、これから先の開票が進まない。わたしたちは、そこで、開票速報のパロディをやっているコメディチャンネルに切り替えて、カリフォルニアでの投票が終わる11時までしばし笑って楽しむことにした。

そうするとこれからが早かった。10時50分過ぎ、なんとヴァージニア州の行方が決まった。そして大票田のカリフォルニア州での投票がおわる11時をほんの少し過ぎたところ、なんとネットワーク局が一斉にオバマの勝利が確定と報じた。ウェストコーストでは、したがって投票が終わると同時に決まったようなものだ。

2000年の大統領選挙の大騒動があって以後、ネットワーク局は開票速報のあり方を吟味し、発表には慎重になっていると聞かされている。それでもこの結果はほんとうなのか?信じて良いのか?テレビの画面はおびただしい人が集まったシカゴのグラント公園、そしてこの日のために特別のライトアップをしたこの街が誇るスカイラインが映されている。

午後1過ぎ、オバマがステージに現れた。そして彼はその演説のなかで、こう述べ始めたのだ。

The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even in one term, but America,

このとき、わたしには、マーティン・ルーサー・キング博士が暗殺される前日に行った演説が思い浮かんだ。

キング博士はこう言っている。

Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now. I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the Promised Land. I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the promised land!

オバマがこの部分でキング博士を意識していたのはまちがいない。なぜならば、この一節はあまりにも有名なものだからだ。誤解のないように言っておくが、これを思いついたのは、わたしがとりわけてキングに詳しいからではない。

2008年11月5日、オバマは、このあと目を一段と鋭くさせ、黒人教会で育まれた独特のゆったりとしたケーデンスで、こう言い切った。

I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you: We as a people will get there.

ここでテレビに映し出されたジェシー・ジャクソン、彼の頬には涙が伝っていた。オバマは、キングの言葉、いやむしろ正確にはこう言うべきだろう、アメリカの人びとにキングが残した遺言をはっきりと引き受けたのだ。may not を will と肯定型に置き換えて。「「約束の地」に辿りついて見せる」と言い切ったのだ。

このことばが響いたのは何も「黒人」だけではない。そうわかっていたからこそ、オバマは、指示代名詞 there を用いたのだ。「そこ」と言っても、それはみなにわかったのだ。

グラント公園を埋め尽くした20万人が Yes We Can と初めて大きな声で連呼し始めたのは、この決定的フレーズのあとである。

ここでキング暗殺後の40年間、暗くアメリカを覆っていた雲が一瞬ではあっても開き、キング博士が微笑みかけた。

もちろんこの演説のなかには、106歳のアンナ・ニクソン・クーパーさんの逸話を初め直截的に黒人の闘争の歴史に触れたところもある。しかし、その歴史を確実に踏まえたうえで、もっとも強く「新しい時代が来たのだ」と宣言したのは、実は、「黒人」ということばも、「人種」ということばも、「公民権運動」ということばも出てこないこのような箇所なのである。

ここにこそ、バラク・オバマの人のこころに訴えかける政治家としての類まれな才能が現れている【続く】

2008年11月06日

決定的勝利、人種の壁を破壊する

今日のエントリーのタイトルは、本日のタイムスのトップ記事の見出しである(ちなみに明け方まで自分の住んでいるレジデンス・ホールの方々と語り合っていたため、新聞を買いに外に出たときには、すでに売り切れていた)。

ここでわたしは、大統領選の中心は経済危機を初めとする国内問題であるというのはまちがいであり、いつのときでもつねに人種であると主張してきた。選挙運動はそう展開しているし、アメリカ大統領選挙の歴史自体がそうであると伝えてきた。

ところが〈人種〉に関する問題に触れるには、それなりの「覚悟」がいる。この問題には、だからこそ、選挙選のテーマとして表立って取り上げられはしなかった。それゆえ日本のメディアは、表面だけをみて勘違いしたのだろう。

バラク・オバマの政治的才覚の極みは、このいつ爆発するかわからない問題の「解決」に拘泥するわけでもなく、そしてまたそれを「回避」するわけでもなく、かくして一見「世渡り上手」に振る舞っているようにいて、実は正面から取り組んでいたところにある。

その結果、「人種の壁」は「破壊」された。

彼の存在自体が象徴するものの意味は、言語をこえたところで、この選挙戦を目にしたものたちのこころに響いたのだ。

アメリカの選挙戦では、テレビなどの放送メディアを駆使した運動を「空中戦」と呼び、運動員を展開させ、遊説を行っていくことを「地上戦」と呼ぶ。ここでも紹介してきたように、地上戦はオバマが圧倒的な「戦力」を駆使した。そこには、ブッシュの8年の政権のあいだにすっかり気恥ずかしくなって言えなくなってしまった理念の復活、「アメリカ民主主義の力」の復活があった。

Are you registered vote? と呼びかける彼ら彼女らの姿は公民権運動家の姿とわたしのこころのなかでは重なった。そして、市民ではないけど、こうこうこういった事由であなたたちのやっていることに関心があるから話を聞けないかと聞くと、みながこう答えてくれた。"Yes, you can"

オバマの選挙戦は、キャンペーンというより、ムーヴメントである。

さて、彼の自伝を読み返していると、改めて気になるセンテンスがあった。次回は、そのセンテンスを、彼の当選がきまった瞬間を振り返りながら、解説してみたい。

2008年11月05日

バトルグラウンドからの報告(23) ── わたしは恥ずかしいと思う

シカゴのグラント・パークを埋め尽くした12万人の人びとと、アトランタのアビニザー・バプティスト教会に押し寄せた無数の会衆と同じく、今宵はわたしも眠れそうにない。

市民が民主的権利を得たばかりの「第三世界」の国が民主的政治過程に沸く姿はテレビでおなじみのものだ。

しかし、今回は、それがアメリカで起きた。

その真只中にあって思う。

わたしは、わたしが8月まで住んでいた選挙区を恥ずかしいと思う。政権を投げ出した人間の郎党をいつまでも当選させている選挙区を、とてもとても恥ずかしく思う。

いちおう「遠隔地ナショナリズム」という言葉を知っている人間ではあるが、あまりにもわたしが住んでいた選挙区は恥ずかしい。

バトルグラウンドからの報告(22) ── アメリカ市民のみなさん、ありがとう!、そしておめでとう!

20081104_vote_here_small.jpg1976年以来の民主党候補の圧勝でこの大統領選挙は終わりました。

後日、改めて解説しますが、バラク・オバマは強烈な勝利演説をしました。

アメリカ市民のみなさん、ありがとう。あなたたちは、ブラッドレー効果が云々と言っていた「識者」を見事にあざ笑い、「世界」が誇りに思える人物を立派に選択してくださいました。投票ができなくて悔しかったのですが、トマス・ジェファソン、フレデリック・ダグラス、エイブラハム・リンカン、マーティン・ルーサー・キング、そしてマルコムXすら想起させる一連の「アメリカ的思想」を立派に胚胎する人物が大統領になれるのは、あなたたちの選択があってのことです。

バラク・オバマは、よく考えてみれば、これまでつねに過小評価されてきた人物です。そんな疑念に負けず、聡明な選択をしたあたたたちの勇気ある選択に「おめでとう」と言いたい。そして、そんなあなたたちを「世界市民の同胞」として生きるわたしは、この時間、このひと時、この一瞬をあなたたちと共有できたことをとてもとても誇りに思います。

ミシガン州では投票したものに"I Voted"と書かれたシールが配られていた。それを貼っている人びとの顔にははっきりと誇りがあった。全米でそのような光景が見られたにきっと違いない。

現時点、ここでわたしが最終的な注目のの場と述べた南部2州、ヴァージニア州をオバマが獲得した。ネットワークテレビがオバマに当確を宣言したのは、それから10分も経たないあいだだった。

牧師を務めているという白人の方から、こんな話を聞いた。

Rosas sit down, Martins walk, Obamas run, then, our children are gonna fly!

政治プロセスを通じて人びとのスピリットを高めること、これは公民権運動そのものである。それを目の当たりにして、驚き、そして正直、うらやましいと思った。

最後に今日、この日に一言。だから昨日言っただろ、ブラッドレー効果は選挙の帰趨を差配する規模では起きないって!!!

2008年11月04日

バトルグランドからの報告(21) ── Way Out of No Way, Keep Your Eyes on the Prize, Hold On!

20081104_michigan_union_obama_small.jpgネットで日本における報道をみると、この選挙の争点は経済に代表される国内政策だという議論が支配的である。しかし、はっきり言おう、これはまちがっている。

では、バラク・オバマ流に、問題点を4つ指摘しよう(左の写真はクリックで拡大)

ナンバー1。首尾一貫してオバマがリードしているにもかかわらず、接戦と報じられているのはなぜか。日本ではなじみのない政治学用語であるブラッドレー効果が、改めて取り沙汰されているのはなぜか。ブラッドレー効果が起きるというのは、「アメリカ人なんて、きれい事はたくさん並べるけど、結局のところ人種主義者なのよ」と言っているに等しい。これは昨日述べたことでもあるが、わたしは、そのような意見に対してこう述べたい。ブラッドレー効果はいくらかは起きるのはまちがいないが、選挙の帰趨を支配することはない。

ナンバー2。本日もオバマは遊説先で「期日前投票」を呼びかけている。なぜならば投票日には何が起きるかわからないかららしい。そういうのも無理はない。2000年フロリダ州、2004年オハイオ州と、投票権の剥奪と投票妨害が露骨に行われるということが続いたからだ。しかも、それはマイノリティの居住区を標的にしていた。現在行われている期日前投票では、予測できることではあるが、投票を行った者の圧倒的多数がマイノリティであると報じられている。

ナンバー3。経済はもちろん争点だ。しかし、ブッシュ政権の政策がまちがっていたこと、野放図な放任主義が今回の経済危機の原因であること、この大枠の認識についてオバマとマケインのあいだに差異はない。どちらが大統領になるにせよ、「規制」が強まることは、したがって、簡単に予測されることであり、税制における差異は、大半の有権者の関心を集めるには、専門的すぎる。

ナンバー4。共和党が選挙戦の武器にする「大きな政府」「テロ」の二つは人種を暗示する「コード化された言葉」である。前者は福祉に依存する都市の黒人やラティーノ、後者は中東出身者。後者の人種化は実に都合が良い。オクラホマ連邦ビルを爆破したのが「アメリカ第一」(今回の共和党のスローガンは Our Country First)を唱える武装民兵だったことはすっかり忘れているのだから。

さて、40 年前のキング牧師暗殺のあと、ロバート・ケネディ上院議員がこう述べた。

「あまりあせるのはよくありません、黒人は、そうですね、ええ、あと40年もすれば大統領になれるでしょう」。

ロバート・ケネディは、公民権運動の支援はもとより、ブラック・パワー運動にも一定の理解を示し、黒人層のあいだで人気の高い政治家だった。ところが、恩着せがましいところがあるこの発言に、黒人市民は嫌悪感に近い感情を覚えた。1968年、黒人ははっきりと We Can't Wait と言い始めていたのである。

今年は、それからちょうど40年目に当たる。

その間、シャーリー・チザム、ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトン等々、数多くの黒人が大統領選に挑んだ。ところが二大政党の予備選を勝ち残る人はおろか、その近くにさえ行った人物もいなかった。1988 年のジャクソンの11州で1位、それが最高だった。

ジェシー・ジャクソンらとはっきりことなること、それは抗議の声を届けるためではなく、選挙に勝つためをオバマは目標、自分の「希望」にしたということだ。その目標は、おそらく彼が政策論を論じた著書のタイトルに現れている。

希望をもつ大胆さを Audacity of Hope

そして、このタイトルもまた、黒人政治の伝統にはぐくまれたもの。論争を呼んだジェレマイア・ライト氏の演題からインスピレーションを受けたものだ。

大統領選を本格的に争う黒人は、遅かれ少なかれ現れると思っていた。しかし、近年の政治の流れからして、

黒人英語、エボニックスの表現に"way out of no way"ということばがある。方法はなくても何とかして成し遂げろ、これは、奴隷制に始まる不条理な世界で生きてきた人びとが継承してきたもっともたくましく高貴な遺産だ。

その遺産をまちがいなく継承しているオバマは、ハロルド・ワシントン当選当時のシカゴの黒人コミュニティを回顧してこう述べている。

「ハロルドがサウスサイドの人びとに持つような意味、果たしてわたしはそれを持つことができるだろうか、そう自問してみた。そしてもしわたしのことをよくわかってくれたならば、彼らはハロルドに対して抱いた感情と同じ気持ちをわたしにも抱いてくれるだろうか」

11月4日、全米各地が、「記録級の投票率」を予測し、投票ができるまで数時間もかかる混雑が危惧されている。まちがいなく、今日は長い一日になる。

そのムードは、いささか 1963 年にジェイムス・ボールドウィンが感じたものを思わせる。彼はこう述べている。

「いかなるものであれ、天空に大変異が起きるのは恐ろしいことだ。なぜならばそれは、誰しもが持つ現実感覚を激しく攻撃するからである。そこで言いたいのだが、黒人は、白人が支配する世の中にあって、ある一つの動かない星となっていた。じっとしていて動かすことができない支柱となっていたのである。黒人たちがそれまであてがわれていた場所から動きだすにつれて、天と地が大きく揺れ動きはじめている」。

アメリカの天と地が動き始めた。

Way out of no way, Keep your eyes on the prize hold on!

2008年11月03日

バトルグラウンドからの報告(20) ── 恐怖を超える瞬間

この週末を迎える前、各種の最新の世論調査が発表されたが、概してオバマが 10% 程度のリードを保っている。アメリカ大統領選挙が、州別の Winner-Take-It-All 制度のために、一般投票がそっくりそのまま投票結果に反映するということはありえないが、このリードは、しかし、ブラッドレー効果があったとしても、オバマが勝利する高い可能性を示している。

ブラッドレー効果は、多かれ少なかれ見られるであろう。

こちらで知り合いになったインド系アメリカ人からこんな話を聞いた。友人のなかに「黒人をホワイトハウスの住人にしたくはないから、オバマには投票しないよ、ここだけの話だけどね」という人間がいたらしい。その発言に驚き、「ちょっと何を言ってんの?、わたしを見てくれ!」と訊ねたところ、発言の主はじっと黙り込んだままになったらしい。これはわたしが住んでいるきわめてリベラルな街でおきたことだ。

しかし、オバマが、ここまで 1976 年のカーター以来、白人男性からもっとも高い支持率を記録した民主党候補であることもまた事実だ。少なくとも民主党予備選において、ブラッドレー効果は大規模なかたちでは起きなかったのである。

予備選から通してのこの選挙戦ではいくつかの「転機」があった。オバマは、ヒラリー・クリントンと同じく、包括的政策によって中流以下の層の生活環境の改善を主張している。実のところ、〈大きな政府の復権=民主党〉対〈破綻した小さな政府の改善維持=共和党〉というきわめてはっきりした構図が描かれている本選挙に較べ、民主党予備選の方は政策論的対立がほとんどなかった。そこでは、政権中枢にいたヒラリー・クリントンと、外部にいたバラク・オバマとの個性とキャリアの対立であった。

わたしは、当初、黒人候補に勝ち目はないと思い、ヒラリー・クリントンを支持していた。

なぜならば、黒人が直面している社会政治的問題のほとんどは、人種問題として規定するよりも階級的問題であり、人種主義という人間のこころの問題に対処するよりも、現下のアメリカの貧富の格差を考えると、階級的問題に対処することが急務であると考えたからだ。そのためにはかつてこの国に存在していたニューディール連合に近い政治連合を復活させる必要がある。それができる一番近い人物はヒラリー・クリントンだと思っていた。

そして黒人市民もそう考えるものが少なくなく、連邦議会黒人議員幹部会 Congressional Black Caucus に至っては、ほぼ全員がかかる観点からヒラリー・クリントンを支持していた。

ところが、その流れが一気に変わってしまったのは、おそらくサウス・キャロライナ予備選の後、ペンシルヴァニア州予備選までのあいだだろう。より正確に言えば、オバマが長く親交を暖めている牧師は、アメリカを酷評し、テロの標的になっているのは「自業自得だ」と説いているということが突如「発見」されたあとのことだ。

わたしは人種主義にこだわることもしなければ、それを無視したりもしない、より完璧なユニオンに向かって努力することこそがアメリカの果たすべき役割であると述べた彼のそのときの演説は、おそらく2004年民主党大会の基調演説とともに、これまで彼が行った演説のなかで最高のものだ。

そしておそらくアメリカ黒人史上でも、フレデリック・ダグラスの独立記念日の演説、マーティン・ルーサー・キングの幾多の名演説などに匹敵する名演説だ。この演説は、単なる選挙遊説ではなく、アメリカの歴史経験が滲み込んだきわめて秀逸なものである。

前にも述べたことであるが、ここで彼は白人票に簡単に言ってこう訴えたのである。

そうです、わたしは「黒人候補」です。だけど安心してください、わたしは怒っていません。しかし忘れもしません。いまは忘れられるときではないのです。だからお願いです、一緒に努力しませんか。

さて、このような観測にたって、はっきりとこう述べたい。

もはやこの選挙は勝利の帰趨が問題なのではなく、オバマがどのような勝ち方をするかが問題である。過日も述べたノース・キャロライナ州とヴァージニア州がどうなるか、そして同時に行われる上下両院選挙がどうなるか、それが問題だ。

ここに来て、ノース・キャロライナ州やヴァージニア州だけでなく、ジョージア州も民主党になる可能性が取りざたされている。特に上院議員選はかなりの接戦になっており、もし上院が民主党になるとすると、それだけでも快挙なのだ。

喧伝されているブラッドレー効果は、おそらく選挙結果を左右するかたちでは起きない。なぜならば、トム・ブラッドレーが善戦した州知事選挙からすでに24年の月日が流れており、その間、アメリカ市民の多くが黒人に投票することに過度の「アレルギー反応」を示さなくても良いようになったはずなのである。その証拠に、白人の票を多数獲得して選挙戦に勝利した「黒人市長」のことを考えてみれば良い。都市部に住む白人の多くは、「黒人政権」に恐怖を感じるほど愚か者ではない。(なおジョージ・W・ブッシュが、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライスを国務長官という要職に登用したことも、人種的恐怖を減じるにあたっては多いに貢献したはずだ)。

昨日ここで紹介したハロルド・ワシントンは、こう言ったことがある。

「わたしはできることなら白人たちの恐怖心をなだめたいと思っています。しかし、白人のアメリカ人、そして彼らが中心となっているビジネス界の人びとに向かって、「ほらわたしは良いやつです、わたしはまっとうな教育を受けてもいますし、信頼できる人間なのです」などと言って回ることに人生の多くの時間を費やしたくありません。そんなくだらないことで時間を無駄遣いしたくないのです」

オバマも、おそらくフィラデルフィアで演説を行う前、どうようの感慨に包まれたことだと思う。誰でも想像つくだろう、能力がある人間が、その能力とは別の判断基準をもとに能力を否定され、そして「わたしには力があります、わたしは善良な人間です」と「証明」しなくてはならないことの「鬱陶しさ」は。

来る政権の政策がどう動くか、それはいまの時点で予測することは不可能だ。

ただし、人種的差異を原因とする恐怖心の超克、この可否はもうすぐ結果が出る。わたしは、きっと、Yes We Can!, Why Not? という結果が出ると思っている。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それでもはっきりと変わるときがある。ゆっくりとはっきり変わるときがある。

2008年11月01日

バトルグラウンドからの報告(19) ── 「この街で何かが起きている」

こちらに来てから知り合いになった黒人の政治学者の方がこんなことを述べていた。その学者は、オバマの自伝の書評を頼まれて初めて、彼の著作 Dreams from My Father を買おうとした。ところが、書店が言うには、置くとすぐに売り切れになるので在庫がなく、一週間待たなくてはならないと説明を受けた。そこでこう思ったらしい。「この街で、この圧倒的多数が白人の街で何かが起きている」。

その後、今年の2月28日、公民権運動の英雄のひとりで連邦下院議員のジョン・ルイスは、「オバマ上院議員の立候補は、この国の人びとのハートとこころのなかで起きていた新しい運動、アメリカの政治史を画する新しい運動の象徴になっています。そしてわたしは人びとの側に立っていたいのです」という声明を発表し、それまでのヒラリー・クリントン支持の立場を改め、オバマ支持を表明した。そのときに彼はまた、1月のアイオワ党員集会以後の2か月間、かつての公民権運動時代を思わせる若者の動きがあること、そしてその動きの先頭にオバマがいることを驚愕が混じった喜びで語っていた。

驚くのも無理はない。オバマが生まれたのは1961年8月4日。彼は1960年代公民権運動を知らない。

夏にアメリカに来て以後、ここで述べてきたように、さまざまな場で「有権者登録」を呼びかける人びとに出会ってきた。これまでこのような活動をしている人びとと出会わなかったわけではないが、今年に限ってははっきりと以前と異なる特徴があった。それは有権者登録を呼びかけている人びとが若いということ。

それは1964年フリーダム・サマーを思わせるものだった。そして彼ら彼女らは、今週末、4日の投票日に確実に投票所に行くことを呼びかける Get-Out-the-Vote 運動に精力を集中している。

実はオバマの政治経歴には手痛い「敗戦」の跡が残っている。2000年、ブラック・パンサー党シカゴ支部の創設者の一人、ボビー・ラッシュが現職を務めている連邦下院議員の席を狙って彼は立候補した。ところが、彼の人種的アイデンティティが問題になるなか、彼はラッシュの前に完敗したのである。

実はこの敗北を契機に、彼は自分のルーツを忘れていては政治の世界で活躍することはできないと悟り、シカゴのサウスサイドの黒人政治家のサークルのなかに足を踏み入れ、そこで足場を固めることを改めて行い始めたという。当然のことだが、このときに彼はかつての公民権運動家たちと親交を深めることになったのだ。ボビー・ラッシュは敵に回すものではなく、学ぶ先達であると理解したのである。

そのような彼の運動が公民権運動の影響を受け、その流れを汲んでいたとしても何の不思議はない。

これが、彼が継承したものの唯一最大のものである。

今年の夏の民主党全国大会、それはワシントン大行進からちょうど45年目にあたった。キングの偉業を称える特別の催しもあり、その後、指名受諾演説を行った彼は、あたかもキングの衣鉢を継承したもののように見えた。そして実のところ、民主党全国委員会は、まさにその効果を狙ったのだと思える。

そしてまた、夫人のミシェル・オバマが演説を行った日には、幼い子供たちもステージ上に現れ、「ホワイトハウスの住人になる黒人家族」の姿がはっきりとアメリカ市民の前に提示された。そして、それもまた、60年代のある光景を思わせるものだった。幼い子供がいる若い大統領。そうジョン・F・ケネディである。

今年6月のアメリカ学会政治分科会で報告を行った際、わたしはオバマの選挙参謀のなかにシカゴ民主党主流とそれから少し左に位置する陣営との「手堅い連合」が生まれていることを指摘した。簡単にそれを振り返ると、デイレー市政の一翼を担っている人びとと、シカゴ市政の文脈では「レイク・フロント・リベラル」と呼ばれている人びと、そしてサウスサイド、ウェストサイドの黒人政治家の大連合が、彼の選挙参謀の重鎮のなかに簡単に見て取れるのである。

これは、実際のところ、簡単にできる話しではない。以前に一度シカゴ市政では、白人リベラルと黒人の大連合が成立したときがある。1983年から死去する87年まで同市の市長を務めたハロルド・ワシントンの時代がそうである。ラディカルな黒人政治学者のマニング・マラブルは、このときに見られた白人労働者階級と黒人の連合政治を、公民権運動の遺産を継承する最良のものだと評価している。

バラク・オバマは、市民団体で働いていた時代、ハロルド・ワシントンとの親交があり、それがきっかけで政界を目指すことになっている。彼の自伝の邦語訳では「ハロルド市長」と、実に奇妙な訳語があてられているが、原文では単なる Harold。つまり、ファーストネームで呼び合う間柄だったのだ。

そのハロルド・ワシントンの市政の特質が、黒人の人種としての特殊利害を追及するのではなく、より包括的 universalistic な文脈に問題を置き直し、政策を推進することにあった。これはオバマの政治姿勢そのものだ。

以前、わたしは、ここでニューワーク市長のコーリー・ブッカーを紹介するのと同時に、オバマのことを新しい世代の黒人政治家として紹介した。この新しい黒人政治家は、実のところ、黒人の運動の最良の部分を継承するものでもあるのだ。なお、わたしはニューワークとシカゴに関心があり、彼らのことを知るに至ったわけであり、何も日本でいち早く彼を「発見」した人物であると主張するつもりはない。彼の活躍を知るに至ったのは、20年以上地味な研究を積んできたことの嬉しい喜びであった。

さて、いよいよ投票日まで時間がなくなってきた。歴史研究者は予測など下手にするものではなく、下手な予測はブログ炎上の契機になりかねないが、次回は思い切って観測可能なことについていくつか述べることにしたい。冒頭で紹介した言葉を述べた方は、こうも言っていた。「さあ、われわれの候補の行方を期待とともに見守ろうではないか」。

バトルグラウンドからの報告(18) ── Are You Ready for Change?

オバマの言う「チェンジ」と旧来の「チェンジ」の相違を語る前に、いささか頭の体操をしてみたい。

前回ここで紹介した政治学者が、そのとき、このようなことを述べた。「〈黒人〉と言われている集団の具体的な像は、社会的、政治的に決定されるものであって、生物学的・生理学的な根拠はどこにもない」。

これは、いわゆる「社会構築主義」の教科書的定義にすぎない。ところが、オバマの選挙戦を語る際に、彼女が使った以下のような比喩は、この一年間の間におきた現象をよく物語っていると思われる。

これを読んでいる方、「リンゴ」を思い浮かべてください。そのなかで「赤いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。また「青いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。はたまた、「銀色の背景に白く浮かぶリンゴ」、つまりアップル社のロゴを思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。彼女がいうには、オバマは、この最後のリンゴに喩えられるというのである。

とはいえ、これは何もアップル社を宣伝してのことではない。その言わんとすることはこういうことだ。

オバマは旧来の人種政治の枠組みでは捉えられない新たな現象であり、1960年代以前、公民権運動以前には存在しえなかった「黒人」が政治の最前線に登場してきたことを意味する。

さて、オバマの支持層のひとつが18歳から29歳までの青年層。年配の方のなかに、上にあげた三つ目のリンゴをイメージする人びとは少ないであろう。なぜならば「オバマ」は新しい「現象」なのだから…

そのオバマの「新奇さ」は「人種」だけに留まるものではない。

彼は「これまでの二大政党の候補のなかではもっとも薄い履歴書の持ち主」と呼ばれているし、実際にそうだ。だから共和党は彼の「経験不足」の攻撃にやっきになり、5500人の人口しかなくても市長を経験したことのあるペイリンの方が大統領として資質を備えていると豪語したのだ。

9月の共和党大会で演説を行ったルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、そのようなオバマの経歴をきわめて陰湿な形で揶揄した。オバマに言及し、彼の経歴「コミュニティ・オーガナイザー」を紹介するときに、露骨に皮肉を込めて吹き出してみたのである。

ところでしかし、実際のところ、「コミュニティ・オーガナイザー」が大統領になるというのは大変なことだ。邦語がある彼の伝記の訳語ではこのことばに日本語があてがわれていないが、敢えてその仕事の内実から意訳すると、それは「市民団体職員」になるであろう。この経歴の持ち主は日本国首相にもなれないかもしれない。さらにこれに「大学教授」というのが加われば、それは、自民党や民主党というより、むしろ社民党の議員の響きがある。

ずいぶんと前置きが長くなったが、本題の「チェンジ」の内実に迫ろう。

アメリカ政界に必要なのは「変革」である、そのようなことぐらい、実は、政治家なら2006年中間選挙の共和党の惨敗を見て誰もが理解していた。だから、ブッシュ政権と距離をもつことが必須となったのだし、マケインが候補指名受諾演説で「ワシントンには変化が来ている」と言ったのもそのためだ。現状維持では選挙に勝つことはできない。

正直のところを言って、わたしは、そのような状況のなかで大統領予備選が始まったとき、当初のところヒラリー・クリントンを心情的に応援していた。なぜならば、オバマの今回の選挙戦は2012年か2016年を見据えての「予行演習」であり、クリントンならば共和党保守派に互するに十分の政治力をもっていると思ったからだ。そしておそらく、そのような見解は、少なくとも3月まではリベラル派の意見の体勢であっただろう。またこれははっきりと言えることだが、黒人研究に従事している人間のなかで、現在の状況を「予測」したと豪語する者がいるとすれば、それは、その人物がひどい日和見主義者か、ろくすっぽ研究を行っていなかったからである。過去の出来事を振り返れば、大統領はおろか、大統領候補にすらなるのは無理だと思うのが自然だからだ。

したがって、もうすでに政策の面ではともかく、政治の面ではアメリカでは「変革」が起きたのだ。

つまり、オバマの言う「チェンジ」とは、狭義に解釈して、「政権交代」と理解するべきではないのだ。9月に共和党も「チェンジ」をスローガンにしてからは、共和党の「チェンジ」と自分の「チェンジ」を差異化するために、彼はしばしばこう言っている。

We need a fundamental change in our policy, in our politics.

ポイントは最後の方だ。彼は政治を考える方法、政治行動のあり方、それを根本的に変える必要があると言っているのだ。

これは時と場合により、こうも響く。「アメリカの政治制度は人種主義によってゆがめられてきた、その政治のあり方を変えましょう」。以前、彼は怒りを表現しない「黒人政治家」であり、そうするには理由があるということは述べてみた。その議論に今回の議論をつなげると、こうなる。彼はこう訴えているのだ。

人種主義を超克した新たな「アメリカ政治」をつくろう、そのリード役をわたしに任せてほしい、わたしは過去のことで怒ったりはしないから、一緒にその変革への一歩を踏み出そうではないか。

もちろんこれは美辞麗句である。他面、人種主義や偏見といったものは、どす黒い情念だ。

しかしだからこそ、アメリカの有権者はこう問われているのだ。「あなたには勇気がありますか?」。だからオバマは、政治集会の際に、こんな常套句を使っている。

Are you ready for change?

こう説明するともはや明らかだろう。少し注意して彼の演説に耳を傾けてみれば、彼がこの言葉に冠詞をつけていないのがわかる。これを「政権交代への準備はできているか」と取ってはまったく真意を外している。政権交代が頻繁におきるアメリカ政治にあっては、もはやそれは問われるものですらない。彼は、変革には痛みや怖れが伴う、そんな変革への心構えはできているのか?、とアジっているのである。

〈アメリカ〉は、この選択を迫られ、恐怖と希望の狭間で震えている。

インターネットの活用や、それを通じた政治寄金の集め方など、オバマの選挙戦術は、アメリカ政治に大きな変革をもたらした。そしてここ最近、このブログで報じてきたように、1988年の大統領選挙以後、邪険な力を思う存分発揮してきた誹謗中傷公告がバックファイアするにつれ、アメリカの大統領選挙のあり方に今後大きな変貌が生じる可能性も出てきた。

この白熱した選挙戦の結果、ミシガン州での有権者登録者の率は有権者総数の98%に達したという脅威的な数値の報道もなされている(おそらく10月中旬に二大政党が選挙運動を止めたミシガンがこうならば、他州の状況も同じであろう)。

さて今回はチェンジについて述べてきたが、実のところ、書きながらも、どうまとめて良いのか不安であった。いまのわたしは、これを書き終えて、若干見通しができたところにいる。「変革」について述べた次は、では、彼が継承した「遺産」について述べてみよう。

2008年10月29日

バトルグラウンドからの報告(17) ── 魅力は、自己規律、知性、前向きなこと

本日、アメリカのネットワークテレビでコメンテーターをしている方の講演を聴き、その後レセプションにお邪魔してきた。その人物(黒人女性)が言うことには、オバマには、三つの類稀な資質があるという。

・自己規律 discipline
・知性 intellect
・前向きなこと optimism

彼女の意見では、1984年と1988年のジェシー・ジャクソンの選挙戦のときと、オバマの表向きの政治的メッセージは同じらしい。

それはチェンジ。

思えば政権政党でない限り、言うことは決まってチェンジ。チェンジは「政権交代」と訳しても良い。つまりアメリカの民主党の主張は日本のそれと大して変わらないのである。そしてまた、政権政党が野党候補の「経験」を問うあたりの構造まで同じだ。

では、オバマは、いったいどこが質的に、幾多あるチェンジと違うのか。次回はこれについて語ろう。

2008年10月26日

バトルグラウンドからの報告(16) ── ヴァージニアとノース・キャロライナの帰趨が持つ意味

いよいよ大統領選挙もあと10日を残すばかりとなってきた。ここまでのところオバマの圧倒的有利。その勝利のあとに述べることになると、「後出しジャンケン」に近いものになってしまうので、投票日が来る前に述べなくてはならないことは急いで述べておきたい。次期大統領は、おそらく3名の最高裁判事を指名するといわれている。現在最高裁は保守派に力が傾斜していること、そして判事には任期がないということを考えると、共和党の勝利は今後約20年間の保守政治を意味し、民主党の勝利は保守からリベラルへの潮流の変化を示す。そのことを考えても、今回の選挙が将来にもつ意味は大きい。

そのことを踏まえたうえで、前の予告にしたがって、今回は中西部のバトルグラウンドではなく、南部のヴァージニア州とノース・キャロライナ州が今回の選挙で持つ意味から始めよう。

これまでの大統領選挙の結果を見ればわかる(ヴァージニア大学のサイトのなかにあるこの地図がわかりやすい)ように、1972年のニクソンの強烈な地滑り的圧勝以来ジミー・カーターが勝利者となった1976年を除き、南部は一貫して共和党の「票田」となっている。さらに重要なことに、これら共和党陣営に加わった諸州は、1968年に人種隔離の維持を訴えて民主党から離脱し、独自の選挙戦を展開したジョージ・ウォーレスの票田を継承しているということだ。

つまり、公民権運動を陰から支援し、公民権法制定の原動力となった民主党は南部から「見捨てられ」たのである。ノース・キャロライナ州のジェシー・ヘルムス、サウス・キャロライナのストロム・サーモンド、ジョージア州のニュート・ギングリッジ、ミシシッピ州のトレント・ロットなど共和党保守派は多くこれらの南部から選出されている。

ところでオバマはこれら南部諸州で圧倒的強さを示した(『ニューヨーク・タイムズ』のこの地図をみればよくわかる)。日本でその頃よく語られた表現が「黒人人口が多いこの地域ではオバマ氏の圧勝が予測されます」といったものだった。

しかし、この表現は、大統領選には通用しない。これらの州の多くで民主党は勝利を見込むことがまったくできないのである。その事情は、南部出身であったビル・クリントンでさえ、南部共和党保守派の力を崩すことができなかったことから明らかだ。

ところが南部のなかでもいわゆる「境界州」と呼ばれるヴァージニア、19世紀後半より比較的リベラルなことで知られていたノース・キャロライナは、今回バトルグラウンドとなっている。そしてオバマは、民主党予備選のとき、ヴァージニアでは64%対34%、ノース・キャロライナでは56%対42%という二桁台の差をつけてヒラリー・クリントンに圧勝した。

なぜならば、ヒラリー・クリントンは、これらの州はいずれにせよ本選挙で共和党の票田となるのが確実なため、目立った選挙戦は行わなかったのである。

この民主党予備選の地図と、世論調査の最新動向を横にしてみれば、ヒラリー・クリントンの選挙戦が本選挙をにらんで実に手堅い戦略に依拠していたのがわかる。「共和党支持州 Red State」で確実に勝利をすることでオバマは、ヒラリー・クリントンを追い込んでいったのである。だからこそ、「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate を自負していたヒラリー・クリントンは「本選挙で勝てる力をもっているのはわたし」となかなか負けを認めようとしなかった。

しかし、ノース・キャロライナ州は、10月23日の世論調査で、49% 対 46%でオバマが若干の有利、ヴァージニア州に至っては51.5% と 44.0%と、「ワイルダー効果」を踏まえてもオバマが勝てるほどの大差でリードとなっている。つまりヒラリー・クリントンが「諦めていた州」が民主党に傾きつつあるのだ。

ヒラリー・クリントンは、南部で民主党が勝つのは厳しいと目した。ここでもう少し歴史的経緯を踏まえて考えてみよう。南部で民主党が地盤を失ったのは、ほら、公民権法とその後のマイノリティ政策が原因である。そしてクリントンはまだその「失地回復」はできないと考えていた。

ところが「黒人候補」がそれを獲り戻ろうとしているのだ。これは、アメリカの人種関係、そしてそれに多く規定され続けるアメリカの政治の変化を語ってあまりある現象だといえよう。最終的選挙結果がでなければ何ともいえないところではあるが、「アメリカ政治の歴史的変化」が起きる可能性があるのだ。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それを踏まえるとゆっくり変わっていくところを、政治や社会をみつめるものはじっくりと見なくてはならない。そして、いま、そして、バトル・グラウンドでゆっくとした変化が起きそうなのである。

戦後の大統領選挙で、「地滑り的勝利」 landslide victory と呼ばれた選挙は3回しかない。1964年のジョンソン1972年のニクソン1980年のレーガン、なかでも後の二つは政治は保守へ大きく振れた。現在、民主党の「地滑り」、さらには完勝 sweep という予測がなされているが、もしそれが現実になるとすると、それは大きな歴史的意味をもつことになるであろう。奇しくも共和党候補の出身州は1964年のバリー・ゴールドウォーターと同じ、アリゾナ州である。ひょっとすると、1964年と同じような地図くらいにはなるかもしれない。

2008年10月22日

バトルグラウンドからの報告(15) ── アナウンスメント効果と民主主義

この前ここで説明したブラッドレー効果と違い、日本の選挙でもしばしば言われることだからご存じの方もきっと多いかもしれない。大統領選挙は、各種の世論調査やわたしが肌で感じたことから考えて、今度は「アナウンスメント効果」を考えなくてはならないところに来たようだ。第3回の討論会後、オバマ陣営は「安心するのはまだ早い」と言っているが、それもこの効果を考えてのことであろう。

アナウンスメント効果とは、世論調査である政治勢力の優勢が伝えられた(アナウンスされた)場合、その優勢の政治勢力とは反対の党に投票したり、もしくは勝利が確実だと当て込んで投票に行かないという動きが現れることを言う。

民主主義とは、実に良くできた制度だ。極端な方向に政治が傾かないようになる動きが組み込まれているのである。ほかに良い制度があると夢見ることはできるだろうが、現実としてわれわれはこの制度以上に優れているものを知らない。

そして、これはまた後日詳述したいが、「民主主義とは衆愚政治だ」と発言したり、「政治を知らない素人とそれを知っているプロとが同じ一票だというのはおかしい」とか述べたり、「民度が低い」などというわけのわからない語彙を駆使したりする人間に限って、民主主義それ自体への理解はきわめてお粗末なものである。彼ら彼女らは、そのような言辞がファッショな政治に利用されるということをまったくわかっていないのだ。民主主義が作り出した自由な言論空間があるからこそ、自分たちの無知ぶりが「商品」として流通できるのにも関わらず、その自分自身が依拠する大枠の世界のことをまったく理解していないのである。

実のところ、黒人研究に従事しているわたしの識見からして、わたしはそのところ(民主主義の価値)を簡明かつ論理的に説明することはできない。そこで民主主義が良い制度だということに疑問を持たれる方は、是非右の書を参考にしてもらいたい。

さて、日本語でいう無党派層、英語でいう independents とは、政治に関心がない層を言うのではなく、強い関心を持つがゆえに特定の党派を支持しない人びとのことを言う。幅広く報道されているように、現代政治を趨勢を決めるのは政党政治ではなく、この層の支持をどのようにして取りつけるかにある。

具体的に言ってこういうことだ。小泉純一郎元首相が「民意に訴えかけた郵政選挙」、知っての通り、自民党が空前の圧勝をした。衆参ともに単独過半数を獲得した自民党の勢いに対し、しかし、その後すぐに脅威論がでてきた。「勝たせすぎはまずい」というのがその論理の骨子である。単独で改憲すらできる勢力になったのだから、そこに脅威を感じてもまちがいではあるまい。

すると、もう同じ候補で投票しましょ、ということになると、違う投票行動をとる人びとがきっと現れてくる。各種世論調査が毎日のように発表される現代政治では、この「もう一度投票しましょ」気分をもつ層をいかに引き込むかが鍵を握るのだ。だから、長い時間がかかってその後の参院選で、そのような人びとは(日本の)民主党に票を投じることになった(「長い時間」をかけないためには、予備選を行うのがいちばんてっとり早い)。

オバマは、民主党予備選以来、実に巧みにこの層を取り込んできた。そもそも当初は「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate と呼ばれたヒラリー・クリントンを苦戦に追い込み、そして最終的には撤退させた力はそこにある(大統領を夫に持つがゆえに、民主党員・民主党支持層の支持を獲得するのは当然のことだったから)。

オバマのこの優勢ぶりはアナウンスメント効果を危惧してあまりある。なぜならば、彼の支持層の多くは無党派層だからである。

これまでも述べてきたように、黒人の「団結票」だけでは大統領選挙に勝つことはできない。

ところで、ずっとこのブログのエントリーのカテゴリーが「政治」と「選挙」になってしまった。それでも実のところ、この「歴史的選挙戦」はまだまだ語りつくせていない。それでも投票日まで2週間を切った。そこで、それまであるたけのことを語れるように、「事件」が起きないかぎり、次のテーマを予告したいと思う。

次回は、では、この選挙戦がもつ歴史的意味について語ろう。歴史的と言っても、「史上初」という類のものではない。あとから振り返ったときに、この選挙が歴史の分水嶺になるかもしれない、そんな可能性についてコメントしていきたい。具体的に言うと、次は、現在バトルグラウンドになっているヴァージニアとノース・キャロライナの結果が持つ意味である。それまで時間がある方は、ヴァージニア大学の図書館が提供している大統領選挙結果の地図を、1968年以後の南部の帰趨に着目して見ていて頂ければ幸甚である。

2008年10月20日

バトルグラウンドからの報告(14) ── コリン・パウエルが描いた〈人種〉のサブテクスト

アメリカNBCテレビの日曜日午前中の人気番組 Meet the Press で、コリン・パウエル前国務長官/元統合参謀本部長が「バラク・オバマに投票する」と語ったことは、ネットで見るかぎり、日本にも素早く伝えられているようだ。

だが、日本での報道は、彼がインタビューで語ったことの核心部、もっとも大きな反応を引き起こしている部分を伝えていない。彼は、政策論でオバマが優れているからオバマを支持するなどとは言っていないのだ(YouTube のリンクを参考)。

彼はこのインタビューで、わたしがこのブログで度重なり伝えてきた、共和党のネガティヴ・キャンペーンに対する激しい嫌悪感を示している。そして、肝心の部分は終わりにさしかかったところだ。ここは、以前ここで紹介したミネソタ州でのマケイン集会で起きた事件、オバマはアラブ人だから怖いといった女性の発言を否定し、その上でオバマの人格を賞賛してしまったマケインの行動に表れた「偽善」を実にするどく突いている。

逐語訳はできないが、おおまかに言って彼が言っていることはこうだ。

「オバマ上院議員はムスリムではありません、そうです、それは当たり前のことです、彼はムスリムではない、でもムスリムではないということそれ自体に何の価値があるのですか、アメリカ人のなかにムスリムがいてはいけないのですか、こんなことを見たムスリムのアメリカ人の子供がいったいどんな気持ちになるかわかっているのですか、わたしも「政治」が何だかはわかっていますが、それにしてもマケイン陣営がやっていることは行き過ぎです」。

大胆且つなるべく面白くなるように例えたら、こうなるだろう。

共和党はずっとこう言ってきた。「対抗馬のアタマは薄くなっている」。

そうするとやがて有権者のなかに、「あの候補はハゲでしょう」という人が現れてしまった。

それで共和党選対は否定に必死になる。「いえ、そんなことはぜったいに言っていません。わたしたちはアタマが薄いと言っていただけです。ハゲなんて言ってません。あの候補はハゲではありません、立派な人格者です」。

ハゲはたまらない。なぜなら、こう言われたとたん、《ハゲ=非人格者》というとんでもない等式ができるから。

コリン・パウエル、この人物の識見が高いと思ったのは今回がわたしは実は初めてだ。それにしても、彼が今日行った指摘はすばらしい。誰もこのような視角から論じようとしなかったのだ。アラブ人の気持ちがわからなかったのだ。

ずっとわたしは言ってきた。この選挙のテクストは人種である。それがサブテクストになっている。《黒人/白人》の関係論に拘泥してきたために、わたしはほかの軸が見えなくなってしまっていたようだ。

パウエルがこのことに気づいたのは、彼がさまざまなフィールドで「黒人初」を経験した人物だからだろう。彼を(意識やアイデンティティの面で)黒人だと思ったのもわたしは今日が初めてだ。

しかし誤解のないように断っておくが、それは彼がオバマを支持したからではない。支持するレトリックに彼の黒人性が現れているのだ。

2008年10月17日

バトルグラウンドからの報告(13) ── 怒らない「黒人政治家」

マケインは「時には怒りを見せ、また別のときには毅然として」振る舞い、オバマは、マケインからの攻撃をかわすにあたって「時には穏やかに、また別のときには参ったなという表情」をみせた。これは本日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面に掲載された昨日の大統領候補討論会に関する記事である。

黒人男性が白人女性を攻撃してはいけない、それはタブーを破ったことになる、という切り口から、「黒人初」の人物が追わなくてはならない重責についてつい最近ここで解説してみた。オバマは、感情的になって挑撥するマケインの手口には乗らなかった。黒人は怒ってはならないのである。

抗議運動型の「黒人指導者」、たとえばジェシー・ジャクソンやアル・シャープトンなら事情は別だろう。彼らの選挙戦は勝つことではなく、怒りを表現することに意義があり、その存在は決して軽んじてはならない。彼らのような存在はこれからも必要であろう。ところがオバマは違う。

マジョリティが白人のアメリカにあって、「黒人政治家」が必ず行わなくてはならないことは、「わたしは信頼できる人物である」ということがまず一つ。そしてそれにも勝るとも劣らず重要なのは「わたしは決してあなたに「復讐」はしない」ということを言外に伝えること。

誤解を恐れずに思い切って日本の文脈に置き直して考えてみよう。将来、在日コリアンの首相候補が出てきたとする。その候補が大日本帝国時代の日本のアジア政策をことあるごとに非難したとしよう。それでも結構主張は前向きだ。こんなことを言ったとしよう。「日本はかつての悲劇を乗り越えて、アジアの新しい時代を切り開かなくてはならない」。でも必ずこう言う。「あのときの犯罪行為をわたしは決して忘れません」と怒り猛って語る。さて、市民からこの候補は高い人気を得ることができるだろうか?

20世紀初頭の国際外交や世界秩序が帝国主義的拡張主義を必要としていた、だから日本がやらなければ逆にやられていた。これはいわゆる「自由主義史観」が唱える常套句だ。そしてこのような史観を述べるものはこう言うことがある。「日本がやったことは西欧が奴隷貿易を行ったようなこととはまったく違う、だいたい台湾や韓国には帝国大学を建設したのではないか」。

さて、奴隷制を行った人びとは逃げ場がない。そしてその実、この「犯罪行為」の「言い訳」をするのはたいへんなことだ。奴隷制を正当化する論理がないわけではない。たとえば野蛮なアフリカ人を文明化した、という主張がそうだ。ところが、このような論陣を張る人間は「ナチの亜流」と見なされるのが通常である。ほんとうに奴隷制を行った人びとは逃げ場がないのだ。

そのような歴史的経緯があるなかで「怒り猛った黒人」に票を投じるのは簡単なことではない。もちろん簡単に行える開明的な人物も多いが、大統領選挙を支配するほどそのような開明的な人物は多くはない。

つまり、《過去の歴史的悲劇に罪障感をもちつつもどこかで自分を防御したい人物》が固めた「疑念」と「防御」の腕組みをそっと優しく解いてやらなくてはならないのだ。

おそらくオバマはそれに成功したに違いない。今朝発表されたCNNの予測では、本日投票が行われた場合、オバマが選挙戦を制するらしい。ここまでどちらか一方に選挙戦が傾いたのは今回は初めてだ。

もちろん、これは「本日投票すれば」という仮定条件がついた予測である。まだ投票日まで19日ある。その間、たとえばオサマ・ビン・ラディンをついにアメリカ軍が逮捕したとしよう。このような劇的な事件が起きた場合、一気に形勢が逆転する可能性がある。

『デトロイト・フリー・プレス』紙は、昨日の討論会を報道するにあたり、「討論会第3ラウンド、両者強打の応酬」という大見出しを掲げた。わたしはこれとは違った見方をした。オバマは強打を繰り出していない。マケインの強打をかわしただけだ。

その姿は「時には蝶のように舞い、また別のときにはハチのように刺す」、ミシガン州のどこかにいまは静かに住んでいるあの人物、「もっともグレートなやつ」、モハメド・アリの姿を彷彿させるものだった。

2008年10月16日

バトルグラウンドからの報告(12) ── 「オバマ後援会」主催のコンサート(2)

20081015_obama_rally_small.jpg1980年の大統領選挙、ミシガン州はその後のアメリカの選挙政治を特徴付けるひとつの「政治集団」を生み出した。レーガン・デモクラットがそれである。

1936年の選挙以来、アメリカの民主党は二つの大きな支柱をもっていた。それは黒人を始めとするマイノリティと労働組合である。ところが、1960年代以後、民主党がマイノリティの権利を擁護する姿勢を強めるなか、白人労働者階級は自分が支持してきた党に「見捨てられた」と感じ始めていった。

それはある意味では自然なことである。経済全体が拡大しない限り、マイノリティの生活が向上することは、彼ら彼女らと階層を接していたものたち(具体的に言うと、白人労働者階級)の間での経済競争の激烈化、いわゆる「パイの分け前争い」につながってしまう。その実、1970年代以後、アメリカ経済は長期の不況に見舞われ、経済の拡大どころではなかったのだ。

この時代を象徴するのが、日本製の自動車の「洪水」のようなアメリカ市場への進出である。ミシガン州は、フォード、GM、クライスラーが本社を抱える場所。この州はかつては「民主主義の兵器廟」(自家用車生産は戦時には簡単に軍用車両生産に切り替えることができる)と呼ばれた世界の自動車工場である。

この時代(第二次大戦期から1970年代まで)の経済体制を、ケインズ主義経済とも言えば、フォーディズム体制とも呼ぶ。フォーディズムの中核には労働組合が存在した。そのなかでも最大の組合が全国自動車労働組合(United Automobile Workers Union、UAW)であり、その本部はミシガン州デトロイトにある。この時期、日本でも、デトロイト発のニュースでアメリカの労働者がトヨタの自動車をハンマーでたたき壊す画像がよく伝えられたし、ビンセント・チンという名前の台湾人が日本人に「間違えられて」殺害されるという悲惨な事件も起きた。

この体制は、白人労働者階級(日本ではより穏便に響く「勤労者世帯」という言葉がなぜか好まれる)とマイノリティが利害の一致を見ている限り維持されるものだった。ところが、1980年、ケインズ主義的な経済政策、いわゆる「大きな政府」を解体することを中核としたロナルド・レーガンが提唱した政策が白人労働者階級に訴求したのである。実際のところ、英語ではただ working class と言うことの方が多いが、通例、ただ単に working class と呼んだ場合、そこに黒人は入らない。これは、正確には「黒人と利害が対立する階級の白人」を意味する「コード化された言葉」coded word のひとつである。そして日本人に向けられた敵意は、もちろん、黒人にも向けられたのだ。

しばしばデトロイト郊外のマコム郡は「レーガン・デモクラットのふるさと」と呼ばれる。

さて、日本でも広く報道された民主党予備選挙、特にその後半になってバラク・オバマは労働者階級に人気がないということが言われてきた。このときに白人労働者階級の支持を得ていたのは、もちろん、ヒラリー・クリントンである。したがって、11月の本選挙での問題は、このクリントン支持層がどう動くかにあった。

ミシガン州でオバマの支持率が高い。これは、では、何を意味するのであろうか?

白人労働者階級から広く支持を集め始めていると見なすのが自然であろう。ここに至ってのオバマへの追い風は、気がついてみれば業界こぞって悪徳高利貸し商法に加担していた未曾有の金融危機から吹いていることも確かである。規制緩和、規制緩和と、政府は小さければ小さいほど良いと唱えてきた政治のツケなのだ。これを何とかするためには、それこそ「根本的な改革」fundamental change が必要である。政治を考える思考自体を変えなくてはならないのだ。

さて、左上の写真は、ブルース・スプリングスティーンが駆けつけたオバマ支援集会の観衆の姿である(画像クリックで拡大)。小さな球場を埋め尽くしたその人びとは白人労働者階級だ。この集会のチケットには所属する組合の名前を記す欄があったが、そこに何らかの名前を書いた人はきっと多い。

1980年代以後の共和党の優勢は白人労働者階級とマイノリティとを敵対させることによって維持されてきた。今回、それが揺らごうとしている。少なくともミシガン州では大きく揺らいでいる。

スプリングスティーンは、下の YouTube ビデオで観られるように、「敵は退散したらしいが、まだ安心するには早いぜ」と語るとともに、これ以後、オハイオ州のコロンバス、ヤングスタウン、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアでの集会に参加すると述べている。そう、これまでこのブログを訪問された方はご存じのように、これらはバトルグラウンドだ。

ちなみに彼は一貫して民主党支持であり、2004年にもジョン・ケリーの選挙応援を行った。きわめて「アメリカ的」に思える彼は、しかし、偏狭な「愛国心」のシンボルとして利用されることがある。それを最初に行ったのは、Born in the U.S.A.が大ヒットしていた1980年のロナルド・レーガンである。レーガンの政治利用を聞いた彼は、その後に行ったコンサート会場で、自分の立場を明確にするため、1970年代の鉄鋼不況を綴った名曲、"The River"を、アメリカ労働総同盟・産別会議会長に捧げると語って歌った。

ミシガン州での流れが何らかの意味を持つとすれば、それはこれらの州も「雪崩を打って」民主党陣営に加わるかもしれないということであろう。「レーガン・デモクラットのふるさと」が「本来のふるさと」の民主党に帰ってきたのだから。

本日の朝の時点でのCNNの予測では、マケインが勝利するには、まだ接戦となっている諸州で全勝するしかないらしい。予測は所詮予測だが、わたしがここで述べてきたのはこのような単なる数字上の計算ではなく、バトルグラウンドで感じた観測である。

よく言われているように、バラク・オバマは、これまでの「黒人政治家」とは異なる。ジェシー・ジャクソンにせよ、アル・シャープトンにせよ、かつて大統領予備選に出馬した黒人政治家は、選挙に勝つことではなく、選挙運動を通じて黒人のおかれている環境に対する関心を高めることが目的だった。ところがオバマの場合は、あくまでも勝利が目的である。ミシガン州での選挙戦は、同州の歴史上最大の選挙運動だったと報じられているが、それは勝利を目的にするオバマの選挙運動全体のなかで、この州が占める政治的意義が大きかったからだ(このカッコの部分は、討論会の報道を観たあとに書き足している、オバマはアメリカの経済的苦境を語るのに「デトロイト」という換喩法を用いた)。

さらに、南部ヴァージニア州やノース・キャロライナ州もオバマが逆転しそうになっている。ここはラストベルトと呼ばれる中西部や北東部とは違った意味合いを持つが、その解説は次回に譲りたい。そろそろ大統領候補討論会の時間だ。

バトルグラウンドからの報告(11) ── オバマ陣営、ミシガン州の余力、他州へ移動

本日『デトロイト・ニュース』紙が報じたところによると、ミシガン州の民主党は、大統領選挙の活動にあたっている運動家の半分を、ほかのバトルグラウンド州に移動する意向らしい。これはこのところの同州でのオバマ有利の報道を受けてのこと。CNNなどはすでにこの州を青色に塗り替えた。

これで焦点となる州は、ほぼ

・フロリダ
・オハイオ
・ペンシルヴァニア
・ヴァージニア

に絞られてきた。さらにはテキサスでの共和党の苦戦も伝えられており、ともすれば大きな「地滑り」が起きる可能性すらできている。

さて、ミシガン州が民主党陣営に入った。これは今後を占う意味できわめて大きな意味をもつ。次回はこのことについて、先日行った民主党の集会を参考に解説してみる。

2008年10月15日

バトルグラウンドからの報告(10) ── ミシガン州、当然、オバマがリードを拡大

『デトロイト・ニュース』紙が報道した世論調査によると、10月8日現在、ミシガン州でのオバマのリードはついに二桁台に達した。

オバマ:54%
マケイン:38%
未定;7%

ちなみに前回の調査では

オバマ:48%
マケイン:44%

となっている。ミシガン州からマケイン陣営が撤退したことがはっきりと響いてきている。

しかし、これはまだ「ワイルダー効果」によって本選挙で逆転が起きる可能性が有り。

アメリカ時間の今夜は最後の大統領候補討論会だ。

2008年10月13日

バトルグラウンドからの報告(9) ── 「わたしはオバマが怖いんです」の動画

YouTube に、10月11日に報告した事件の動画がアップロードされている。

これでみてわかるように、マケインは明らかに動揺している。必死に「オバマはアラブ人」という言明を否定していることからわかるように、この人は悪い人ではないようだ。

しかし、少し卑劣な「火遊び」が過ぎた。

再建期の人種暴動も、南部公民権運動の暴力も、政治家が煽りに煽って起きたこと、それをどうやら忘れてしまっていたらしい。

2008年10月12日

真実を知りたければ ── インターネットではなく、一次史料をみろ

検索エンジンに早く反映されるように、最初にはっきり言っておきます。バラク・オバマはサブプライムローンの発案者ではありません。手近なリサーチをしようと思った方、もっと真実に近づく方法を学びましょう。

この頃、アクセス解析をしていて驚くのだが

・オバマ
・サブプライム
・発案者

でググればこのサイトはかなり上に来る。それも当たり前。これだけの記事を書いていれば、これら3つは「どこか」に潜んでいる。

そしてまた、この検索ワードを入れてやってくる人が多いのだ。どんな発想をしているのか、わたしが知りたいくらいなので、奇特な方は連絡ください。

今回のこのエントリーのタイトルは、ブラック・パワー運動の先頭に立った運動家ストークリー・カーマイケルのことばを引用したものである。そしてこのブログでは、なるべくわたしの発言の根拠となっているソースを、そしてさらにはその発言を吟味するサイトを紹介している。黒人研究者としてではなく、最初に使ったブラウザが Mosaic だった者としても言うが、ネットの検索はこんな形でするものではありません。スペースをあけて知りたいことばをつなげたら正確な情報を得られると思ったら大まちがい。まちがった情報しか得られませんよ。インターネットは確かにきわめて便利なものですが、使い方まちがうと自動車と同じ、とんでもない事故をします。

ネットで情報を検索する前にちょっと「アタマ」を使って考えてください。あのね、「長銀 倒産 責任者」って入れてググれば大量の不良債権を抱えてしまったことの責任者の名前が出てくるか? 

それでわかれば、日米の検察は、「ロス疑惑 真相 犯人」でググるから…

最後にダメを押しておきます。バラク・オバマはサブプライムローンの発案者ではありません。手近なリサーチをしようと思った方、もっと真実に近づく方法を学びましょう。

検索結果から誤解されては困るし、実際、あたかもオバマがサブプライムを発案したといっているかのようにグーグルは抜粋(悪意があるのではなく、機械的に処理しただけだとはわかっていますが…)しているので、敢えてこんなことを書きました。

バトルグラウンドからの報告(8) ── ジャッキー・ロビンソンとバラク・オバマ

英語で play hardball という慣用句がある。文字通りだと、「硬式で試合をする」だが、これは「激しくやりあう」という意を持つ。

日本であまりにも一般化したスポーツだけにわかり難いが、野球は危険なスポーツである。いわゆるアメリカの4大球技(ベースボール、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)のなかで考えても危ない部類に入るだろう。よく「野球をやっていた」と言う人がいるが、そのなかで「公式野球」をやった人はあまり多くはいないはずだ。何はともあれ、石のようなボールが当たると痛い。

そして野球というスポーツは、痛いときに痛いやつはたいていひとりだ。

体が接触するプレーだと、相手に怪我をさせるようなことをした場合、そのプレーの激しさで自分も傷つく危険がある。だからハードなプレーには自ずとブレーキが働く。しかし、野球はちがう。ピッチャーが遠くからバッターの頭を狙えば良い。

1947年、ブルックリン・ドジャースのプレーヤーとして、黒人として初めてのメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンは、その選手生命のなかで、何度も文字通り生命を狙われた。黒人が「でしゃばる」ことを良く思わない投手から、フラッシュボールどころか、頭めがけて何度も何度も何度もボールを投げられたのである。

現在なら、そんなことがあれば、乱闘試合になる。しかし、ジャッキー・ロビンソンは、ひたすら耐えた。そもそもロビンソンを「抜擢」してくれたドジャースのオーナ−、ブランチ・リッキーとの約束が「反撃しないこと」「かっとならないこと」であったし、当時の時代状況からして、反撃したりすれば、ロビンソンは非難の嵐に巻き込まれたであろう。だから耐えに耐えに耐えに耐えた。それは己の生命すらも危うくすることだった。

さて、サラ・ペイリンが、暴言を吐いてたまらない。ところが、それに対しオバマが反撃すると、上のような公告を流される。

白人に対して黒人は手をあげてはいけない。これはロビンソンが生きていた時代のアメリカの掟だった。

白人女性のことを黒人は語ってはいけない。これは奴隷解放後からいままで生きているアメリカの掟のようだ。一度のペイリンを(正当に)批判し上のような公告を流されて以後、彼はひたすら耐えている。

おそらくリスクは多いのにも関わらず、政治家としての業績は凡庸なペイリンを起用したのは、共和党の戦略的思考による。「「黒人男性」が「白人女性を襲っている」」という構図をコード化した形で描くことにより、サブリミナルな人種主義に訴えかけようとしたのだ。もう一度、リンクを貼った動画が観てほしい。ここに描かれている「絵」は何だろう。

このような「きわどい」選挙戦に立っているオバマの支持者のなかでは、最近は「聡明なすばらしい人だとはわかっていたが、最近になってすごく勇敢 brave な人物なんだというのがわかってきた、普通の人には耐えられないことを耐えている」という人も現れている。

わたしもそう思う。

「黒人初めて」となった人物は、ジャッキー・ロビンソンのような苦しみをみなが経験してきた。いまその溜飲がおろされようとしているのだ。「黒人初のアメリカ合州国大統領」、これが誕生すれば、以後、この国からはロビンソンの苦しみは消える。

ここに「黒人団結票」が存在する理由がある。喧伝されている「ポスト人種」の時代が来るとすれば、それは2008年11月5日だ。

2008年10月11日

バトルグラウンドからの報告(7) ── ついに身体を腐食し始めた人種主義の毒

わたしがお世話になっている研究所の人と選挙の話をしていて、こんなことを言う人がいた。「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」。

ちょっとわかりにくい話ではあるが、少しそこのところを最近の展開をふまえて解説したい。

CNNの看板番組 Anderson Cooper 360 が報じ、今日もLarry King Live が詳述しているところによると、ミネソタ州でのマケインを支援するタウンミーティングでこんなやりとりがあったらしい。

白人女性:「わたしはオバマを信頼しません。彼について書かれているものを読んだんですが、彼はアラブ人ではないですか」

マケイン:「いえ、そんなことはありません。彼は家族を大切にする立派な人物です。わたしはただ根本的政策で違う意見をもっているだけなのです。この違いこそが選挙運動で大切なのです」

次には男性が「わたしはもうオバマが怖いんです、怖くて仕方がありません」。

映像を見ると、マケインはそうとう慌てている。「何も怖いなんて…。怖くなんかありません」とやみくもに否定するだけ。

第2回の討論会が終わって以後、共和党は新たなオバマ攻撃材料を選挙戦に持ち込んできた。バカらしいことではあるが、それはオバマの名前。彼の名前をミドルネームまで正確に綴ると、それはバラク・フセイン・オバマになる。共和党幹部は、このフセインというところを殊更強調する選挙演説を行ったり、サラ・ペイリンに至っては「テロリストとねんごろになっている」"pal around a terrorist"(これはオバマの支持者のなかに、60年代の連続爆弾犯の過激派がいるのを揶揄したもの)とまで述べてきた。下にあるクワミ・キルパトリックとの関係をやり玉にあげる公告と良い、遠回りのメッセージとして、「こいつはまっとうなアメリカ人なら信頼するはずがない「人種」に属している」と言い続けてきたのである。

ところが、「上品になったアメリカ」では、人種主義に訴えることを直截な表現で公共の場で行ってはならない。なぜならば、そうすることで離反する人びとが着実に増えているからだ。

世は「ブラッドレー効果」の時代。この時代にあっては、世論調査の調査員に対して対面を取り繕う層(英語でswing vote、敢えて訳せば「無党派層」になろうか)に訴えてこそ意味がある。しかし、無党派層はこれでは離反する。なぜならば、彼ら彼女らは世論調査の調査員に対しても「本性」を見せることができない人びとだからだ。

したがって、人種主義に訴える共和党に戦略は、「わかるひとにはわかる」形、「コード化されたことば」coded wordを使ってこそ、最大の効果があがる。直截で赤裸々な人種主義はリスクが高いのだ。クスリはリスク…

ところがミネソタの女性は、直截に言ってしまった。こまったのがマケイン。ここで

「はい、そうですアラブは信用なりませんし、怖いんです」

と言えばどうなるであろう。

イラク戦争の最大の支持勢力はサウジ・アラビアやアラブ首長国連邦。アメリカはそもそも湾岸戦争のときに、クウェートを救うために戦争を率いた。大統領候補が「アラブは信用ならない」と言ってしまったら、これは「アメリカの国益」にも大きな悪影響を与える。

それを民主党が見逃すはずがない。ああ、しまった、大統領候補討論会もまだ一回残っている。

しかし、共和党は、この女性が勘違いしてもおかしくないような運動を展開してきたのである。その「毒」が早くまわり始めてしまった。それで共和党自身が「解毒」に必死だ。この「毒」は、「共和党に一票」分だけ効いてくれば良かったのだ。しかし、どうやら悪辣な公告の度が過ぎたようである(『ニューヨーク・タイムズ』論説文のマケイン批判を参照)。

さてもう一度

「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」

2008年10月09日

有権者登録運動について(4) ── Blue States と Red States

さて、このタイトルで前回予告したように、少々堅苦しいがアメリカ大統領選挙の仕組みを紹介しよう。

昨日の大統領候補テレビ公開討論を終えた直後のCNNの調査では、ついにオバマの支持率が54%に達した。しかし、これは大統領選挙に必要な「票」の54%が支持したことを意味しない。

アメリカの大統領選挙は、州ごとに票の集計が行われ、州の第一位の者がその州に人口比に応じて割り当てられた選挙団 electorate を獲得するという仕組みになっている。そのため、人口の少ない州でいくら「強烈に優勢」であっても、大きな州で「僅差で敗北」を続ければ、選挙には負けることになる。したがって、算術的な計算のうえでは、獲得票数で勝っていても、選挙戦略をまちがえれば選挙自体に負けることもあり得るのだ(実際にそのような事態が生じそうになったこともあるーー歴史的事例に関してはヴァージニア大学が運営している Geostat Center の地図がわかりやすい)。

では、この選挙団の獲得数にみる「支持率」も、最近ではネットですぐに見られるようになった。たとえば、Electoral - Vote.com が提供する速報は、歴史的時系列的な地図も簡単に見られ、もっとも親切でわかりやすいものになるである。ちなみにこのサイトはRSSフィードはもとより、 iPhone 用のアプリ(iPod Touch でも動くはず)もあるので便利である。

さて、この地図を、特に南部に着目して、少し前の選挙までさかのぼって見てほしい。

南部とロッキー山脈の諸州では、なんと驚いたことに、1974年の選挙以来一貫して共和党候補が選挙団を獲得している。そしてまた、驚いたことに、ニューイングランドの北東部の州は、入れ代わって民主党が一貫して選挙団を獲得している。

アメリカの報道機関は、このような地図を描くにあたり、民主党が獲得した州を青色、共和党が獲得した州を赤色で塗る。いわゆる「Blue State と Red State の対立」という構図は、このような事情を反映して言われるようになったことである。

そしてここで強調したいのだが、黒人を初めとするマイノリティの権利に敏感(それを遺憾に思う人間は「マイノリティに対して甘い」と言うだろう)だった民主党は、南部の州を「失った」のである。「失った」と言うのは、1968年まで、つまり公民権運動がいちおうの「終結」を迎える年まで、南部は民主党の「牙城」(英語では Solid South と言う)だったからだ(このような事態の転変についての詳細は右の本が詳しい)

なお、いま先ほど放送されていたCNNは、ミシガン州が民主党に傾くのが有力になったので、「オハイオ州とペンシルヴェニア州が鍵を握る」と報道していた。このふたつの州は、上のリンクにみるように、大票田とは言えないものの、キャスティングボートを握るには十分の選挙団をもっている。

マケインがミシガン州から「撤退」したのは、このような事情を考慮してのことである。野球に喩えてみよう。9回まで12対0。そこで抑えのエースを投入する監督もいなければ、さぁ反撃だと怪我で休ませている主力打者を代打に送る監督もいない。ふつうならそのような「余力」は「次の試合」に「温存」させる。それが指揮官というものだ。ここで「最後まで全力でやるのが本来の姿だろう」などと「正論」を言っても通用しない。アメフトに通じている方ならば、最終クォーターを迎えて、もう敵側がどう考えても逆転できないとわかった時分には、たとえゲームが続いていても、スポーツドリンクをヘッドコーチの頭にかける「儀式」が行われているのを観たことがあるだろう。そうこれはプラグマティックな算術の世界なのである。

ここで気づかれた方もいるかもしれない、ヒラリー・クリントンが不評を買いつつも自分こそが electable だと主張し続けたことの根拠には、このような算術があった。スーパーチュースデイ以後のオバマの脅威的な連勝は、実は本選挙になると民主党には勝ち目のない Red State で起きていたのだ。

ところで、CNNと違った観点から、わたしはこの選挙がほんとうに Change を意味するならば、それはくどいようだが(結果はともかくも)ミシガン州の投票「動向」と、ヴァージニア州やノース・キャロライナ州などのバトルグラウンドとなっている南部の州が重要な意味をもつと思っている。では次回のこのエントリー題での記事はこの点について詳述しよう。

2008年10月07日

「オバマ後援会」主催のコンサート(1)

20081006_springsteen_rally_small.jpg隣町のイースタン・ミシガン大学の野球場で開催されたオバマ支援コンサートに行ってきた。来る2月にはスーパーボウルのハーフタイムショウに出演することが決まっているブルース・スプリングスティーンが出演、しかも入場料は無料だ。

右の写真(クリックすると拡大)は、その最寄りのバス停に張られていたビラである。そうこの日、ミシガン州は有権者登録受付の締切を迎えた。もちろんビラを貼っているのはオバマ陣営なのだが、このブログでも何度も述べてきたが、わたしはほんとうにマケインがこのような努力をしているのを見たことがないのである。

スプリングスティーンは黒人アーティストではないではないか、と思われるふしの方もいらっしゃるかも知れないが、わたしは実は高校生の頃より彼の大ファンである。彼は実はブルージーなのだ。かつての白人の強烈なフォーク・ロック・シンガーはブルージーである。公民権運動のテーマソング、「ウィー・シャル・オーヴァーカム」はそのような伝統が息づく、テネシー州のハイランダー・フォークスクールで生まれた。

労働者階級の奥底に深く入っていけば、黒と白の境界は消えていく。

さて、スプリングスティーン曰く。「俺の敵はどうやら退散したそうだが、まだ勝利を当て込んではならない、後はどれだけの人間が選挙当日に票を投じるかが問題だ」。

さて人種の観点から見たこのコンサートの報告はこれから少しずつ行っていく。次にこのコンサートに触れるときには、まずは観客層について思ったことを綴りたい。

2008年10月06日

有権者登録運動について(3) ── Operation Registration, Get-Out-the-Vote

20081005_voter_regstration_small_jpgこのサイト運営開始となった最初の記事を見て欲しい。わたしは、その頃、2000年の大統領選挙の際にフロリダ州で大規模な投票妨害が起きたことに対する抗議を記している。

その後の2004年もまた今度は北部のオハイオ州で投票妨害が確認された。それを契機に、投票前に有権者の確認を厳格化することを通じて、選挙の実施をスムーズにしようという理由で選挙法の改正が行われていった。

その代表例的手法が、2005年のジョージア州の州憲法改正を皮切りに次々と可決されていった、投票の際に写真付きIDの提出を求めるというものである。

さて、読者のなかで写真付きIDをもっている者がどれだけいるだろうか?

さらに、ミシガン州の改正された選挙法律は、IDの住所は有権者登録を行った住所と同じでなくてはならない。

もっとも、ミシガン州では、IDをもっていないものでも、有権者当人と同一人物であることの誓約書affidavitを書けば投票をできることになっている。ところが、下の州政府が配布している案内書をみてもらいたい。affidavitに関する説明にはゴシック体の強調も何も施されていなく、5頁目の冒頭にさりげなく書かれているにすぎない。

ところで大統領選挙は11月4日に実施される。この日付をカレンダーで見ていただきたい。何か日本の選挙との違いに気づかれないだろうか?。

そう、この日は平日である。したがって投票するためには、午後8時まで行われている投票場に仕事が終わるとすぐに直行しなくてはならない。

さらにまた、アメリカでは投票所の案内が送付されてくることなどなく、どこで投票すれば良いのかの情報を得るのは市民の「自己責任」とされている。そして、これは日本でも同じだが、投票場を間違えると投票はできない。

こう聞かされるともううんざりする人も少なくはないであろう。アメリカで投票することは日本よりも増して面倒くさい、そう言っても過言ではないであろう。

だからこそ、2大政党は、有権者の動員に必死になるのである。

ひとつ下の記事に、オバマがミシガン州を確保したと書いたが、それはこのような事情の強い影響を受けての判断だ。共和党はミシガン州から運動員の大半を引き揚げた。アメリカの選挙では政党が投票場までの交通手段を提供(この国はおそろしく公共交通機関が脆弱である、ほとんどのところが車がなくては生活できない)することは決して少なくない。運動員が少ないということは、したがって、きわめて不利な状況を生み得る。

さて、今日の記事冒頭の写真は、ミシガン大学のキャンパスの中心で有権者登録を行っている民主党運動員の姿である。わたしは有権者登録を呼びかけているマケイン支持者にはついぞあわなかった。

ちなみに、各州で有権者登録の厳格化に乗り出したのは共和党である。アメリカでIDをもっていない人の推計は11%。この数は決して少なくはない。なぜならば、民主主義の原則は、だれもが一票を行使できるというところにあり、この原則だけは譲ることが許されないからだ。アメリカの人口全体に占める黒人の比率が12%。この12%の権利が否定されることで、どんな暗い歴史が作られたのかを考えてみれば、この問題の大きさもわかるであろう。またここで、奴隷解放によっていったんは投票権を得た黒人男性の権利が剥奪されるとき、「黒人は投票してはならない」という法律が可決されたのではなく、婉曲的表現や暴力によってそうされたのだという歴史的経緯も忘れてはならない。

マケインもペイリンもアメリカ市民のこと、ごく普通のアメリカ人のことを考えていると言っているが、果たして投票率の低下を望んでいる政党の候補がそのようなことを言えるだろうか。

昨日、デトロイトのコボ・アリーナでは、Jay-Zが、オバマ応援のために有権者登録を促すコンサートを開き、1万人を動員した。明日、わたしの隣町にオバマ本人が遊説にやってくる。モータウンの故郷、黒人の率が約9割にのぼるデトロイトでラッパーが支援に乗り出せば、製造業の不振に苦しむミシガン州南西部イプスランティ(ミシガン州の失業率は8%強にのぼり、全米平均の3%も高い)の労働者の動員にブルース・スプリングスティーンがやって来る。

そして明日はミシガン州の有権者登録受け付け締切日である。初の「黒人候補」が挑む大統領選挙まで1か月を切った。

次回は、なぜマケインはミシガン州から撤退したのかを、アメリカ大統領選挙の仕組みを解説しつつ解説したい。

2008年10月03日

バトルグラウンドからの報告(6)──オバマ、ミシガン州を確保

本日、マケイン陣営の本部は、ミシガン州から撤退することを発表した。これは実質として共和党がこの州を民主党に譲ったことを意味し、オバマの選挙団獲得が確実となった。

したがって、ミシガン州はバトルが終わった最初のバトルグラウンドとなったのである。意外とあっさりしていた。ここのところオバマ陣営の優勢が伝えられ、支持率の差が拡大しているとは言われていたものの、それはそれで「アナウンスメント効果」(これについてはいずれここで詳しく説明する)をわたしは怖れていた。

この小連載はこれで終わりとなるが、これまで感じたこと、調べたこと(たとえば有権者登録の問題など)はここに引き続き書き記していく。また、「選挙戦から撤退」ということも、日本の選挙の感覚だとわかり難いと思うので、これもまた日を改めて説明する。

それにしても、これからは共和党の破廉恥な選挙公告を見なくて済むと思ったら、ホッとする。

2008年10月02日

有権者登録について(2)

有権者登録を原則的に実施するのは州政府である。アメリカ合州国は、イギリス帝国に抗して独立を達成した国であることから、建国当初より地方自治の気風が強い。地域の状況は地域の人びとがもっともよく知っているという考えから、有権者登録も州政府が実施することになった。

Michigan-Voting-Registration-Brochure-1.gifしたがって、その細則は州によって異なることになる。奴隷制廃止後の南部は、このアメリカ政治制度の特徴を利用し、元奴隷に対しては(1)識字テストを義務化する、(2)投票税を課す、(3)暴力(州政府はこれを取り締まろうとはしなかった)を行使する等々を通じ、投票権を剥奪してきた。一般的に、この南部の制度は、公民権運動によって破壊され、黒人は投票権を得たと理解されている。

左の画像は、南部ではなく中西部のミシガン州が配布している有権者登録の方法を記したパンフレットだ。現在は、民主共和両党の予備選も公選とみなされ、州が管理することになっている。

そこでまず1頁左の日程のところに着目してもらいたい。有権者登録の締切は、そう、来週の月曜日なのだ。これを過ぎて突然投票したくなっても、投票はできない。

さたにはまた、選挙運動も、実質としてこの日までに票を掘り起こしてしなくてはならない。この日を過ぎた後は、文字通り「無党派層」を争う闘いとなっていく。

さて、この有権者登録の法律、実は2005年以後急速にひろまったある傾向を部分的に映し出したものである(このつづきは次回)

2008年09月30日

有権者登録について(1)

有権者登録 voter registration という言葉をご存じだろうか。

アメリカの投票では、自治体から投票所の案内を兼ねたハガキが届くというようなことはない。事前に有権者であることに名乗りをあげ、登録をしなくてはならない。

この登録の際に、かつてはさまざまな細工や露骨な妨害がなされ、黒人から投票権が剥奪されてきた。それが、マーティン・ルーサー・キングを「指導者」とする公民権運動が変化させ、1966年公民権法(投票権法)の制定により投票権剥奪は過去のものとなった。少なくとも教科書的理解ではこうなっている。

しかし、2000年にフロリダ州で露骨な投票妨害が起きてから以後、どうやらその事情ははっきりと変わったようだ。以後、数回にわけて、ミシガン州の状況を報告する。

プロフィール更新

2005年以来、実質的変更ならば2003年以来初めてプロフィールを更新しました。

2008年09月29日

研究業績更新

研究業績のページを更新しました。今年度に入り更新していませんでしたが、9月までの新しい業績は以下のとおりです。

6月1日にアメリカ学会年次大会にて報告

「ポスト公民権時代の「人種」と政治〜新しい黒人政治家と公民権運動家の相剋を中心に」

を行いました。

このときの報告の内容は、その時点では拙速だと思いながら、言い得るかぎりのことを言ったつもりです。それを振り返ってみて、未だ訂正すべきところは見あたりません。強いていえば、「ポスト公民権時代」を「ポスト人種時代」にしたいところ。

8月には訳書

マイケル・エリック・ダイソン『カトリーナが洗い流せなかった貧困のアメリカ〜格差社会で起きた最悪の災害 』
を公刊しました。

おくればせながらまとめて報告します。

2008年09月27日

バトルグラウンドからの報告(5)──もうひとつのサブテクスト

第1回の大統領候補討論会を観た。その素朴な感想。

1.経済問題の比重が大きい
今回の討論会は外交問題がテーマだった。それにもかかわらずはじまってから直後、全体の3分の1まで経済問題、山積する外交問題を背景に現下の経済危機にどう対処するのか、という問題に議論は終始した。オバマが「すべての政府規制は悪であるという考えが悪政の根源です」と言い放ったときには、思わずTell Like It Isと言いたくなった。なぜならばこれは日本の政治にも言えるからだ。レーガン=サーチャー=中曽根から始まる世界規模の問題である。20年もかけてたまった「ツケ」は大きい。ほら、あなたの「田舎」からも「鉄道」が消えていて、「親」が、これまでは新幹線の駅や空港までは出迎えに来てくれたものの、今後はそうもいかない、と感じている、ほらあなた、それが国鉄民営化のツケだ。

2.もうひとつのサブテクストーー世代
民主党予備選のときから、今回の選挙は、ジェンダーと人種がテクストとなりながら、それが正面から取り上げられないまま進んでいるということの奇異さについては、これまでもわたしはいろいろな場で述べてきた。今回、ジェンダー、人種とは別の問題がサブテクストにもぐりこんできた。それは世代の問題である。マケインの言い分は、咀嚼して言うとこういう事だ。「わたしは知っています、そこにも実際に行ったし、ここにも行ったその経験から言っているのですが…」。結論、「わたしの言うことを聞いていなさい、若いオバマさんは何もわかっちゃいないのです」(英語で言うと、I know that 現在完了経験)。Mr. Obama doesn't really knowということばを、パターナリスティックに何度繰り返したことか。道理で人口11万、その3万3千人が学生・大学職員という街ではマケイン支持者にあえないわけだ。このマケインというおじいさんには尾崎豊でも聴かせてみたい。

1988年、当時では大統領候補としては最年長だったジェイムス・ベーカーと、現職で「若い」大統領ビル・クリントンとの討論会をシカゴで観たことがある。その頃はインターネットの時代の草創期(最新のブラウザがネットスケープのv.2、いちばん普及しているメールソフトはEudoraだった)、「わたしのことを知りたければ」とメールアドレスを述べるベーカーの姿に、一緒に観ていた者がみな爆笑したものである。今回は爆笑するよりも、もう痛くなってきた。

そんな痛いおじいさんにオバマは正面攻撃。「問題はナンバーワン、……、ナンバーツー」と理路整然と答える姿は、奇襲も何もなく立派そのもの。もっとも2000年の大統領選挙、政策通のゴアがあまりにも仔細な政策論を展開するのでそれに有権者はうんざりしたという先例はある。しかし、選挙コンサルタントが大活躍する時代、オバマの動きがこの先例を踏まえていないということはありえない。彼らは「正攻法」を選んだのだ。

そんな周囲の人間と話しをして、こんな感じをほぼみんなが受けていた。マケインは、そのまま戦争を続けたらベトナム戦争はアメリカが勝った、と本気で思っている(これは「ネオコン」の思想の支柱でもあるのでそう驚くことではないが…)。これは南太平洋で行き場を失った「旧日本兵」と同じだ。「敗北」の認識すらできない人間が「全軍の最高司令官」なったらいたたいどうなるだろうか。

それにしても、やはりこの選挙が歴史の一幕であることはまちがいない。共和党大統領候補に「黒人」が挑む、本選挙で挑む、その「絵面」は壮観だった。また、「黒人大統領候補」が、"Thank you, University of Mississippi, Ole Miss”と述べる模様を観るのは隔世の感すらする。なお、CNNの調べで、「支持するか否かにかかわらず、この討論会を終えてオバマが勝利する」という意見にYesと答えたものは、63%に終わった。

ぶっちゃけ言ってーーTell Like It Is

思い切って翻訳すれば「ぶっちゃけ言って」Tell Like It Isという名曲がある。

こちらに来て、アーロン・ネヴィルが60年代に歌った"Tell Like It Is"はプロテストソングだということを知った。作詞作曲は別人だが(Lee Diamond, George Davis)彼が歌ったときに、この曲は1960年代の「時代精神」を映し出すものになったのだ。その歌詞はこうなっている。

Tell It Like It Is

If you want something to play with
Go and find yourself a toy
Baby my time is too expensive
And I`m not a little boy
If you are serious
Don`t play with my heart
It makes me furious
But if you want me to love you
Then a baby I will, girl you know that I will
Tell it like it is
Don`t be ashamed to let your conscience be your guide
But I know deep down inside me
I believe you love me, forget your foolish pride
Life is too short to have sorrow
You may be here today and gone tomorrow
You might as well get what you want
So go on and live, baby go on and live
Tell it like it is
I`m nothing to play with
Go and find yourself a toy
But I... Tell it like it is
My time is too expensive and I`m not your little boy

これは単なるラブソングだ。ところが、"you"をアメリカ白人に置き換えると、「自由だ自由だということばをもて遊ぶ play with」ことに対する抗議となる。

Tell like it is!とは、ちなみに、黒人教会では頻繁に聞こえてくる「合いの手」だ。

今回の大統領選挙、人種やジェンダーといった本来は「テクスト」であるものが「サブテクスト」になっていることは、6月のアメリカ学会年次大会で報告した通りだ。その解釈をこちらでディナーの席でちょっと話してみると、「そうすることでより危険なことになっている」という意見を頂いた。

第一回ディベートまであと30分。会場は、公民権運動の激戦地のひとつミシシッピ大学だ。なかには"Tell like it is!"と声をかけたくなっているものもいると思う。ちなみに、デトロイト・ニュース紙によると、ミシガン州の最新の世論調査ではついにオバマのリードが10%まで拡がった。これまで奇人変人のマケインは何度も「ギャンブル」をしかけてきたが、今回の選挙戦中止ギャンブルには誰もひかからなかったようだ。

バトルグラウンドからの報告ーー速報

マケインが大統領候補ディベートに参加するとたった今(現地時間11時35分)発表した。本来の「力」がないもの、弱点をもっているものは、何かと奇策に頼るものだ。

2008年09月25日

もし民主党が負けたら世界は大災難に見舞われる

ジョン・マケインという人物は、価値中立的なmaverick(変わり者)などではない。

奇抜なこと(たとえば、「行き場所のない橋」の建設に待ったをかけたと意気込んではいても、その橋への道を「誘致」していた威勢が良いだけの「ホッケー・ママ」抜擢)が好きなだけの人迷惑なアホの政治家である。

本日、彼は、金曜日に行われる予定の大統領候補テレビディベートを延期するようにオバマ陣営に申し入れた。金融危機への対処を討議する時間が欲しいというのが理由だった。

しかし、先週、マケイン陣営は、ブッシュが救済案を公表する「前」に、6つの対応策を発表し、ブッシュ案を待っているオバマの対応の遅れを非難していた。その日のCNNニュース、この非難にどう応じるかとアンカーマンに問いかけられたオバマの政策顧問は「まだ政策が発表されていないのに対応も何もないでしょう」と答えていた。しかし、そこにマケイン支持者が執拗な非難を繰り返し、その顧問は「ならば言いましょう、ひとつ」とアメリカ経済の抜本的改革の骨子を言わさせたくらいだ。さらにまた予備選の「公約」から自身の税制案の方が一般的家庭には増税になると広く指摘されているにも関わらず、厚顔無恥にもオバマは増税をすると寝も葉もない噂をテレビCMで流し続けている。

オバマは、先ほど、この申し入れを拒否した。彼の雄弁ぶりはもはや世界中が知っていること。しかも今回のディベートは、3回あるものの1回目、テーマは外交問題である。これを「敵前逃亡」と言わず何と言おう。あきれてしまう。

アメリカ政治を見てきて20年以上になるが、こんなことは異例だ。

それにもかかわらずマケインが当選するとなると、それは世界にとって大災難を意味する。

バトルグラウンドからの報告(3)

ついに始まった、共和党お得意の白人が黒人に抱く恐怖感に訴える破廉恥なネガティヴ・キャンペーンが。

1988年の大統領選挙、10月半ばまで、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュがリードしていた。ところが、ウィーリー・ホートンという名前の黒人が白人を強姦致死に至らせたことから形勢は一変する。リー・アトウォーターという政治顧問は、これをネタに、ホートンの名前と彼の仮保釈命令にサインした民主党候補マイケル・デュカキスの顔を当時最新の画像処理技術だったモーフィングをつかって巧妙に重ね合わせ、こう訴えかけた。「デュカキスへの票は、犯罪人を週末旅行に招待することにつながる」。

さて右の動画、これは数々のスキャンダルにまみれ9月にデトロイト市長を辞職したクワメ・キルパトリックとオバマを重ね合わせているものである。これは以下の点において「現実」を歪曲し、白人の深層心理にある人種恐怖に訴えているものだと判断することができる。

・オバマとキルパトリックは政治的関係はない。そもそもミシガン州では公式の民主党予備選は行われていない。同じ党に所属すれば演壇を共にすることはあろうが、これはその瞬間を過大に取り上げたものであり、キルパトリックの容疑とオバマとはまったく関係がない。

・キルパトリックの描き方、これは犯罪人の写真を撮るときに使われるアングル、マグショットを使っている。しかし彼は指名手配された重罪犯では断じてない。彼のスキャンダルは政治家の倫理に関するものだ。これは黒人=犯罪者という一般に流布したイメージを過剰に強調する、きわめて破廉恥な作為的なものだ。

ではこれがどこで流されているか?

ミシガン州デトロイト市郊外のマコム郡でである。この地は1980年にレーガン政権誕生の大きな基盤となった民主党を離反し共和党を支持した人びと、白人ブルーカラーを中心とする「レーガン・デモクラット」が多く住むところだ。過日の記事ではマケイン支持者がどこにも見あたらないという旨のことを書いたが、別にわたしはどこに彼の支持基盤があるのか知らなかったわけではない。おそらくこの辺りに存在していることは想像できる。1980年の「レーガン・デモクラット」の誕生は、「マイノリティを〈優遇〉するあまりに、われわれ労働者を見棄てた」とする感情から起きたものだった。共和党は、その感情の奥底にある人種間恐怖を煽ろうとするダーティな戦術に出た。

2008年09月24日

バトルグラウンドからの報告(2)

『デトロイト・ニュース』紙がミシガン州有権者の最新の世論調査結果を発表した。

オバマ:48%
マケイン:44%
未定:7%
ほか:1%

他方、世論を誘導する偏向報道で悪名高い保守派の放送局フォックスニュースーーニュース報道なのに演出過剰なお台場にある放送局を〈アメリカの国力÷日本の国力〉倍ほど悪質にしたような放送局ーーが言うには、ブラッドレー効果を踏まえると8%差までが逆転圏らしい。

アメリカでは毎日のようにペイリンの経歴や業績が嘘であり、政策論が辻褄が合わないと報道されている。マケインが勝つということを、ブラッドレー効果を踏まえて考えると、ぞっとする。

なぜならば、リーマン・ブラザースが倒産したその日、「わが国の基本的経済指標は好景気を示している」ととんでもない事を語り、ブッシュ政権が公的資金投入の詳細を議会に報告する「前」にその「批判」を行う辻褄が合わない露骨な愚衆迎合路線をとっている政治家がホワイトハウスに入るとなると、それは世界全体に対しての大きな災難を意味する。

大統領選挙に投票したくなってきた。とうてい間に合う話ではないが…

激戦区(バトルグラウンド)からの報告(1)

「ブログを再開する」とここで宣言しつつ、それでいて一向に更新ができなかった。さて、この間、わたしはデトロイトから州際間フリーウェイで1時間ほどいった街にあるミシガン大学に引っ越した。引っ越し直後、民主共和両党の党大会があり、それをいろいろと考えるなかも、引っ越しに伴う日常生活上のごたごた、さらには入国管理に伴う書類等々のことで忙殺され、今日まで更新が遅れてしまった。申し訳ございません。

今度こそ、本気で再開する。

早速本題に入り、わたしが現在住んでいるミシガン州。ここは今回の大統領選挙での「激戦州」battle ground statesのひとつであり、この州の行方が選挙結果を左右するとも言われているところにあたる。そこにわずか1か月だが、住んで肌身で感じた実感を、伝え始めてみることにする

ところで、ブラッドレー効果という言葉は、日本のマスコミは伝えているだろうか?。ブラッドレー効果とは、1982年のカリフォルニア州知事選挙で起きた現象のことを指し、一般的には世論調査の高い黒人への支持率は「割引」して考えるべきである、ということを意味する。

この年、ロサンジェルス市長を数期務めたトム・ブラッドレーという黒人政治家が、カリフォルニア州知事に立候補した。黒人居住区、もしくはゲトーを地盤に人口統計上の多数派を形成できる都市の選挙、さらには小さな選挙区からなる下院議員とことなり、州全体を選挙区とする連邦上院議員や州知事(ブラッドレー効果はヴァージニア初の黒人州知事、ダグラス・ワイルダーに因んでワイルダー効果と呼ばれることもある)、さらには大統領選挙では白人への訴えかけにいかに成功するかが、黒人候補の当落を決定する要因となる。ロサンジェルス市長を務めたブラッドレーは、市の政治のなかですでに白人からの支持を取り付けており、カリフォルニア州知事になれる有力な候補だと目されていた。そして実際、選挙戦中の世論調査では終始彼の優位が伝えられていた。ところが実際に票を開けてみると、彼はあっさり落選してしまった。つまり世論調査の数字は彼への支持を大げさに伝えていたのだ。

では、なぜこのような現象がおきたのであろうか。その答えは、ポスト公民時代の人種関係の有り様と強い関係がある。公民権運動が、「人種主義は悪」ということ、「人種的偏見をおおやけにするのは恥ずかしいこと」という感覚を拡めることに成功したことと関係があるのだ。なお、1960年代初頭までのアメリカ南部では「黒人は差別されて当然の劣った人種である」と公言してはばからない人物が多くいた。それはこう述べることがむしろ高い識見を持っているとみなされるとんでもない制度が存在していたからである、公民権運動が砕いたのはこの制度だ。公民権運動の勝利後、この様相は一転する。事態はこうなったからだ。

電話での世論調査がこう訊いてきたとする。「あなたは黒人差別をしますか?」。これにいま「はい」と答える人間はよほどどうかしている。本当は差別をしつつも、見知らぬ他人には「いいえ」と答えるのが当たり前だ。あとで「面倒」がおきるのも防げるし。とすると、選挙戦のときに訊かれる質問

「人種がこの選挙に影響を与えると思いますか」。これは困った。黒人ならばこれに「はい」と答えても人種主義者だとは言われない。しかし白人だったらどうだろう。そして電話の声のイントネーションが黒人のように聞こえたときは一体どうする。人種関係だとわかりにくい方がいるかもしれないので、思い切って、ジェンダーで置き換えてみてみよう。女性が電話で訊いてきた。「女性に首相を務める能力があると思いますか?」あなたは女性の電話の声の主に「いやありません」と言えるだろうか。

つまり、1982年の選挙戦で世論調査の対象となった人びとのなかには、「ブラッドレーへの不支持は、〈わたしは破廉恥にも人種主義者です〉と言うに等しいと考えて、彼への支持を世論調査のときに表明したひとが少なからずいたのだ。ところが、選挙を投票するとき、誰もその行為を覗くものはいない。秘密投票は民主主義の大前提だから。

その結果、本選挙での逆転が起きた。少なからずの人が、「黒人知事」の誕生を怖れていたのである。

ミシガン州での最新の世論調査、デトロイトニュースでの調査では43%対42%でオバマがリード(全国では、9月21日のギャラップ調査、49%対45%)。これはブラッドレー効果を考えるとマケインがリードしているに等しい。

わたしの住んでいるアナーバーはフラッグシップ校の所在地であり、大学街のご多分に漏れずリベラルな街で知られている。もとよりここはアメリカの学生団体、SDSの発祥の地だ。わたしの周りには、したがって、マケイン支持者などどこにもいない。デトロイトにリサーチに行っても事情は同じ。日本ならば、ほとんどが自民党支持者のなかでいつもバカにされている社民党支持者がひとりくらいいるものだ。それがそうでない。マケイン=ペイリンの選挙戦は病的なまでに憐れである。そう思えるのもわたしがいる場所が影響しえいるのだろう。わたしがいる場所が、そう思って安全だと言ってくれているのだろう。これはとても不気味である。

2008年08月22日

復活します!

ここのところ、ほんとうに間歇的な更新しかできず失礼。

明日よりミシガン大学アフロアメリカン・アフリカン研究所に研究員として留学するため、あれこれときわめて多忙な日々を過ごしていました。

さて、この留学は、もちろん研究者としての成長のため。

それだからこそ、渡米後はこのブログは頻繁に更新します。

タイミングもよく、大統領選挙も五輪後にはいよいよ本選に突入。私見、ならびに印象論では、共和党候補が誰であれ、また民主党候補が誰であれ、内憂外患の現状では共和党候補が勝つということはあり得ないと思っていますが、果てしてどうか?

ジャーナリスティックな分析ではなく、史的な分析を加えていきたいと思っています。

2008年04月14日

アフェニ・シャクール(2Pacのママ)もメンフィスで

キング博士が暗殺された日に講演していました。

こちら、からお聴きください。いきなり音が出ることはないので、安心してクリックしてください。

Davey D. がポストしているので、後ろの音ーー G Unit の Hate It or Love It 50 Cent - The Massacre - Hate It or Love It (G-Unit Remix)ーー もいかしてます。このサウンドが、しかし、南部キリスト教会の雰囲気にあうとは意外だった。

2008年04月04日

ちょっと待ってください、マケインさん

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今日は、メンフィスでキング博士が暗殺されてから40年目に当たります(こういう内容なので敬体を使います)。

なので、ヒラリー・クリントンさんとジョン・マケインさんはキングの偉業を讃えるためにメンフィスで選挙運動をしていました。

でも、クリントンさんは、さんざん保守派から言われているように60年代からの生粋のリベラルですが、マケインさん、あなたハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲っていたとき、ブッシュ大統領と何してました?。脳天気におめでたい大統領と一緒にケーキ食べていませんでしたか?

大丈夫ですか、あなたが「アメリカ軍全軍の最高司令官」になって…、

キング博士が、彼の数多く残っている説教や演説のなかで好んで引用していたのが、「もっとも小さな兄弟のために尽くせ」ということでした。あなたの政治思想や政治行動とキング博士の行動や思想に何の関係があるのですか?。

破廉恥な政治「運動」は止めなさい。

2008年04月01日

決戦はフィラデルフィア:死の影の谷間の声がひな壇にあがった「希望」に迫る

以前このブログで紹介したムミア・アブ=ジャマルの死刑判決に対し、ペンシルヴェニア最高裁の再審判決がくだった。証拠不十分を理由に、死刑から(仮保釈の可能性のない)無期懲役に減刑された。

法に基づく裁判は、一般的市民感情からすると、「真理」を求めて議論する場のように思われる。しかし、これは現実のところ、近代法の権能を誤解したものでしかない。裁判とは、平たく言えば、原告と被告が対立した議論の「落としどころ」を探りあうものである。この誤解はときに市民感情からの乖離ともなる。

ムミアが無罪なのか有罪なのか、真理はひとつしかない。ならば死刑か無罪かのどちらかが妥当であり、裁判所はそれをつきとめるべく努力せよ、とこんな感情がわき上がってきても、それはそれで理解できることだ(というかわたしはむしろそう強く思う)。

だからこそ、「政治犯」と目されたものを救うには、「落とし前」をつけるための条件を良くするため、市民による政治的プレッシャー、もっと通りの良い言葉を使えば、輿論を喚起することが必要となってくる。

そこで、パム・アメリカらムミアの支持団体が大胆な呼びかけをおこなった。4月22日、民主党全国大会前の最後の大票田での予備選がペンシルヴェニア州で行われる。そこでメディアの関心が集まってくる19日土曜日にムミア投獄に関し大抗議集会、デモ行進を敢行するというのだ。

他方、バラク・オバマは、黒人候補と呼ばれつつも、黒人の問題(black isssue)を全面から取りあげることをしてこなかった。ついこのあいだ起きたジェレマイア・ライト牧師の"God damn America"発言をめぐる論争で、結局彼はその問題を取りあげざるを「得なくなった」のだが、それが敏感なtouchy問題であることに変わりはない。ちなみにさまざまなメディアで主張されているが、ライト牧師の発言は前後の文脈をまったく無視した発言であり、それを主にはフォックステレビなどが誇張して問題化したものである。彼の批判のトーンは、アメリカを「暴力の御用達」と呼んだ晩年のマーティン・ルーサー・キング牧師のそれと比すれば、むしろ穏健なものである。左の説教をご覧あれ。

ところで、ムミアは、フィラデルフィアの監獄のなかから、ライト牧師を批判し人種間和解の崇高な理想像を同じくフィラデルフィアのコンスティチューション・ホールで描いたオバマについて、こんな辛辣な判断をくだしている。

「アメリカ史上初の黒人大統領という野心に駆られ、オバマは、自分がどれだけブラックでないのかを証明するレースの最中にある。だからこそ、自分の恩師と思う人間でさえ非難することができたのだ」。

民主党予備選で、ずっと人種とジェンダーは、それがあきらかなのに直接には触れられない、否、オバマもクリントンもそのふたつを「タール人形」とみなす奇妙な事態が展開されてきた。選挙のサブテキストであった問題は、しかし、いまテキストになろうとしている(この問題はもういずれ学会報告を行う予定である)。

NAACP会長で元連邦下院議員ジュリアン・ボンドは、囚人が参政権すら剥奪されている問題を、2000年大統領選挙のときからずっと追及している。そんな問題をオバマはとりあげるだろうか。法的カウンセルが必要だがその費用をもたない人びとのためにシカゴ・サウスサイドで活動した経歴をもつにもかかわらず、その資質をまだ彼は見せていない。だが見せろとムミアが迫る!

2008年03月31日

業績一覧更新しました

業績一覧を更新しました。

2008年3月、ひと月に2つの業績発表。それぞれ別々に進んできたものですが、取りあげている事象やテーマには関連性があります。

ひとつは大学紀要に発表した論文。2007年9月、アメリカ史学会年次大会のシンポジウム「公民権運動再考」で行った報告を加筆修正をして、大学紀要に発表しました。タイトルは:

  「長く暑い夏」再考 ── 60年代黒人ラディカルズの想像力と
     都市暴動に関する一考察」『山口大学文学会志』第58巻、63-89頁

いまひとつは、60年代の一次史料集として学術的考察にも使い得るイラスト集、『ブラックパンサー エモリー・ダグラスの革命アート集』

パンサー党の史的意義は前者で論じています。後者でそれを確認してくだされば、とても嬉しく思います。なお大学紀要論文は、そのうち本務校のサイト内で公開されます。公開されれば、本ブログの親サイトの業績一覧にリンクを貼り、そのことはここで告知します。

2008年03月14日

最悪のシナリオ

日本でも女性初の副大統領候補で民主党スーパーデレゲートのひとり、かつヒラリー・クリントン陣営の財務担当だったジェラルディン・フェラーロの発言が人種主義的だと言われ、クリントン陣営から退いたことが報道され始めた。

その詳細については近日中に論じるが、クリントン vs オバマの予備選がヒートアップするにつれて、ひとつの大きな不安が浮かんできた。それはブッシストがずっとホワイトハウスに居座るということである。

そのブッシストとはジョン・マケイン。彼は、ブラック・コミュニティでは、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを直撃し、非常事態が起きていたときに、ブッシュと一緒にケーキを喰っていた立派なブッシストである。

では、最悪のシナリオとは…

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2008年03月05日

「カーナー委員会」が「予備結果」を発表

ここのところ、当然のことではあるが、アメリカから伝わってくる「人種」や「黒人」に関連したニュースのほとんどがオバマの大統領選挙運動のことになっている。そこで、否、その文脈のなかで考えてみると、きわめて興味深いリポートのことを伝えたい。

下の11月12日のエントリーでも記しているが、昨年、40年前に全米の都市暴動に関して調査を行った「都市騒擾に関する大統領諮問委員会」、通称カーナー委員会が、今度は財団の支援を得て調査活動を行った。その調査の予備結果によると、この40年間の黒人の進歩、人種関係改善に関する成績はD+、つまり「合格最低点(日本でいう「可」)の上の方」というものになった。

オバマの華々しい活躍を脇に、NAACPデトロイト支部の前会長アーサー・ジョンソンは、「今日の経験から言いますと、昔と較べて顕著に良くなったと言えるところはほとんどありません」と述べている。

では、どこが特に成績評価を悪くすることに繋がったのか?。新カーナー委員会はわけても5つの点を指摘している(これは予備報告の結果であり、正式なリポートは今年中に公開される予定になっている)。

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2008年02月29日

ソフィスト曰く:カラーブラインド教条主義のダブルバインド

2月29日の『ニューヨーク・タイムズ』紙が報じたところによると、ヒラリー・クリントン支持からバラク・オバマ支持に「鞍替え」しているスーパーデレゲートの数が増加しているらしい。

ニューヨーク・タイムズ社とCBSの合同調査によれば、ヒラリー・クリントンはもともとスーパーデレゲートあいだでの支持が多かったものの、オバマに対するリードは今月に入って半減、102から42まで減少している。なかにはニュージャージー州のクリスティン・サミュエルズなど、現在もNAACPで活発に活動している現役の運動家も、クリントンからオバマへ支持を変えた。

今後、黒人のスーパーデレゲートのあいだでオバマ支持に回る人間が増えることは、したがって、容易に推測できる。サミュエルズの発表のタイミングも、おそらくはオハイオ・テキサスの予備選を踏まえて行われたものであろう。

さて、ここでオバマが象徴する「ひとつになったアメリカ」について、ソフィスト的疑問が浮かんでくる。

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2008年02月28日

あるスーパーデレゲートの決断

2月22日のここでの記事で「しばらくはsuperdelegateの動きを少しずつ紹介していこうか…」と書いたところ、意外と早く「大物」が決断をくだした。

そのエントリーでも、またそのあとのエントリーでも紹介している元学生非暴力調整委員会議長で現ジョージア州選出連邦下院議員のジョン・ルイスが、ヒラリー・クリントンの支持を撤回し、バラク・オバマの支持に回った。2月28日に『ニューヨーク・タイムズ』が行ったインタビューに答えて、彼はこう述べている。

「オバマ上院議員の立候補は、この国の人びとのハートとこころのなかで起きていた新しい運動、アメリカの政治史を画する新しい運動の象徴になっています。そしてわたしは人びとの側に立っていたいのです」。

下のエントリーでオハイオ・テキサスの予備選が接戦になった場合、スーパーデレゲートが決定権を握ると述べた。その後、『ニューヨーク・タイムズ』紙上には、女性初の副大統領候補に指名されたジェラルディン・フェラーロの「スーパーデレゲートは人びとに従うのではなく指導するのである」という旨の投稿記事が掲載されたが、その評判は決して芳しくなかった。この記事に対し、ある民主党員は編集者に宛てた手紙のなかで、もしそうなら予備選自体無意味だし、大統領選挙の日には投票所に行かないか、行ってもマケインに投票するとまで述べている。

つまりフェラーロの記事は、スーパーデレゲートの力に頼ろうとしているヒラリー・クリントン陣営にとってバックファイアするものになったのだ(フェラーロはクリントン支持)。

ここに来てスーパーデレゲートへの圧力は高まっている。歴史の研究者があまり簡単に将来の予測をしない方が良いが、なんだかオハイオ州の予備選で勝負が決まりそうな気がしてきた。

2008年02月22日

「人種内部」の対立とオバマ選挙戦ーーだからわたしはうれしい

よくこのような質問を受けることがある。「それでアメリカの黒人はどう思っているのですか?」。たとえばコンドリーザ・ライスやコリン・パウエルについて、イラク戦争について。たとえばO・J・シンプソンの累犯について。そして、たとえば、バラク・オバマについて。

残念ながら、それにはこう答えるしかない。「わかりません」。

時間があると、ここで逆に突っ込む(質問のされ方がそっけないものだったら「逆ギレ」する)こともある。「黒人という集団は多様な意見対立を内部にもっている集団であって、それはわたしたちと何らかわりありません。松井秀喜について「日本人」はどう思っていますかと聞かれてたとえあなたが日本人を代弁しても、それがわたしの見解と一致するという確証がもてますか?たまたま「人種」が同じだからという理由で統一された見解をもっていると見なすなら、それは一種の人種主義ですね」。「そんな「黒人の一般意思」のようなものを摘出できる能力があるなら、わたしは今こんなことをしていません、世界的知識人になってます」とか。

実は、いまさらながら振り返ってみると、20年になる黒人研究のなかでのわたしの小さな努力は、この黒人という「人種内部」の対立に光を当てることに費やされてきた。「対立」というと聞こえが悪いが、多様な意見をもつ人種集団を描き出すことで人種そのものを脱構築してやろう、そう思っていたのであろう。「白人」と「黒人」の「人種関係」に関心を払ったことは、正直言ってほとんどない。下のエントリーをご覧になってもわかると思うが、わたしの焦点はつねに「人種内部」に向かっている。

80年代後半から20世紀末にかけて"diversity"といえば人種のモザイク状態の多様性のことをいい、多様さを構成する単位は人種やエスニシティとされてきた。黒人史家のトム・ホルトは人種とは黒人を括るカテゴリー、エスニシティは白人のなかを区別するカテゴリーであり、黒人にはエスニシティが許されていないと語り、ジャマイカ出身の歴史人類学者オランドー・パタソンは人種とは学問の術語としては利用価値がなく、エスニシティに置き換えたほうが良いと語る。わたしにインスピレーションを与えてくれた人びとは当然いるのだが、それでも「間」より「内」に目が向けられることは少なかった。

なぜならば、「必死に戦っている集団の内部分裂を促している」と見なされかねないからだ。

それだからこそわかるのだが、爾来、黒人指導層は指導層内部での意見対立が表面化するのを極度に恐れた。WEBデュボイスがNAACPを辞めなくてはならなかったのは、彼が当時の執行部と異なる意見を発表したからであるし、マルコムXが公民権運動指導層から激しく嫌われたのも、彼が指導層への批判を大々的に行ったからである(下に書いたように、ジェシー・ジャクソンの大統領選挙のときに対立が表面化することがあった、しかしそれを当時者が認めることはなかった)。

オバマの登場でわたしが何よりも嬉しいのは、そのような多様性が日々日々伝えられてくること。日本で報道されることは少ないが、米語の新聞を見ると、そこには「黒人」という「人種内部」の葛藤がある。

上のYouTubeの動画は、そのなかのひとつ、昨日紹介したジョン・ルイスがまだクリントンを支持していた今年の1月14日、南部キリスト教指導者会議の元会長ジョー・ロワリーと喧々囂々の議論をするところである。このふたりは、前者はキングに憧れる神学徒として、後者はキングの側近として、苛烈極まりない南部公民権運動に従事した当人である。

彼らは言ってみれば「戦友」であり、その絆はしたがって強い。その二人がテレビ画面(パソコンモニタ?)のなかで、「人種を政争の具にしたのはどっちだ」と丁々発止とやりあっている。ファーストネームベースで!。

ここを訪れられている同業者の方、もしくはさらに「人種内部」の多様性を知りたい方がいらっしゃったら、コメントの方もぜひみてください。人種もさらには国籍も特定できませんが、何かが変わっているアメリカを感じることができます。

この葛藤のなかから新たなブラック・アメリカが生まれる、そう考えると何だか歴史の一シーンに立ち会っている充実感さえある。

2008年02月21日

「アメリカで何かが起きている」 by a superdelegate

昨年の5月にここのブログで紹介した若手の「黒人」政治家の名、バラク・オバマはもはや日本でも広く人びとが知ることとなった。予備選が今後行われる州からみて、大きな勝負は3月初頭のテキサス州とオハイオ州のみ、ここでヒラリー・クリントンが大差をつけて勝利をおさめない限り、最終的な勝負は8月25日から28日にかけてデンヴァーで開催される民主党大会に持ち込まれることになる。しかも、オバマが僅差でリードを保ったまま、ということになる。

今年が始まった頃、長引くイラク戦争、アメリカ経済に急に立ち込めた暗雲などを鑑み、それを40年前、キングやロバート・ケネディが暗殺され、シカゴ民主党大会では警官隊とデモ隊の激しい衝突が起きた「1968年の再来」と言い始めるものもいた。そのような記事を『ニューズウィーク』で読んだとき、正直言って、根拠が希薄であれば、「歴史は繰り返す」という面白みも何にもない常套句に頼ったチープな記事、と思ったものだ。ところが、全国大会まで大統領候補が決まらないとなると、これは「1968年以来初」の事態ということになる。そしてもっと古い話を紐解けば、黒人が先か女性が先かでアメリカ政治が動く(少なくとも「沸く」)のは解放奴隷を含めた黒人男性に選挙権が賦与された1868年以来、ちょうど100年ぶりだ。

ヒラリー・クリントンはこの選挙戦をよくhistoricといって形容するが、それはあながち悪い表現ではない。すでに民主党大統領候補は黒人か女性かがなることになった。これは10年前にはまったく想像できなかったことだ。

またまた正直なところを言えば、わたしはバラク・オバマの政治姿勢を評価しつつも、ここまで闘えるとは思っていなかった。アメリカの報道を追っていれば自然とそのような結論に至ったし、黒人が二大政党の大統領候補になることを現実のものとして想定できたアメリカ研究者は極めて少ないと思う。なぜならば、広く日本でも報道されているように、アフリカ人を父にもつ「だけ」のオバマに黒人票が期待できるのか疑問に思う向きは強くいたし、2007年10月14日の記事で述べているように、「大物」の黒人政治家や公民権運動のベテランたちはヒラリー・クリントンを支持するか、少なくともオバマとは距離を保っていたのだ。彼に当初期待された支持層は、40代以下の若年層、高学歴の男性、それぐらいだった。1月のアイオワ州党員集会での勝利も、「まぁそんなこともあるだろう、でもスーパーチューズデイまでには…」と思わせるだけに留まった。つまりほんとうに正直言って、わたしはまったく「黒人」候補の支持層の拡がりを予見できなかったのだ。歴史をみつめる研究者が下手に未来予想などするものではない、だからまちがえても当然、そんな言い訳でもしたくなる。

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2008年02月14日

そろそろ復活します

さてずいぶんとこのブログ、更新を休んでおりました。その間に、ここでかなり前に紹介したオバマが「オバマニア」という一大旋風を超えブームになってしまい、何とかわたしも声をもういちどあげなくてはと思っているところです。

近々、復帰し、更新を行います。

2007年11月16日

黒人のミドルクラス〜実は「負け組」だった

公民権運動の圧力によって制定された諸法は、人種隔離や投票権の剥奪など法的な差別を瓦解させ、黒人のミドルクラスの社会階梯の上昇を促したと爾来語られてきた。ところが、Pew Charitable Trust の調査を『ワシントン・ポスト』紙が報じたところによると、それが神話だったことが判明した。

1968年にインフレ換算した額で5万5600ドル以上のミドルクラスの家庭の出身者のうち、下位5分の1、つまり2万3000ドル以下の所得の階層に「下降」した人びとの率は43%にのぼる。

もっとも、この報道自体、3分の2の黒人が社会階梯を上昇していったとしているし、調査したサンプルはわずか730世帯にすぎない。しかし、このデータは、歴史人類学者で黒人のオランドー・パタソンが同記事で述べているように、アファーマティヴ・アクションは中流以上のものの利益にしかならなかったとする短絡な結論の再考を促すには十分であると考える。黒人の所得中央値に至っては、1974年から2004年までの30年間のあいだに12%も減少しているのである。

2007年11月15日

親しみの表現か人種主義の発露か?

ミネソタ州、ハムリン大学で、ハロウィンの日、白人が体と顔を真っ黒にし、「アフリカ」の「未開部族」の仮装をしたことで停学処分になった。この学生たちに近しいものは、事件が文脈を無視して誇大に伝えられており、処分を受けた学生たちにアフリカン・アメリカンを中傷する意図はなかったと述べている。

同様の事件は、実のところ、頻発している。

たとえば、2005年11月、シカゴ大学では、「極道渡世一直線パーティ straight thugging party」と題したダンスパーティを白人学生が開催し、その会場には、衣装として、手錠を片手にはめて、マニラ紙に包まれたビールを呑む学生がみられた。そのテーマに憤慨した黒人学生が抗議のために現場に向かったところ、白人学生のひとりが「ヘイ、リアルなヤツがきたぜ、俺たちはお前たちみたいになりたいよ」といった発言を行ったらしい。その学生は、シカゴ大学、つまりバラク・オバマが教鞭を執っていた大学の学生であり、「リアルな極道」ではない。そしてまた、大きすぎるバギー・ジーンズとTシャツ、それにベースボール・キャップといった「ヒップホップ」流の恰好とはほど遠い、「名門私立の大学生らしい」、ごくふつうの恰好をしていたという。

では、何が、彼ら黒人は「ゲトー・ギャング」(白人学生の表現)の世界からやってきたリアルなブラックと思われたのだろう?

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2007年11月12日

「カーナー委員会」の「再調査」が始まる

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今から40年前、ニューアーク〜デトロイトの大暴動を契機に設立された都市騒擾に関する大統領特別諮問委員会(通称カーナー委員会)は、1960年代後半に頻発した暴動の原因を探る最終過程にあり、その結果は翌年の3月1日に公開された。『デトロイト・ニュース』紙が報じたところによると、今月11月18日、その「カーナー委員会」の「再調査」がデトロイトを皮切りに始まる。そして、同じく3月1日に、連邦議会に調査報告書を提出する予定であるらしい(この委員会報告の史的意義については、今年9月のアメリカ史学会年次大会で報告し、その原稿はこのサイトにアップしている。なおわたしは、その報告に基づいた論文を現在執筆中であるが、脱稿・発表の折には、ここで報告したい)。

今回の「カーナー委員会」には、しかし、1960年代と大きく異なることがある。それは、

(1)大統領の行政命令によって設立された67年の委員会と大きくことなり、今回の委員会には行政的威信も「国民が与えた権威 national mandate」もない。この委員会は、67年委員会の委員を務めたもののなかでいまも存命中のものに、アイゼンハワー財団が委託したものである。

(2)60年代のような大規模な「運動」がどこにも存在していない。したがって、報告が現状を告発するもの(それは多いに予測される)になったとしても、それを推す市民運動が存在していない。

(3)60年代当時と較べ、人種関係に関する政治学・社会学の調査・論考は、著しく増加している。したがって、今回の委員会の報告が目新しいものになることは、ほぼ期待できない。

1960年代当時と現在は異なる。それを踏まえたうえで、この委員会が何らかの報告書を出し得るだろうか。

2008年3月1日が単なる「記念日」にならないことを祈りたい。

2007年11月11日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々々編

サブプライム・ローンと人種に関して、さらにはっきりとするデータを発見。以下のリンクにあるPDFページ、わけてもそのなかの表をご覧ください。高所得者のなかでのサブプライム利用者は

白人:5.2%
黒人19.6%

何をか言わん。

Center for Responsible Lending

なお、以上の数値は、2004年には判明していた。対策はあきらかに後手に回っている。

2Pacシャクール芸術センター破壊事件容疑者逮捕

日本でも大々的に報道されたルイジアナ州の「ジェナ・シックス」事件を初め、ここのところアメリカでは黒人を対象にした「ヘイト・クライム」の増加が伝えられている。連邦司法省長官人事、さらには同省高官のセンシティヴィティを欠く発言も相俟って、司法当局の態度が厳しく問われ、今月6日には、アル・シャープトンやマーティン・ルーサー・キング3世などの公民権運動家──このような事件では「お馴染み」の面々──が、16日に、ワシントンD・Cでヘイト・クライムへの取締・捜査の徹底を要求する「巨大なデモ」を慣行するという宣言を発表した。

そのような緊張した脈絡において、アトランタにある2Pacシャクール芸術センターの外装が破壊され、「ジーナ・シックス」Jena Six 事件と同じく、この革命家の息子であるラッパーの銅像のクビに(ジム・クロウ時代のリンチを暗示する)「首つり縄」nooseがかけらえる事件が起きた。左のビデオにある通り、この事件は、したがって、当初「ヘイト・クライム」の嫌疑で捜査が進められた。

しかし、とんだ結末になってしまった。

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2007年11月06日

『ニューヨーク・タイムズ』紙、タナーの更迭を要求

このところ大統領選挙に関する報道がずいぶんと増えた。ヒラリー・クリントン、バラク・オバマという、当選すればそれぞれ史上初となる候補がいるのが、こんなにも早い時期から関心を集めている理由であろう。

しかしながら、実のところ、アメリカの選挙には、2000年以後、ずっと懸案の問題がある。

それは投票された票をどのようにして数えるのか、投票資格の確認はどうするのかといった問題であり、最初は2000年のフロリダ、その4年後はインディアナ州でおきた。

連邦司法省投票権課が容易した答が、写真付きIDの提示である。問題は、そのIDが有料でしか手に入らないということ。つまり、結果として「投票税 poll tax 」と酷似した形式が復活することになる。ところが「投票税」を課すことはアメリカでは憲法違反である。

この窮状のなかで、公民権課長がジョン・タナーが発したのが、過日ここで伝えた「どうせ黒人は早く死ぬ」というものだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙は、5日の論説文で、さらには近年投票権課がマイノリティの権利保護をないがしろにしているという批判とともに、タナーの罷免を要求した。

さらにまた、それと同時に、情報を操作したり、脅迫をしたりでマイノリティの投票権行使の妨害を行うことを犯罪とする詐欺行為投票権妨害処罰法の早期可決を主張している。ちなみに同法の発案者は、バラク・オバマである。

オバマが当選するためには、当然のことながら、マイノリティの票は必ず全部カウントされなくてはならない。

2007年11月04日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々編

サブプライムに関してまた新しい記事を読んだ。それは、「昔はレッドライニング、いまはサブプライム」と、このブログでわたしが論じたのと同じことを紹介しつつ、ひとつの具体例を挙げている。人種と住宅というと決まって名前がでる街、デトロイトの話。

住宅抵当開示法を利用したサブプライムローンの実態の調査が進むにつれ、デトロイト近郊ではこんなことが起きていた。二つの場所、それは「エイト・マイル・ロード」で隔てられているだけ。この「エイト・マイル・ロード」、地理的にはデトロイト市と郊外の境界を示すのだが、その社会的意味は、〈黒人が住んでいるところ(デトロイト市)〉と〈白人が住んでいるところ(郊外)〉の境界を示す。(エミネム主演の映画『エイト・マイル』は、したがって、彼が境界線上で生きてきたという隠喩である ── Dr. Dreは彼のことを「黒人として育った白人」と言っていた)。

そのエイト・マイル・ロードを挟んで二つのコミュニティがある。その様相を記すと

1.プリマス
   97%が白人
   所得中央値:51000ドル

2.エイト・マイル・ロードを挟んですぐ東
   97%が黒人
   所得中央値:49000ドル

1のコミュニティのサブプライム利用者:17%
2のコミュニティのサブプライム利用者:70%

さて、2000ドルの所得の違いがこのような差異を生むだろうか。この結果を生んだのは、人種別人口構成であると結論してどこかおかしいところがあるだろうか?。このニュースを報じる『ニューヨーク・タイムズ』は、黒人のサブプライム利用者は白人の2.3倍、ラティーノは2倍に達するという。

ここで急いで付け加えなくてはならないのは、黒人とラティーノに経済観念がないから、こうなったのではない。なぜかというと、

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2007年11月01日

どこかで見たような謝罪 〜 連邦司法省

大統領選挙を来年に控え、選挙の手続きに関する法整備が進んでいる。その理由は、もちろん、2000年のフロリダ、2004年のインディアナで起きた投票資格をめぐる論争・政争をいかに解決するかにあるが、現在そのインディアナ州を含めて拡がりつつあるものが、投票を行うに際して、写真入りのIDカードの提示を義務づけるとする動きであり、連邦司法省もそれを推している。

これに対し、NAACPを初めとする公民権団体は反対の意思を表明している。というのも、彼らの主張によると、自動車の所有率が低い等々、この法律が可決されると、人口比に不釣り合い率で黒人が対象にされるからだ。人種には触れていない立法が人種差別的に機能する、その意味において、この立法はかつてのジム・クロウ諸方を思わせるというのである。

そのような論争が繰り広げられている最中にあり、「黒人が不釣り合いに法の犠牲者になるわけではない」と、司法省投票権部部長、ジョン・K・タナーが主張した。これに続いたのがとんでもない理由付け。「なぜならば、どうせ黒人は早く死ぬのではないですか」。

当然、黒人議員を初め、野党民主党議員は激怒し、連邦議会でタナーを詰問し、彼は謝罪を行った。そこで彼が言ったことば、

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2007年10月29日

モータウン50周年、その悲哀

20071029hitsville_at_501週ほどここに掲載するのが遅れてしまったが、先週末、デトロイトでは、モータウンのガラ・コンサートが開催された。ここのところ毎年開催されているようだが、今年は少し趣きが違う。なぜならば、今年は、モータウンの前身タムラ・レーベルが創設されて50周年にあたり、ガラも50周年と銘打って行われたからだ。

これにあわせて、かつてのモータウン本社、現在のモータウン歴史博物館があるウェスト・グランド・ブールヴァードは、創業社長でモータウンサウンドを創りあげた人物の名前に因んでベリー・ゴーディ・ストリートと名づけられた。

この通りをモータウン博物館を過ぎて西に500メートルほど行けば、マーティン・ルーサーキング公演という小さな公園があり、その公園の角を北に行けばローザ・パークス・ブールヴァードが始まる。つまり、ここには50年代から60年代を突き抜けた黒人社会の息吹が記念されることになったのである。(ちなみに、通りの名前変更は、マーサ・リーヴスの提案によるらしい。わたしは、恥ずかしいことに、彼女がデトロイト市議会議員になっている!とは知っていなかった)。

さすがに今回のガラには「大物」が集まったようだ。なかでも、モータウン・ファンにとって嬉しいのが、ブライアンとエディーのホーランド兄弟が参加したということ。ホーランド兄弟とラモント・ドジャーのHDHトリオこそ、初期のモータウンサウンド(軽妙なタンバリン、ジェイムス・ジェイマソンのテンポが良くてトリッキーなベース、タムの4連頭打ちに、打楽器のように叩かれるピアノ等々)を創りだした人物だが、ゴーディ社長が暴利を貪っているということで裁判となり、両者の間柄は長いあいだ冷え込んでいた(これは右の本が詳しい)。

しかし、何か寂しいところがある。というのも、世界中に中継された25周年のときに較べると、さすがにモータウンサウンドも輝きが鈍くなったか、と思わざるを得ないからだ。というのも、

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2007年10月27日

世にも恐ろしいひどい話〜続編

『ニューヨーク・タイムズ』紙に、サブプライムローンが多い場所、人種、抵当となった住宅の差し押さえが起きている場所の地図が掲載された。

前日、このブログで紹介したことは、この地図をみるとグラフィカルにわかる。以下のリンクを参照されたし。ああ、なんとひどい話だろう。

Foreclosures in Black and White

2007年10月23日

インディアン・アメリカンが州知事に当選

この先週の土曜日、ニューオーリンズのあるルイジアナ州で知事選挙が行われた。その勝者は州知事としてはアメリカ史上初となるインディアン・アメリカン。通例、アメリカと言い、続けてインディアンというと同地の先住民を指す。一時期、その呼称は勘違いしたコロンブスの無知を表すものであり、アメリカ先住民を侮辱するという一方的主張を行うものがいたが、実のところ、インディアンはアメリカ先住民自らが使う自称にもなっており、侮蔑的意味合いはないと考えるのが一般的である。

しかし、そのインディアンは「インド系」の意味だった。ここのところ、エンジニアリングや医療、IT技術において世界的プレゼンスを増大しているあの南アジアの大国のことである。

ところで、若い頃のデンゼル・ワシントンが主演した映画に『ミシシッピ・マサラ』というとても興味深いものがある。設定は、ミシシッピ、同地で生まれ育った黒人男性がインド人の女性と恋に落ちるという話だ。その女性、インド人はインド人であってもアフリカ出身のインド人、帝国イギリスの政策によって19世紀に現在のウガンダに移住し、ウガンダの軍事政権が「インド人追放政策」をとったためにアメリカに移民してきたという家系の出身である。さらには舞台の設定はミシシッピ、それは「人種差別がもっとも厳しいところ」を表象する。

当然、女性の両親は、両者の交際に反対どころか驚愕した。人種的偏見が厳しいこの世界で生きていけるのかという女性の父親に対し、デンゼル・ワシントンは、きっぱりこう応える。「あんた何言っているんだ、俺の生まれ育った場所はミシシッピ」だ。結局、その父親は、むかし政変があるまではアフリカ人の友達が多くいたことなどを思い出し、人間同士の「愛」を再発見する。「マサラ」とは、ご存じの方も多いだろうが、インドの香辛料。この映画では、人間同士のあいだの愛(それは性愛も含む)が抗しがたい魅力をもつことを表象している。

話をもとに戻して、ルイジアナの選挙のこと…

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2007年10月19日

サブプライム危機と人種~世にも恐ろしいひどい話

アメリカの住宅融資をめぐる危機が日本の株式市場にも影響を与え始めて数か月たち、日本でもサブプライムローンということばが広がり始めた。このローンは、最初は低率の金利(たとえば初年度4%)で始まった住宅ローンが、数年後には数倍(たとえば3年後18%)に跳ね上がるという融資制度のことを言う。

結果として高利融資になるのだが、その間、債務者がほかの金融機関からより有利な条件で融資をすることで、高利の支払いを回避できる、というのはこのひどい制度を作り出したものの言い分だ。理屈ではこうなる。いまの景気が続けば、きっと住宅価格が上昇する。その3年間の上昇分で、利率の低いローンに乗り換えれば良い。たとえば、日本で日銀がゼロ金利政策を止めたとき、変動金利から固定金利への乗り換えが進んだ。多くの住宅ローンはより有利なローンへの切り替えによって返済されるのであって、その点でいえば、この理屈は「うん、そうなのか」といったところがある。

ところが、サブプライムローンを利用する人びとは、ふつうの金融市場での有利な融資を受ける可能性の低い低所得・貧困層であり、ほとんどの債務者はローンが支払われず、その結果、担保となっている住宅を差し押さえられ、破産する末路に追いやられている。もちろん、いちばん大元の融資者は利益を得るが、よくよく考えてみると、これは巧妙に仕組まれたマルチ商法に近いもの、住宅市場のバブルはいつかははじける。いやはじけ始めた。

ここまでは単なる経済問題。しかし、ハリケーン・カトリーナのときのことを思せる方はすぐわかるように、アメリカで低所得・貧困層といえば、黒人とラティーノが人口比に不釣り合いな割合で含まれることになる。そう、サブプライムローンで苦しんでいるのは、黒人とラティーノなのだ。

「2台の自家用車がある家」、これは戦後直後の日本に紹介された、アメリカの物理的豊かさの象徴、つまりアメリカン・ドリームだった。ところが、この夢を実現できた黒人は少ない。なぜならば黒人に住宅資金が融資されることは、白人に比して、異常に低かったからである。この仕組みをレッドライニングと呼ぶ。簡単に言うとこうだ。ある地域が「地価や住宅価格が低下傾向にある」と判断された場合、その土地や住宅を抵当にした融資に対し厳しい査定を行う。その地域を赤緯線で囲んだことからレッドライニングと呼ばれている。ところが、この「地価や住宅価格が低下傾向にある」地域というのは、ほとんど決まって黒人ゲトーかラティーノのバリオである。経済的なことばで語りつつ人種への言及がまったくなくても、金融という自由市場は人種差別的に機能する(この点については、右の著書が詳しい)。

人によっては、高利の融資を利用するのは、その人物の経済観念がまちがっているからであると言うだろう。しかし、黒人・ラティーノは、利用したくてサブプライムローンを利用しているのではない。これを利用しないと、夢が実現できないから、それに賭けざるを得なかった、もしくはそう強いられたのである。

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2007年10月14日

オバマ支持をめぐり割れる黒人指導層

公民権運動時代のもっともラディカルな団体であり、60年代の諸運動の牽引力であった学生非暴力調整委員会の元議長で、現職下院議員(ジョージア州選出)のジョン・ルイスが、「黒人」のバラク・オバマではなく、ヒラリー・クリントンを支持するとする表明を発表した。ヒラリー・クリントン支持の理由は

・大統領になるだけの政治的経験をもっていること
・すでに世界各国の政界リーダーとの親好があり、友好的外交関係を築く資質を備えていること

これらは、しかし、ヒラリー・クリントン自身が、自分がバラク・オバマに対して優位に立っている点として数々の場で述べていることである。

ジョン・ルイスは、ビル・クリントン前大統領との親好が厚い。ノーベル文学賞を受賞した小説家トニ・モリソンは、クリントン前大統領を「黒人初の大統領」と評したが、いまでもハーレムに事務所本部を構える彼と黒人コミュニティとの絆はやはり強い。


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2007年10月05日

学会報告をおこないました

去る9月22日、東北大学で開催された日本アメリカ史学会年次大会にて報告を行いました。

夏のリサーチ、続けてすぐの報告とたてこんでおりましたため、ブログの更新がなかなかできませんでしたが、学会報告のハンドアウト、発表原稿はウェブサイトに掲載しております。

こちらをご参照ください。

なお、発表原稿は読み口調にあわせてつくりましたので、文語としては妙なところに読点がアル可能性があります。何卒ご寛恕ください。

2007年09月04日

デトロイトより ── ブラック・アメリカの危機

20070904_pan_african_orthodox_church_small.jpg1967年3月のデトロイト、アルバート・クラーグという名の牧師が、聖母マリアやアフリカ人、イエスを革命家と説く特異なキリスト教の一派を立ち上げた。クラーグ師は、その後、デトロイトのローカルな政治で大きな影響力を持つようになる。

実は、このアメリカではレイバー・デイの3連休になった週末、67年の暴動の中心地からわずか数ブロックのところ、旧モータウン本社から通りを4つ隔てたところにある彼の教会の礼拝に参加してきた。右の写真は、その教会の入り口の看板である(拡大写真はここ)

クラーグ師は既に鬼籍に入っており、今はその後継者が牧師を務めている。教会のディーコンの人びとに、近年の活動を伺ってみると、サウス・カロライナで農場を運営し始めるなど、それはネイション・オヴ・イスラームのものに酷似していた(ネイション・オヴ・イスラームもデトロイトが発祥の地である)。

説教は、それでも旧約聖書のなかの寓話の引用から始まる。かなりのあいだ、正直言ってつまらなかったのだが、90分くらいにのぼるその説教の3分の1が過ぎた頃だろうか、牧師はブラック・アメリカの現状を語り始めた

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2007年08月22日

ハリケーンシーズンがまたやって来たが…

世界を驚かせたハリケーン・カトリーナの災害からもう2年が経過しようとしている。そして今年もハリケーンシーズンがまたやってきた。

しかし、『ニューヨーク・タイムズ』紙が論説文で批判しているところによると、ニューオーリンズの堤防は未だに復旧していないらしい。驚いたことに、堤防の再建設が終わるのは2011年。その間、この街に住む人びとは、まさに運命を天に祈らなければならない。Big Easy という名で親しまれたこの街は、この季節にはEasyではいられない。

2007年08月15日

BBS廃止のお知らせ

このブログを開設して以後、どんどんBBSの存在意義はなくなりました。

他面、BBSへのリンクスパムの書き込みが急増しています。

このブログのコメントを利用すれば、BBSと同様のコミュニケーションができるので、思い切ってBBSは廃止することにしました。

2007年07月29日

民主政治を考える…

今日、参議院選挙がありました。直接アメリカ黒人とは関係ありませんが、奴隷制以来、彼ら彼女らが闘っていたこと、それは民主政体のなかでどうやって声を響かせるかです。

だから敢えて政治的発言を行います。

でも、ちょっと簡単な喩え話から…

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2007年07月26日

バグは解決しました

ブラウザによっては記事が正常に表記されない問題、たった今、解決しました。

その間、混乱した情報を流してしまい、申しわけございません。

アクセスが5万件を突破しました!

2000年4月にこのサイトをニフティ内に開設して以来早7年、本日、アクセスが5万件を突破しました。

たびたびご訪問されてくださっている方、どうもありがとうございます。また、このサイトを紹介してくださっている方にも、これを機会にお礼を申し上げます。

なお、この数字はあくまでもカウンターを設置しているトップページならびにブログの訪問者の数字です。サイト内のページに直接訪れた方の数は反映してはいませんが、アクセス解析からしまして、大げさではなく10倍の訪問回数が予測できます。どうもみなさんありがとうございます!


ところで、ブラウザによってエントリーの表示に不具合が生じているようです。ブログのデーターベースに何らかの障害が起きているものだと思い、いま原因を探っているところです。

前後の文脈に不自然なエントリーがありましたら、そのエントリーのタイトルをクリックしてください。単編の記事では問題なく表示されます。