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2005年09月07日

ハリケーン・カトリーナは人災である−−実数値から見よう

ハリケーン・カトリーナが起こしたニューオーリンズでの災害は、人災である、それを示す明確な数字を示そう。

2000年の時点で、国勢調査を行った連邦政府には、このような数値が手許にあった。

20050907katrina.jpg1.約48万人のニューオーリンズ市民のうち、連邦政府が定めた貧困者のカテゴリーに入る人間の人種別率は以下の通り。

    黒人:35%
    白人:13.7%

別の計算を用いて率を出すとこうなる。28%のニューオーリンズ市民が貧困層に属するが、その内黒人が占める率は、84%に達する。(ちなみに、全米の人口に占める黒人の比率は約12%)

2.さらに貧困者のなかで、車を所有していない家庭に住むもののは

    黒人:2万1千人
    白人:  2千人

とくに、2の数値は、過去、このブログで私が直観的に述べてきたことがあながち当てのない推論ではなかったことを物語る。彼ら彼女らは実際に避難できなかったのだ。

そして、国勢調査局が知っていたことを、ホワイトハウスが知らなかったとどうして言えよう。上の数値とて、筆者が特別なリサーチをして判明したことではない。国勢調査局のウェブサイトに出ており、それは公衆みなに開放されている。


ブッシュ失政を物語る数値は、さらに、

・ニューオーリンズ市が属するルイジアナ州兵の3分の1が、イラク戦争関連の軍事行動に従事していて、災害派遣ができる状態ではなかった。

2005年10月04日

ニューオリンズ復興計画

20051004katrina.jpg『ワシントン・ポスト』紙の報道によると、ハリケーン・カトリーナ、リタでもっとも大きな被害を受けたニューオリンズ第9区は復興から取り残される可能性が高くなったようだ。

被災前に人口2万人だった同区の住民の圧倒的多数が黒人。住宅の半数以上が賃貸物件。さらには、その3分の1が貧困生活を送るのを余儀なくされていた。

しかし、ロックンロール草創期を担ったファッツ・ドミノもここに住んでいれば、アラン・トゥーサンやケーミット・ラフィンズ、そしてマルサリス家らジャズミュージシャンたちもここに住んでいた。なぜならば、この街の雰囲気が好きだったからである。あるものは、「そこにはハートとソウルと美があった」と言う。

ネーギン市長は、ニューオーリンズの全ての区の復興プランを策定していた。しかし、国家安全保障省の高官は、第9区の住宅の多くは「復興させることが不可能」だと語り、連邦住宅都市計画省朝刊は、もっと厳しく「第9区を再建するのはまちがいである」と述べている。

ここは有名な観光地、フレンチ・クォーターから2マイルしか離れていない。そこで、バーテンダーやウェイター、ウェイトレス、メイドとして働いていたのが第9区の住民たちである。つまりこの街のビートを地味だがしっかりキープしていてくれたのだ。

しかし、どうやらニューオーリンズ復興は、観光名所、ジェンティリーやレイクヴューといった中流・富裕層が優先され、この街を有名にした、この街のアイデンティティである場所が後回しにされるようだ。

アメリカは、安値で不動産を買い、高値で売り抜ける不動産ファンドの発祥の地。第9区の開発がビジネス中心、つまり市場原理に任されるとなると、それはかつての住民には帰還不能を意味する。不動産価格が高くなれば、彼ら彼女らは帰って来られない。

もうニューオーリンズは消えてなくなり、ニューニューオーリンズになってしまうのだろうか。

2005年10月21日

Million More March 続報

20051021million_men_march.jpgこのブログで紹介したMillion More Marchが先週末実施された。

主催者は80万人の参加を予測していたし、わたしのもとに届いた映像を見るとワシントンのモールはほぼ人で埋め尽くされていた。さらに、今回は、10年前の行進にも参加していたジェシー・ジャクソン・シニアにアル・シャープトンに加え、前回は男性に参加者を限定した行進は性差別にあたるとして協力を拒否したとNAACPとNULの会長も参加した。

カトリーナ災害を受け、久しぶりに黒人活動家の統一戦線が張られたのである。

しかし、前回の行進が日本を含め全世界に衛星中継されたのに対し、今回の報道はきわめて限られている。

『ワシントン・ポスト』の記事によると、「真剣な政治デモというより、フェスティバルのムード」があったらしい。1963年のワシントン大行進のとき、それを「ピクニック」「茶番劇」といって揶揄したのはあのマルコムXだった。ふと、このエピソードを思い出してしまう。

実際の反響など、これから追跡調査しなければならないことは多いが、それでも確実にこれだけは言える。アメリカ社会を動かすには、残念ながら、至らなかった。

他方、ブッシュ政権は、ハリケーンで被害を受けたメキシコ湾岸地域の「復興」のために大きな財政支出が必要だということを理由に、歳出「カット」に踏み切った。福祉予算をカットしたのである。さらにまた、高額所得者に対する減税も行おうとしている。再建には好景気が必要で、それは富裕者を優遇しないと訪れないとする破綻したレーガノミックス政策をまだ続けようとしている。さらには、最低賃金の一時凍結を実施した。これも「復興」を早くするためらしい。

富裕者の生活は「復興」される。貧困者の生活はもとには戻らない。

2006年01月06日

ニューオーリンズ復興ニュース1

ニューオーリンズの不動産市場が過熱状態にあるらしい。それは、ハリケーン直撃直後ではまったく考えられなかった規模になっている。

例えば、ミシシッピ川の西に拡がるウェスト・バンク地区では、ある不動産業者によると、昨年11月の売り上げは、対前年比99%の上昇を示したらしい。隣接郊外になると、さらに活況状態は激しくなる。市の西側の郊外では、対前年比189%を記録した。

しかし、この活況は、想像がつく人びともいるに違いないが、洪水の被害を受けた場所ではなく、そもそもハリケーン被害のもっとも少なかったところにかぎられている。

実のところ、不動産市場を加熱させているのは、復興計画が未策定のままでは自分の持ち家の将来がどうなるのかわからないので、「第2の家」を買おうとしている人びと。

この情況を見て、地元の不動産業者は、「待った甲斐があったってものだ、やっと(災害保険の)チェックが届いたんだよ」と述べている。

もちろん、もっとも被害の激しかった第9区は、もっとも保険加入率が低く、その逆に失業率が高い。「第2の家」など望むべくもない。

このようななか、連邦政府は被災者への支援の打ち切りを矢継ぎ早に発表している。何もかもビジネスに任せたらどうなるのか、その残酷な矛盾がいまニューオーリンズに現れている。

2007年05月25日

「ヒップホップ誕生の地」が消える!?

20070526west_bronx.jpg文化」というアモルファスな領域に属する音楽のジャンルの起源はどこにあるのかが定かでないものが多い。たとえば、ジャズはいつどこで生まれたか?。ブルーズはどこで生まれたか?。これに答えられるものはほとんどいないだろう。いたとしても、それはひとつの「仮説」に過ぎない。

ところがヒップホップは違う。「記録」がしっかりと残る「現代」に生まれたこの文化様式は、ニューヨーク市ウェストブロンクス、セジウィック・アベニュー1520番地で、1973年に生まれた。同地のコミュニティセンターで開催された「ダンパ」(そのときのビラは右下を参照)、DJ. Kool Hercという人物が創ったサウンドが、ヒップホップの原点である(左の写真がその場所の入り口)。

いま、その場所が変貌しようとしている。そのことは、ある意味において好ましいものなのだが、別の面では、今日の「ゲトー」で何が起きているのかを示す興味深い事例となっている(←欧米か!、典型的な欧文脈失礼!)。

20070526kool_herc.jpgニューヨーク州では、減税と担保の一部を州政府が負担し、賃貸住宅の家賃を低く抑える政策、ミッチェル・ラマ・プログラムというものがあった。セジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅の所有者はそのプログラムに参加していて、住民は低賃金で働く労働者(そのなかでラティーノの占める割合は高い、ここは決して「黒人ゲトー」ではない)。しかし、近年住宅市場が活況になったため、このプログラム(担保の負担は不況下においては所有者にとっても利得のあるものだった)との契約を切る住宅所有者が増加している。『ニューヨーク・タイムズ』が報じるところによると、同市でこのプログラムに参加していた住宅は1990年には6万6千戸あったのに、それが現在は4万まで減少しているらしい。

そのような環境下、今年の2月、セジウィック・アヴェニュー1520番地の所有者が、プログラムとの契約を切ると通告した。これは、具体的には、家賃を上げるということを意味する。家賃をあげるためには、もちろん、この住宅はリノベートされなくてはならないし、所有者もその意思をもっているらしい。つまり、ウェストブロンクスにも、いわゆる「ジェントリフィケーション」の波が押し寄せてきたのである。

そこで、住民たちは、いまや世界大に拡がったヒップホップ文化の発祥の地として、この地を「史跡」に指定し、そうすうすることで現在の住宅のキャラクター(貧困者が一所懸命いきる街のアパート)を保持しようとした。ヒップホップは、アフリカン・アメリカン、ラティーノたちが、貧しさと格闘するなかで生まれた文化である。その文化の徴を残すには、住宅の外観だけでなく、質も「保存」しなくちゃいけない。それが住民たちの主張だ。

しかし、環境保護や史跡保護に詳しい人間の意見では、このようなことは前例がないらしい。やはり、史跡の保存とは概観のみを指すというのだ。

でも、NHKの番組「世界遺産の旅」によると、オーストリア=ハンガリー帝国の女帝、マリア・テレジアが建設を命じたシューブルン宮殿は、世界遺産としての指定を受けているとともに、そのなかの質も「保存」されているらしい。この宮殿の一部は、第1次世界大戦後の帝国の解体と社会党政権の誕生によって、国を真に支えている労働者に開放され、いまもそのときに住み始めた労働者階級の人びとの子孫が住んでいる。

1973年8月11日、DJ. Kool Herc は、妹が学校に行くための服を買ってやるために、パーティを開催した。それがヒップホップの誕生の瞬間。この文化は、一所懸命生きる人びととコミュニティが創りだしたものである。ニューヨーク市やニューヨーク州に、その気があれば、このセジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅は、ヒップホップを誕生させた環境とともに「保存」することが可能ではないのだろうか。

2007年07月24日

デトロイト暴動から40年

アメリカが7月23日を向かえた。この日は、正確な数字が残っているものとしては、当時アメリカ最大の人種暴動(43人死亡、7000人逮捕、92年のロサンゼルス暴動のみがこの死亡者数を上回っている)となり、公民権運動の時代の終焉をつげる序曲となったデトロイト暴動がおきてちょうど40年目にあたる。わたしが住んでいるここ日本もとても暑い日だったが、暴動がおきたその日のデトロイトも華氏90度を超える酷暑だったという。

その日から、デトロイトは大きく変化した。この街の活力の源泉そのものであった自動車産業は、みなさんご存じのとおり衰退。暴動がおきた67年当時でさえ、自動車工場はより労働力の安価な地域に移り初めており、デトロイト市内にはクライスラーの工場しかなかった。クライスラーが投資ファンドに買収されたいま、かつてこの街を支えた工場すべてが一度はこの地を去ったことになる。

さらにはまた、この街の名と一緒に世界中に知れ渡ることになったモータウン。モータウン・サウンドを量産したスタジオ、Hitsville U.S.A. は実は暴動の中心地となった12番街・クラアモント通りの交差点からわずか徒歩で5分ほどのところにある。そのサウンドの中心地も、73年にはハリウッドのサンセット大通りに移転し、90年代に歴史的建造物として補修改装されるまで、「見棄てられたインナー・シティ」のなかにぽつりと位置することになった。

この73年は、また、デトロイトで初めて黒人が市長に当選した年でもある。つまり、デトロイトにおける黒人政治力の伸張は、同市の社会的・経済的インフラの崩壊と同時に進行したのだ。では現在はどうであろう…。

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2007年10月19日

サブプライム危機と人種~世にも恐ろしいひどい話

アメリカの住宅融資をめぐる危機が日本の株式市場にも影響を与え始めて数か月たち、日本でもサブプライムローンということばが広がり始めた。このローンは、最初は低率の金利(たとえば初年度4%)で始まった住宅ローンが、数年後には数倍(たとえば3年後18%)に跳ね上がるという融資制度のことを言う。

結果として高利融資になるのだが、その間、債務者がほかの金融機関からより有利な条件で融資をすることで、高利の支払いを回避できる、というのはこのひどい制度を作り出したものの言い分だ。理屈ではこうなる。いまの景気が続けば、きっと住宅価格が上昇する。その3年間の上昇分で、利率の低いローンに乗り換えれば良い。たとえば、日本で日銀がゼロ金利政策を止めたとき、変動金利から固定金利への乗り換えが進んだ。多くの住宅ローンはより有利なローンへの切り替えによって返済されるのであって、その点でいえば、この理屈は「うん、そうなのか」といったところがある。

ところが、サブプライムローンを利用する人びとは、ふつうの金融市場での有利な融資を受ける可能性の低い低所得・貧困層であり、ほとんどの債務者はローンが支払われず、その結果、担保となっている住宅を差し押さえられ、破産する末路に追いやられている。もちろん、いちばん大元の融資者は利益を得るが、よくよく考えてみると、これは巧妙に仕組まれたマルチ商法に近いもの、住宅市場のバブルはいつかははじける。いやはじけ始めた。

ここまでは単なる経済問題。しかし、ハリケーン・カトリーナのときのことを思せる方はすぐわかるように、アメリカで低所得・貧困層といえば、黒人とラティーノが人口比に不釣り合いな割合で含まれることになる。そう、サブプライムローンで苦しんでいるのは、黒人とラティーノなのだ。

「2台の自家用車がある家」、これは戦後直後の日本に紹介された、アメリカの物理的豊かさの象徴、つまりアメリカン・ドリームだった。ところが、この夢を実現できた黒人は少ない。なぜならば黒人に住宅資金が融資されることは、白人に比して、異常に低かったからである。この仕組みをレッドライニングと呼ぶ。簡単に言うとこうだ。ある地域が「地価や住宅価格が低下傾向にある」と判断された場合、その土地や住宅を抵当にした融資に対し厳しい査定を行う。その地域を赤緯線で囲んだことからレッドライニングと呼ばれている。ところが、この「地価や住宅価格が低下傾向にある」地域というのは、ほとんど決まって黒人ゲトーかラティーノのバリオである。経済的なことばで語りつつ人種への言及がまったくなくても、金融という自由市場は人種差別的に機能する(この点については、右の著書が詳しい)。

人によっては、高利の融資を利用するのは、その人物の経済観念がまちがっているからであると言うだろう。しかし、黒人・ラティーノは、利用したくてサブプライムローンを利用しているのではない。これを利用しないと、夢が実現できないから、それに賭けざるを得なかった、もしくはそう強いられたのである。

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2007年10月27日

世にも恐ろしいひどい話〜続編

『ニューヨーク・タイムズ』紙に、サブプライムローンが多い場所、人種、抵当となった住宅の差し押さえが起きている場所の地図が掲載された。

前日、このブログで紹介したことは、この地図をみるとグラフィカルにわかる。以下のリンクを参照されたし。ああ、なんとひどい話だろう。

Foreclosures in Black and White

2007年11月04日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々編

サブプライムに関してまた新しい記事を読んだ。それは、「昔はレッドライニング、いまはサブプライム」と、このブログでわたしが論じたのと同じことを紹介しつつ、ひとつの具体例を挙げている。人種と住宅というと決まって名前がでる街、デトロイトの話。

住宅抵当開示法を利用したサブプライムローンの実態の調査が進むにつれ、デトロイト近郊ではこんなことが起きていた。二つの場所、それは「エイト・マイル・ロード」で隔てられているだけ。この「エイト・マイル・ロード」、地理的にはデトロイト市と郊外の境界を示すのだが、その社会的意味は、〈黒人が住んでいるところ(デトロイト市)〉と〈白人が住んでいるところ(郊外)〉の境界を示す。(エミネム主演の映画『エイト・マイル』は、したがって、彼が境界線上で生きてきたという隠喩である ── Dr. Dreは彼のことを「黒人として育った白人」と言っていた)。

そのエイト・マイル・ロードを挟んで二つのコミュニティがある。その様相を記すと

1.プリマス
   97%が白人
   所得中央値:51000ドル

2.エイト・マイル・ロードを挟んですぐ東
   97%が黒人
   所得中央値:49000ドル

1のコミュニティのサブプライム利用者:17%
2のコミュニティのサブプライム利用者:70%

さて、2000ドルの所得の違いがこのような差異を生むだろうか。この結果を生んだのは、人種別人口構成であると結論してどこかおかしいところがあるだろうか?。このニュースを報じる『ニューヨーク・タイムズ』は、黒人のサブプライム利用者は白人の2.3倍、ラティーノは2倍に達するという。

ここで急いで付け加えなくてはならないのは、黒人とラティーノに経済観念がないから、こうなったのではない。なぜかというと、

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2007年11月11日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々々編

サブプライム・ローンと人種に関して、さらにはっきりとするデータを発見。以下のリンクにあるPDFページ、わけてもそのなかの表をご覧ください。高所得者のなかでのサブプライム利用者は

白人:5.2%
黒人19.6%

何をか言わん。

Center for Responsible Lending

なお、以上の数値は、2004年には判明していた。対策はあきらかに後手に回っている。

2007年11月16日

黒人のミドルクラス〜実は「負け組」だった

公民権運動の圧力によって制定された諸法は、人種隔離や投票権の剥奪など法的な差別を瓦解させ、黒人のミドルクラスの社会階梯の上昇を促したと爾来語られてきた。ところが、Pew Charitable Trust の調査を『ワシントン・ポスト』紙が報じたところによると、それが神話だったことが判明した。

1968年にインフレ換算した額で5万5600ドル以上のミドルクラスの家庭の出身者のうち、下位5分の1、つまり2万3000ドル以下の所得の階層に「下降」した人びとの率は43%にのぼる。

もっとも、この報道自体、3分の2の黒人が社会階梯を上昇していったとしているし、調査したサンプルはわずか730世帯にすぎない。しかし、このデータは、歴史人類学者で黒人のオランドー・パタソンが同記事で述べているように、アファーマティヴ・アクションは中流以上のものの利益にしかならなかったとする短絡な結論の再考を促すには十分であると考える。黒人の所得中央値に至っては、1974年から2004年までの30年間のあいだに12%も減少しているのである。

2008年03月05日

「カーナー委員会」が「予備結果」を発表

ここのところ、当然のことではあるが、アメリカから伝わってくる「人種」や「黒人」に関連したニュースのほとんどがオバマの大統領選挙運動のことになっている。そこで、否、その文脈のなかで考えてみると、きわめて興味深いリポートのことを伝えたい。

下の11月12日のエントリーでも記しているが、昨年、40年前に全米の都市暴動に関して調査を行った「都市騒擾に関する大統領諮問委員会」、通称カーナー委員会が、今度は財団の支援を得て調査活動を行った。その調査の予備結果によると、この40年間の黒人の進歩、人種関係改善に関する成績はD+、つまり「合格最低点(日本でいう「可」)の上の方」というものになった。

オバマの華々しい活躍を脇に、NAACPデトロイト支部の前会長アーサー・ジョンソンは、「今日の経験から言いますと、昔と較べて顕著に良くなったと言えるところはほとんどありません」と述べている。

では、どこが特に成績評価を悪くすることに繋がったのか?。新カーナー委員会はわけても5つの点を指摘している(これは予備報告の結果であり、正式なリポートは今年中に公開される予定になっている)。

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