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2005年10月 アーカイブ

2005年10月03日

ニューヨーク市長選挙〜分裂する黒人世論

11月に行われるニューヨーク市長選挙は、共和党から現職のマイケル・ブルームバーグ、民主党からはフェルナンド・フェレールが立候補することになった。

今回の選挙でユニークなことは、フェレールがプエルトリコ系であるということである。一般的にヒスパニック・ラティーノと呼ばれる集団は、スペイン語を母語とすることを共通の特徴とするのみで、その政治的志向性は内部で大きくことなる。したがって、選挙や狭義の政治を議論する場合、この統計上の集団をひとつのグループとして考えない方が良いが、それでも近年のラティーノ人口の急増により、もはや黒人は最多のマイノリティの地位を完全に失った。

ここでさらに注目すべきは、近年、アフリカン・アメリカンの内部でも政治的傾向が変化しつつある。依然圧倒的に民主党が支持されていることに代わりはない。しかし、極めて多様なニューヨークにおいては、もはやアフリカン・アメリカンだからといって、フェレールを支持し、投票するとは限らないのである。

たとえば、現在進行中の選挙の「前哨戦」にあって、市民活動家で2004年民主党大統領予備選挙にも立候補したアル・シャープトンはフェレールの支持を表明している。しかし、ハーレムでもっとも政治力のある教会、60年代はアダム・クレイトン・パウエル・ジュニアが牧師を務めていた、アビシニアン・バプティスト教会の現牧師はブルームバーグを支持している。

これは、アフリカン・アメリカンから一桁代の支持率しか得られなかった共和党の市長、ルドルフ・ジュリアーニの頃ーー90年代、警官による過度の暴力や人権蹂躙を擁護し続けた彼のことを、アフリカン・アメリカンの運動家は彼のことを「アドルフ・ムッソリーニ」と呼んだーーと較べるならば、極めて大きな変化である。

11月、アフリカン・アメリカンの票がどちらに傾くかは予断を許さない。

2005年10月04日

ニューオリンズ復興計画

20051004katrina.jpg『ワシントン・ポスト』紙の報道によると、ハリケーン・カトリーナ、リタでもっとも大きな被害を受けたニューオリンズ第9区は復興から取り残される可能性が高くなったようだ。

被災前に人口2万人だった同区の住民の圧倒的多数が黒人。住宅の半数以上が賃貸物件。さらには、その3分の1が貧困生活を送るのを余儀なくされていた。

しかし、ロックンロール草創期を担ったファッツ・ドミノもここに住んでいれば、アラン・トゥーサンやケーミット・ラフィンズ、そしてマルサリス家らジャズミュージシャンたちもここに住んでいた。なぜならば、この街の雰囲気が好きだったからである。あるものは、「そこにはハートとソウルと美があった」と言う。

ネーギン市長は、ニューオーリンズの全ての区の復興プランを策定していた。しかし、国家安全保障省の高官は、第9区の住宅の多くは「復興させることが不可能」だと語り、連邦住宅都市計画省朝刊は、もっと厳しく「第9区を再建するのはまちがいである」と述べている。

ここは有名な観光地、フレンチ・クォーターから2マイルしか離れていない。そこで、バーテンダーやウェイター、ウェイトレス、メイドとして働いていたのが第9区の住民たちである。つまりこの街のビートを地味だがしっかりキープしていてくれたのだ。

しかし、どうやらニューオーリンズ復興は、観光名所、ジェンティリーやレイクヴューといった中流・富裕層が優先され、この街を有名にした、この街のアイデンティティである場所が後回しにされるようだ。

アメリカは、安値で不動産を買い、高値で売り抜ける不動産ファンドの発祥の地。第9区の開発がビジネス中心、つまり市場原理に任されるとなると、それはかつての住民には帰還不能を意味する。不動産価格が高くなれば、彼ら彼女らは帰って来られない。

もうニューオーリンズは消えてなくなり、ニューニューオーリンズになってしまうのだろうか。

2005年10月05日

監獄社会の顔ーーその1

現在わたしが強い関心をもって追っているアメリカの社会問題のひとつに、巨大な監獄社会というものがある。いま『ニューヨーク・タイムス』が、その問題について連載記事を掲載している。

3日版に掲載された記事が取り扱ったのは、いろいろな側面をもつこの問題のなかでも、未成年(つまりアメリカでは18歳以下)で犯罪を犯しながら、仮釈放なしの終身刑に服している青年の問題。

このような厳罰を行っている州は、50州中48州。アムネスティインターナショナルの調査によると、同様の罰を実施している国は、イスラエル、南ア、タンザニアしかない。しかしアメリカは、この罰で服役している人間の数でずば抜けている。イスラエル7人、南ア4人、タンザニア1人、アメリカ約2200人。そのうち、350名はいまだ15歳以下だ。

そしてその51%が黒人である。

これは黒人の犯罪性を物語っているのではなく、アメリカの刑罰が80年代以後保守化したために厳格になったことの結果である。その詳細はわたしのサイトのエッセイのコーナー、ならびに学会報告を参照。いずれこのブログでも、最新の情報を掲載するにあわせ、この事情や背景、歴史を説明していく。

2005年10月07日

ヒップ・ホップ界がネイション・オヴ・イスラームと共闘へ!

この10月15日は、ネイション・オヴ・イスラームのリーダー、ルイス・ファラカンが呼びかけで実施され、予測を上回る人びとを動員したMillion Man Marchの10周年になる。参加者を黒人男性に限定したことで、セクシズムとの批判を受けた運動ではあったが、今日から振り返ってみると、アフリカン・アメリカンのアクティヴィズムが見られた直近で最大のイベントになっている。

その10周年にあたり、the Millions More Movementが結成され、以前のMarchには批判的だったアンジェラ・デイヴィスらが幹部を務めるBlack Radical Congressでさえも運動への参加を訴えている(もちろん、それには、セクシズムを乗り越えたという事実があってのことではあるが)。

そして、さらには今度はヒップ・ホップ界が、行進参加への呼びかけを行った。契機は、そう、このブログでも伝えてきたハリケーン・カトリーナが引き起こした災害である。Jay-Zは、このブログで紹介した発言を実行に移したのだ!。

彼のほかに呼びかけに参加しているアーティストは、有名な人間のみ挙げて、以下の通り:

Reverend Run, Sean Diddy Combs , Damon Dash, Jermaine Dupri, Kanye West , Ludacris, LL Cool J, Queen Latifah, Common, Wyclef Jean, Missy Elliott , Foxy Brown, David Banner, Snoop Dogg, Ice T , Jim Jones, Juelz Santana and Jha Jha of the Diplomats, Master P, Juvenile, Erykah Badu, Questlove of The Roots, MC Lyte, Fab Five Freddy, Biz Markie, Kid Capri, Cassidy, The Wu Tang Clan , Xzibit, Tony Austin, Humpty Hump, the Ruff Ryders, dead prez, Russel Simmons.

2Pacとビギーが好きな人はご存じだろうが、前のMillion Man Marchのときは、まだウェストコーストとイーストコーストの「ラップ戦争」が起きる以前であり、彼ら二人をフューチャリングしているテイクが録られた。これは、ヒップ・ホップが好きな人間にとって、"We Are the World'でのマイケル・ジャクソンとスプリングスティーンの共演を凌ぐ価値をもつものである。

さあ、じっくり今回の呼びかけを行っている人をもう一度ご覧くだされ!。ウェストコーストのSnoopとイーストコーストのPuffyの名前がある!(詳細は、http://www.millionsmoremovement.com)

そしてまた、これは単なるエンターテイメントではなく、強烈なメッセージをもった政治運動である。彼ら二人が台上に立つのも興奮するだろうが、ワシントンD・Cのモールに集まる人びとの光景の方がもっと人びとを奮い立たせるだろう。15日、そこにどれだけの人びとが集まるであろうか。

多くの職員を解雇せざるをえない立場に追い込まれたネーギン市長の悔しさを忘れずにいよう。そのうえで、さあ、Keep On Moving, Move on Up!。

募金お願いします。
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/817.html

2005年10月20日

ビギーの母、息子の生涯を語る

ビギー(aka. Notorious B.I.G)の母、Voletta Wallaceが、息子の生涯を伝記にした。タイトルは、Biggie: Voletta Wallace Remembers His Son。発売日は現地アメリカで11月1日

売り上げの一部は、すでにウォレスがビギーの死後に設立し、都市中央部でのギャング紛争解決、財政難に苦しむ公立学校の支援をおこなっている、クリストファー・ウォレス(ビギーの本名のこと)基金に寄付される。

またこの伝記に基づいて映画も制作されるらしい(果たして誰が、あの強烈なリリスト、ビギーの役をするだろうか?

2005年10月21日

Million More March 続報

20051021million_men_march.jpgこのブログで紹介したMillion More Marchが先週末実施された。

主催者は80万人の参加を予測していたし、わたしのもとに届いた映像を見るとワシントンのモールはほぼ人で埋め尽くされていた。さらに、今回は、10年前の行進にも参加していたジェシー・ジャクソン・シニアにアル・シャープトンに加え、前回は男性に参加者を限定した行進は性差別にあたるとして協力を拒否したとNAACPとNULの会長も参加した。

カトリーナ災害を受け、久しぶりに黒人活動家の統一戦線が張られたのである。

しかし、前回の行進が日本を含め全世界に衛星中継されたのに対し、今回の報道はきわめて限られている。

『ワシントン・ポスト』の記事によると、「真剣な政治デモというより、フェスティバルのムード」があったらしい。1963年のワシントン大行進のとき、それを「ピクニック」「茶番劇」といって揶揄したのはあのマルコムXだった。ふと、このエピソードを思い出してしまう。

実際の反響など、これから追跡調査しなければならないことは多いが、それでも確実にこれだけは言える。アメリカ社会を動かすには、残念ながら、至らなかった。

他方、ブッシュ政権は、ハリケーンで被害を受けたメキシコ湾岸地域の「復興」のために大きな財政支出が必要だということを理由に、歳出「カット」に踏み切った。福祉予算をカットしたのである。さらにまた、高額所得者に対する減税も行おうとしている。再建には好景気が必要で、それは富裕者を優遇しないと訪れないとする破綻したレーガノミックス政策をまだ続けようとしている。さらには、最低賃金の一時凍結を実施した。これも「復興」を早くするためらしい。

富裕者の生活は「復興」される。貧困者の生活はもとには戻らない。

2005年10月31日

ローザ・パークス告別式

20051031rosa_parks.jpg50年前にバスの人種隔離に挑んだ女性ローザ・パークスが先日亡くなった。

訃報を告げる新聞各紙は、彼女が「最初に」白人に席を譲るのを拒否した、と説明していたが、史実はこれとは異なる。彼女が、そうしたほんの少し前、場所も同じアラバマ州モントゴメリーでは、クローデット・コルヴィンという名の女性がまったく同じことをしていた。

しかし、歴史の流れのなかで「公民権運動の母」と呼ばれるまでになった彼女の最後の告別式が、この度、ワシントンD・Cの連邦議会議事堂で開催されることになった。政治家や軍人ではなく一般市民の葬儀がここで行われるのは、これが正真正銘史上初めてである。

葬儀のために、パークス夫人の亡骸はボルチモア国際空港から首都に入る。この空港は、現在、サーグッド・マーシャル空港と呼ばれている。サーグッド・マーシャルとは、モントゴメリーバス・バス・ボイコットよりも法制面での衝撃が大きかった、人種隔離を違憲とする判決を闘った黒人弁護士で黒人初の連邦最高裁判事の名前である。

その空港から運ばれた棺への最後のお別れの式、現地時間月曜日の7時から10時まで。

「国のための貢献」が讃えられるという。

ずいぶんと暗いニュースが多いなか、これはある意味で嬉しいニュースだ。「愛国心」を示すにはいろいろな方法があるということ、それを公的に認めてくれたのだから。

ローザ・パークス夫人は、人種隔離条例という法律違反を行った。それで讃えられることになった。つまり、時には、政府が定めた法律に逆らうことが愛国心の表現になるのである。

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