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2009年02月 アーカイブ

2009年02月12日

バラク・オバマが目指す政治(7) ── 勝利演説完全解読(6)

次にこの旅のパートナー、自分の心情にしたがって選挙運動を行い、故郷スクラトンの街のストリートで一緒に育った人びとのために発言し、たったいま故郷のデラウェアへ帰路についた男、アメリカ合州国次期副大統領ジョー・バイデンに感謝の意を捧げたいと思います。

そして、これまでの16年間わたしの最良の友人であり、わたしの家族の固い支えであり、わたしの最愛の女性、次期ファースト・レディ、ミシェル・オバマの弛むことのない応援がなかったならば、今日こうしてわたしはここに立つことはできなかったでしょう。

サーシャ、マリーア、あなたたちが想像できないほどわたしはあなたたちを愛しています。ほら、たったいまあなたたちは買ってやると約束していた子犬と一緒にホワイト・ハウスに引っ越しすることが決まりました。

そして、つい最近逝去しましたが、祖母がきっとどこからかわたしを見守っていること、それがわたしにはわかっています。わたしが誰であるのか、そのアイデンティティを培ってくれた家族のみんなと一緒に。亡くなった人びとのことを考えると、今宵、寂しい気持ちになります。彼女たちに対してどれだけ多くのものを負っているのか、それをわたしはわかっているからです。

妹のマヤ、姉のオウマ、そのほかの兄弟姉妹たち、これまでの支援どうもありがとう。とても感謝しています。

3つの点について解説したい。

1.呼称の変化
オバマが立候補を表明してからこの時期までに20か月が経っていた。一方、大統領選挙に費やされる選挙運動期間は14か月と言われている。だから、彼の場合、平均より半年長かったことになる。初期の頃の写真と現在の写真を比べるとよくわかるが、オバマはこの20か月で一気に老けた。目立たないながらも、彼の髪にはいまは白髪がある。

小さなことだが、これまで「副大統領候補」vice presidential candidateを「次期副大統領」と呼んだとき、それは支援者たちが勝利を確信し、今一度喜びに浸ったときである。

そしてまた、これまでとは立場が変わる、という将来への期待と怖れを感じた瞬間だった。

なお、ミシェル・オバマは、選挙戦中は「バラク」と親しみを込めて使っていた呼称を、就任式が終わるや否や「ミスター・プレジデント」に変えた。

2.ミシェル・オバマと選挙政治
ミシェル・オバマは、民主党予備選が始まったときに、「1週間のうち3日ほど選挙運動をする」と言っていた。

ではあと4日何をするのか?。

これはバラクの最大の政敵、ヒラリー・クリントンを意識した巧妙なアピールだったある。

つまり、わたしは主婦、主婦が第一で、家族が第一、それを守り抜きます、と保守的イデオロギーではなくとも保守的心情を抱えている人に訴えかけていたのだ。

だからオバマは、まずこう言っている。家族の固い支え、rock of my family。

ブッシュの失政のために共和党に対して強烈な逆風が立つなか、昨年の春には民主党の候補が黒人か女性かになることにほぼ決まった。どちらがなっても史上初である。しかし、結局、黒人が先に「初」を達成したことで、実は人種の「壁」よりもジェンダーの「天井」の方が固いのではないかという話が出てきているくらいだ。

4.多様なファーストファミリー
さて、オバマの大統領就任により、ホワイトハウスの主と血縁のある人の多様性が一気に拡大した。母親違いの姉がアフリカに、父親違いの妹(インドネシア生まれ)がハワイにいることは広く報道されているところであろうが、その妹の夫はトロントに住んでいる中国系カナダ人である。

その模様は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の " target="_blank">このイラストを見ればよくわかる。

なお、アメリカにいるとよくわかることだが、日本はもはやアジアでの戦略的最重要国としての地位を失っている。その国はいまや中国だ。軍事力のみならず、米国債の保有残高を考えてもそれが順当なところだ。

そのうえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、被差別部落出身者に対する現首相の暴言を大々的に報じ、現首相の世間離れどころか世界離れは、黒人を大統領に選んだ国の人びとにも知られることになった。その先長くないと言われながら、まだ首相の座に居座り続けているらしいが、恥ずかしいのでいい加減にしてもらいたい。

大統領就任の宣誓文句を空で覚えている大統領と漢字の読めない首相、首脳会談をするとしてもいったい何を話すのだろう。

2009年02月19日

全国黒人向上協会の危機と「ポスト人種」のアメリカ

2009年2月12日、全米各地でリンカン大統領生誕を祝う行事が行われた。この日がリンカン生誕200周年ならば、それは、アメリカでもっとも古くかつ最大の規模の黒人人権組織、全国黒人向上協会 (the National Association for the Advancement of Colored People) が結成100周年を迎えたことになる。なぜならば、この組織は、1909年にイリノイ州スプリングフィールド(リンカンの生誕地)で起きた人種暴動(当時の人種暴動は白人に黒人が一方的に襲いかかるものだった)に抗議して、リンカン生誕の日に結成された組織だからだ。

しかし、オバマ大統領誕生後、何とNAACP不要論が飛び出すことになってしまった。

以前から、NAACPが黒人大衆の現状と噛み合っていない(黒人コミュニティの空気が読めていない)とする批判はかなり多く上がっていた。より正確に言えば、この組織に大衆基盤があったのは1940年代初頭だけであり、戦後は赤狩りに与することで保守勢力の一翼を担ってしまい、1960年代は若者の組織の後塵を拝したり、1970年代以後は明確な指針を打ち出せずにいたりと、法廷において画期的な違憲判決(たとえば、もっとも有名なのが人種隔離教育に対する違憲判決、『〈ブラウン〉対〈教育委員会〉』判決)を導き出したという以外、あまり高い評価は与えられていない。

おそらく歴史を画するような偉業をなしえるには、この組織は巨大すぎるのだろう。つねにアメリカの主流社会の動向に敏感であり、否、敏感でありすぎ、そのためアナクロニズムと思われるような戦略をしばしばとる。

実は、今回飛び出てきたNAACP不要論は、このアナクロニズムを鋭く批判したものだった。コロンビア大学の比較文学者で、全国公共放送などで人種問題に関するコメンテーターとして活躍しているジョン・マクホーターは、リベラルな論壇誌『ニューリパブリック』に掲載された論文「誕生日の乱痴気騒ぎ」のなかで、「NAACPが今日解散してとして、それがブラック・アメリカに大きな影響を与えるだろうか」という過激な自問自答を行った。その答えは、ノー。影響はない、ということだ。

かと言って、マクホーターは、大統領が黒人になった今や人種主義は消え去った、などという単純でおめでたい議論を行っているのではない。彼がいうには、人種主義はもちろん存在している、しかし、それは、「中庭の掃除をしたあとに、まだゴミが残っているというようなもの」、一切合切のゴミを取り去ることなどもともと不可能なのだという現実感覚に基づいたものだ。つまりゴミがでたところで、そのゴミを除去する最良な手段を考えれば良いというのである。

たとえば、黒人のなかでは以上な高率になっているエイズの問題。これは公衆衛生と保険行政の問題になる。青年黒人の犯罪率(とその再犯率)の高さといわゆる黒人と白人の「成績格差」なのならば、それは教育問題になる。

マクホーターに言わせると、それらはデモ行進で解決できないものである。そのような彼にとって、デモや抗議に終始しているNAACPは、「60年代のスピリットを色鮮やかで劇的に再演しているにすぎない」のである。

そこで彼が求められる黒人の運動として紹介している例が、元ブラック・パンサー党員でつい最近逝去したばかりのウォーレン・キンブロが、ニュー・ヘイヴンで行っていた「前科者再生プログラム」である。キンブロ自身、「同志」を殺害したいわゆる「内ゲバ」で実刑を受けたことのある「前科者」で、自分の経験に基づいて社会更正支援組織を立ち上げた。その近年は高い評価を受けているが、なにはともあれ、それはキンブロのプログラムが「ブラック・コミュニティ」の需要にぴったり応じたものだったからである。

このマクホーターの意見、わたしもうなずけるものがあった。古くは黒人指導者ベイヤード・ラスティンが1965年に提唱した「抗議から政治へ」という路線を踏襲するものであるが、もはや抗議デモの時代ではない。エンパワメントへの道は、コミュニティ自体の活性化を通じて行われる。

たとえば、筆者が知っている限りでも、ブラック・コミュニティの健康問題や教育問題にグラスルーツの視点から対処している組織は数多くある。たとえば、ジオフリー・カナダの斬新なアイデアで発足した「ハーレム子供解放区」Harlem Children's Zone (HCZ)

「ハーレム」と「子供」とは、実際のところ、ちょっとした形容矛盾である。少し無理して、日本でわかり安い比喩にすると、この組織は「新宿ゴールデン街子供解放区」とか「新大久保子供公園」とかいった響きすらする。ハーレムと子供とはどうしても馴染まない。しかし、高校生の就学率と大学進学率の向上を目指したこの組織の評価は高く、実はバラク・オバマはこの組織の「実験」を全国規模で展開するということを(選挙中は)公約に掲げている。マクホーターがハーレムに隣接する大学で教鞭を執っていることを考えると、彼がこのHCZのイニシャティブを知っていないはずがない。まちがいなくこのような組織の存在が旧態然としたNAACPに対するいらだちになっているのだ。

日本でもベストセラーになった(らしい)オバマの伝記を読めばわかるが、バラク・オバマは、シカゴでそのような組織のオルグだった。このところ日本の新聞のウェブサイトを読むと、「オバマの指導力」という言葉をよく見かける。日本の首相がよっぽど指導力がないのか、それともまちがった方向で指導力をガンガン発揮しているのかは知らないが、バラク・オバマに、たとえば小泉純一郎のようなトップダウン式の「指導力」があると思ったら大きなまちがいだ。オバマにカリスマ性は確かにある。というか強烈なカリスマ性がある。しかし、それは、グラスルーツの組織の活性化の結果として輝き始めたものだ。オバマのネットを使ったまった新しいタイプの選挙運動と同じく、彼の指導力をこれまでの政治家のひな形をあてがって考えようとすると必ず失敗する。

このような展開を考えると、ポスト人種社会のアメリカ、そこから人種問題は消え去らなくても、ブラック・コミュニティ自体がその問題への対処はあきらかに変えてきているように思える。

これは、市民社会の成熟度を問うとすれば、まちがいなく良い方向への大きな一歩だ。そして、実は、これも、NAACPの抗議のページェントとは違う意味で、60年代のスピリットを引き継いでいるのである。

2009年02月27日

ニューオーリンズから(1)

上の動画は、2005年のハリケーン・カトリーナの災害で最大の被害を受けたニューオーリンズのロウアー・第9区、マルディ・グラの祭典が行われる前夜の今年の模様である。

ちょっとした縁から、同地の災害復興ボランティアの参加する機会を得て、現在これは現地から書いている。ここで一緒に行動している者の中には、インドネシアのバンダ・アチェ地区で通訳として復興活動に参加した者もいるが、その人物の話ではニューオーリンズの復旧の方が「遥かに遅い」らしい。

ところが、わたしが同地に入る前にちらっと目を通した『地球の歩き方』では、日本の「郵便」にあたるUnited Postal Serviceの統計をあげて、85%の郵便が配達されていると紹介されている。もちろん、観光客に対し必要以上の恐怖感を煽らないことは大切だし、復興が着実に進んでいる側面もある。

では、さて、上の画像のなかに現れる地区の85%が帰ってきていると言えるだろうか?

実際のところ、郵便は配達されているのではない。わたしが復旧作業に入った家(ロウアー第9区より遥かに被害が軽かったアップタウンにある)には、宛名が違うが住所が同じ手紙が無造作に複数投げ入れられたままになっていた。所帯主に会ったが、その家には現在住んでいないらしい。住めないから。

借家に暮らしていれば、誰でも経験があるものだ、前の住人の郵便が配達されたことくらい。郵便はしたがって、住民帰還の指標にはまったくなり得ない。アメリカの場合、日本の住民票にあたる人口管理の方法がないので、その統計の取り方は難しいだろうが、郵政公社の値を参考にしては「ならない」ことだけは確かだ。

戻ってくることには、資力が多いに関係し、そしてその資力は人種と強い関係があった。この街の貧富の差、そして人種隔離された居住区の有り様は、これまで見たどれよりも凄まじかった(続く)

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