« バラク・オバマが目指す政治(7) ── 勝利演説完全解読(6) | メイン | ニューオーリンズから(1) »

全国黒人向上協会の危機と「ポスト人種」のアメリカ

2009年2月12日、全米各地でリンカン大統領生誕を祝う行事が行われた。この日がリンカン生誕200周年ならば、それは、アメリカでもっとも古くかつ最大の規模の黒人人権組織、全国黒人向上協会 (the National Association for the Advancement of Colored People) が結成100周年を迎えたことになる。なぜならば、この組織は、1909年にイリノイ州スプリングフィールド(リンカンの生誕地)で起きた人種暴動(当時の人種暴動は白人に黒人が一方的に襲いかかるものだった)に抗議して、リンカン生誕の日に結成された組織だからだ。

しかし、オバマ大統領誕生後、何とNAACP不要論が飛び出すことになってしまった。

以前から、NAACPが黒人大衆の現状と噛み合っていない(黒人コミュニティの空気が読めていない)とする批判はかなり多く上がっていた。より正確に言えば、この組織に大衆基盤があったのは1940年代初頭だけであり、戦後は赤狩りに与することで保守勢力の一翼を担ってしまい、1960年代は若者の組織の後塵を拝したり、1970年代以後は明確な指針を打ち出せずにいたりと、法廷において画期的な違憲判決(たとえば、もっとも有名なのが人種隔離教育に対する違憲判決、『〈ブラウン〉対〈教育委員会〉』判決)を導き出したという以外、あまり高い評価は与えられていない。

おそらく歴史を画するような偉業をなしえるには、この組織は巨大すぎるのだろう。つねにアメリカの主流社会の動向に敏感であり、否、敏感でありすぎ、そのためアナクロニズムと思われるような戦略をしばしばとる。

実は、今回飛び出てきたNAACP不要論は、このアナクロニズムを鋭く批判したものだった。コロンビア大学の比較文学者で、全国公共放送などで人種問題に関するコメンテーターとして活躍しているジョン・マクホーターは、リベラルな論壇誌『ニューリパブリック』に掲載された論文「誕生日の乱痴気騒ぎ」のなかで、「NAACPが今日解散してとして、それがブラック・アメリカに大きな影響を与えるだろうか」という過激な自問自答を行った。その答えは、ノー。影響はない、ということだ。

かと言って、マクホーターは、大統領が黒人になった今や人種主義は消え去った、などという単純でおめでたい議論を行っているのではない。彼がいうには、人種主義はもちろん存在している、しかし、それは、「中庭の掃除をしたあとに、まだゴミが残っているというようなもの」、一切合切のゴミを取り去ることなどもともと不可能なのだという現実感覚に基づいたものだ。つまりゴミがでたところで、そのゴミを除去する最良な手段を考えれば良いというのである。

たとえば、黒人のなかでは以上な高率になっているエイズの問題。これは公衆衛生と保険行政の問題になる。青年黒人の犯罪率(とその再犯率)の高さといわゆる黒人と白人の「成績格差」なのならば、それは教育問題になる。

マクホーターに言わせると、それらはデモ行進で解決できないものである。そのような彼にとって、デモや抗議に終始しているNAACPは、「60年代のスピリットを色鮮やかで劇的に再演しているにすぎない」のである。

そこで彼が求められる黒人の運動として紹介している例が、元ブラック・パンサー党員でつい最近逝去したばかりのウォーレン・キンブロが、ニュー・ヘイヴンで行っていた「前科者再生プログラム」である。キンブロ自身、「同志」を殺害したいわゆる「内ゲバ」で実刑を受けたことのある「前科者」で、自分の経験に基づいて社会更正支援組織を立ち上げた。その近年は高い評価を受けているが、なにはともあれ、それはキンブロのプログラムが「ブラック・コミュニティ」の需要にぴったり応じたものだったからである。

このマクホーターの意見、わたしもうなずけるものがあった。古くは黒人指導者ベイヤード・ラスティンが1965年に提唱した「抗議から政治へ」という路線を踏襲するものであるが、もはや抗議デモの時代ではない。エンパワメントへの道は、コミュニティ自体の活性化を通じて行われる。

たとえば、筆者が知っている限りでも、ブラック・コミュニティの健康問題や教育問題にグラスルーツの視点から対処している組織は数多くある。たとえば、ジオフリー・カナダの斬新なアイデアで発足した「ハーレム子供解放区」Harlem Children's Zone (HCZ)

「ハーレム」と「子供」とは、実際のところ、ちょっとした形容矛盾である。少し無理して、日本でわかり安い比喩にすると、この組織は「新宿ゴールデン街子供解放区」とか「新大久保子供公園」とかいった響きすらする。ハーレムと子供とはどうしても馴染まない。しかし、高校生の就学率と大学進学率の向上を目指したこの組織の評価は高く、実はバラク・オバマはこの組織の「実験」を全国規模で展開するということを(選挙中は)公約に掲げている。マクホーターがハーレムに隣接する大学で教鞭を執っていることを考えると、彼がこのHCZのイニシャティブを知っていないはずがない。まちがいなくこのような組織の存在が旧態然としたNAACPに対するいらだちになっているのだ。

日本でもベストセラーになった(らしい)オバマの伝記を読めばわかるが、バラク・オバマは、シカゴでそのような組織のオルグだった。このところ日本の新聞のウェブサイトを読むと、「オバマの指導力」という言葉をよく見かける。日本の首相がよっぽど指導力がないのか、それともまちがった方向で指導力をガンガン発揮しているのかは知らないが、バラク・オバマに、たとえば小泉純一郎のようなトップダウン式の「指導力」があると思ったら大きなまちがいだ。オバマにカリスマ性は確かにある。というか強烈なカリスマ性がある。しかし、それは、グラスルーツの組織の活性化の結果として輝き始めたものだ。オバマのネットを使ったまった新しいタイプの選挙運動と同じく、彼の指導力をこれまでの政治家のひな形をあてがって考えようとすると必ず失敗する。

このような展開を考えると、ポスト人種社会のアメリカ、そこから人種問題は消え去らなくても、ブラック・コミュニティ自体がその問題への対処はあきらかに変えてきているように思える。

これは、市民社会の成熟度を問うとすれば、まちがいなく良い方向への大きな一歩だ。そして、実は、これも、NAACPの抗議のページェントとは違う意味で、60年代のスピリットを引き継いでいるのである。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fujinaga.org/bin/mt-tb.cgi/572

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2009年02月19日 07:31に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「バラク・オバマが目指す政治(7) ── 勝利演説完全解読(6)」です。

次の投稿は「ニューオーリンズから(1)」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34