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インディアン・アメリカンが州知事に当選

この先週の土曜日、ニューオーリンズのあるルイジアナ州で知事選挙が行われた。その勝者は州知事としてはアメリカ史上初となるインディアン・アメリカン。通例、アメリカと言い、続けてインディアンというと同地の先住民を指す。一時期、その呼称は勘違いしたコロンブスの無知を表すものであり、アメリカ先住民を侮辱するという一方的主張を行うものがいたが、実のところ、インディアンはアメリカ先住民自らが使う自称にもなっており、侮蔑的意味合いはないと考えるのが一般的である。

しかし、そのインディアンは「インド系」の意味だった。ここのところ、エンジニアリングや医療、IT技術において世界的プレゼンスを増大しているあの南アジアの大国のことである。

ところで、若い頃のデンゼル・ワシントンが主演した映画に『ミシシッピ・マサラ』というとても興味深いものがある。設定は、ミシシッピ、同地で生まれ育った黒人男性がインド人の女性と恋に落ちるという話だ。その女性、インド人はインド人であってもアフリカ出身のインド人、帝国イギリスの政策によって19世紀に現在のウガンダに移住し、ウガンダの軍事政権が「インド人追放政策」をとったためにアメリカに移民してきたという家系の出身である。さらには舞台の設定はミシシッピ、それは「人種差別がもっとも厳しいところ」を表象する。

当然、女性の両親は、両者の交際に反対どころか驚愕した。人種的偏見が厳しいこの世界で生きていけるのかという女性の父親に対し、デンゼル・ワシントンは、きっぱりこう応える。「あんた何言っているんだ、俺の生まれ育った場所はミシシッピ」だ。結局、その父親は、むかし政変があるまではアフリカ人の友達が多くいたことなどを思い出し、人間同士の「愛」を再発見する。「マサラ」とは、ご存じの方も多いだろうが、インドの香辛料。この映画では、人間同士のあいだの愛(それは性愛も含む)が抗しがたい魅力をもつことを表象している。

話をもとに戻して、ルイジアナの選挙のこと…

当選したものの名前はボビー・ジンダル。1971年生まれで、まだ36歳!。

両親も迫害を逃れてきた移民ではなく、原子力の研究者としてルイジアナ・ステイト大学にやってきた。小さい頃から英才教育を受け、アイヴィー・リーグの名門ブラウン大学に進学、ローズ奨学生としてオックスフォードに留学、大学院卒業後はマッキンゼーに入社。そのあいだに、親の宗教ヒンズー教からローマカトリックに改宗し、名前も生まれたときの名PiyushからBobbyへと改名した。

政治との関係は、1995年に始まる。ルイジアナ州の厚生医療省の事務次官に抜擢され、同省の赤字財政の立て直しに成功、その手腕がブッシュの目にとまり、連邦政府の保険社会福祉省の時間に登用される。その後の2004年、ニューオーリンズ市郊外の地区から連邦下院議員に当選、エリート街道をばく進して、ついに知事にまで昇りつめた。

ローズ奨学生としての経歴、ハイブリッドなアイデンティティなど、その姿は、このブログでも紹介してきた。オバマやコーリー・ブッカーなどの新世代の黒人政治家を思わせる。ただ違うのは、ジンダールが共和党員であり、財政再建ももっぱら支出の削減によるものであり、斬新な政策によるものではなかった。アメリカにおける医療行政の無茶苦茶ぶりは、ついこのほどマイケル・ムーアの『シッコ』で明らかになったばかりだが、ルイジアナ州そんなアメリカにあっても、健康保険に入っていない人間の数の率は全米の最高率を競っている。つまり、『シッコ』が描いた行政を握っていた人物である(医療行政のひどさは、しかし、日本の厚生労働省も凄いものではあるが…)。

しかし、これだけは言えるだろう:「人種の壁を越える投票行動が見られた」。アメリカ南部の政治を語るときに人種は決して看過できない要素である。しかし、いくら最近着目されているとはいえ、(南)インド系アメリカ人が占める人口比率は低い。このエスニック集団が「団結票」を入れたところで、それは決して選挙を決定する要素にはなり得ない。つまり「マサラ」のマジックがどこかで働いたのだ。

さまざまな報道は、それをポスト・カトリーナのルイジアナ特殊の政治に求めている。つまりこの地では、もはや人種やエスニシティに拘っている「余裕」がないと言う。そういえば、この地は、大恐慌期には、同じく人種の壁を超えた政治家(アメリカ南部でポピュリストと言えば「人民党」のことを指すために、ここでは敢えてその使用を避ける)、ヒューイ・ロング(白人だが、ブラック・パンサー党創設者のひとりヒューイ・ニュートンの名前は、この人物に因んで名付けられた)が絶大的な人気を誇り、ローズヴェルト大統領の好敵手となったくらいの場所でもあった。

いずれにせよ、いまアメリカにおいて「人種」の意味が大きな変容を遂げつつあるのは確かであろう。政治信条はともあれ、オバマやブッカーにかかった期待、それと同じ人気がジンダール当選につながった、そう考えることはできないだろうか。

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2007年10月23日 14:24に投稿されたエントリーのページです。

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