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どこかで見たような謝罪 〜 連邦司法省

大統領選挙を来年に控え、選挙の手続きに関する法整備が進んでいる。その理由は、もちろん、2000年のフロリダ、2004年のインディアナで起きた投票資格をめぐる論争・政争をいかに解決するかにあるが、現在そのインディアナ州を含めて拡がりつつあるものが、投票を行うに際して、写真入りのIDカードの提示を義務づけるとする動きであり、連邦司法省もそれを推している。

これに対し、NAACPを初めとする公民権団体は反対の意思を表明している。というのも、彼らの主張によると、自動車の所有率が低い等々、この法律が可決されると、人口比に不釣り合い率で黒人が対象にされるからだ。人種には触れていない立法が人種差別的に機能する、その意味において、この立法はかつてのジム・クロウ諸方を思わせるというのである。

そのような論争が繰り広げられている最中にあり、「黒人が不釣り合いに法の犠牲者になるわけではない」と、司法省投票権部部長、ジョン・K・タナーが主張した。これに続いたのがとんでもない理由付け。「なぜならば、どうせ黒人は早く死ぬのではないですか」。

当然、黒人議員を初め、野党民主党議員は激怒し、連邦議会でタナーを詰問し、彼は謝罪を行った。そこで彼が言ったことば、

「わたしはわたしの発言のトーンに謝罪します、私の説明の仕方が人を傷つける結果になってしまった、そのことに対し深く反省しています」。

つまり、発言の内容ではなく、説明の仕方を謝罪するというのだ。

これを聞いた民主党の連邦議会議員はこう言った。

「つまり自分はやはり正しく、トーンだけが悪かったと言いたいのですか、わたしはあなたが何を謝罪しているのかさっぱりわかりません」。

このニュースを聞いて、やったことではなく、「周囲をお騒がせしたこと」に謝罪し、首相官邸を去った人や、謝罪はしつつも、「それはしていません」と言ったボクサーの父親のことを思い出した。ひょっとしてこれは今年後半の世界的流行なのだろうか?。

それは、しかし、あまり品の良いものとは言えない。

ところで、ここでひとつ。最近「世間をお騒がせした」ボクサー一家に判官贔屓が入り、彼らをモハメド・アリに喩える言動を見聞きする。それは、はっきり言ってまちがっている。

確かに、アリは、フロイド・パタソンを「うさぎ」、ジョー・フレイジャーは「ゴリラ」と呼び、相手を激しく挑撥した。しかし、その後の会見には、うさぎやゴリラの着ぐるみで現れたり、思わず対戦相手も吹き出してしまうユーモアの感覚があった。その実、彼とフレイジャーとは生涯の友である。

そしてまた、超一級のアスリートだった。文句なしに強かった。疑惑の判定も反則も必要なく、どれだけ罵声を浴びせられようとも、強烈に強かった。

何よりも重要なことに、アリは、自分をプロモートするために「ヒール役」を演じたのではない。彼をヒールにしたのはアメリカ社会であり、そうなったのも彼がネイション・オヴ・イスラームに改宗したと公言したからである。彼はその信条に忠実に生きたに過ぎず、その後の彼がグローバル・ヒーローになったのは、世界がやっと彼に追いついたからである。

アリと下品なパフォーマンスは、したがって、無縁である。

そういえばアリは、ベトナム戦争が激化した頃、徴兵を拒否し、その理由を問われて謝罪会見を行った。

「わたしは(戦争がいけないということを)政府に対して直接言うべきでした、それを新聞記者に先に言ってしまったことの対して謝罪します」。

このようなことを言うとどうなるか ── プロモーターが手を引き、政府は訴追に入る ── ことを熟知して、この叛逆的精神を世界にはっきりと見せつけたのである。

何かわからないけど謝罪すれば良いんだろうというような輩とは、そもそも品格が違う。

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2007年11月01日 08:13に投稿されたエントリーのページです。

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