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2008年11月 アーカイブ

2008年11月01日

バトルグラウンドからの報告(18) ── Are You Ready for Change?

オバマの言う「チェンジ」と旧来の「チェンジ」の相違を語る前に、いささか頭の体操をしてみたい。

前回ここで紹介した政治学者が、そのとき、このようなことを述べた。「〈黒人〉と言われている集団の具体的な像は、社会的、政治的に決定されるものであって、生物学的・生理学的な根拠はどこにもない」。

これは、いわゆる「社会構築主義」の教科書的定義にすぎない。ところが、オバマの選挙戦を語る際に、彼女が使った以下のような比喩は、この一年間の間におきた現象をよく物語っていると思われる。

これを読んでいる方、「リンゴ」を思い浮かべてください。そのなかで「赤いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。また「青いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。はたまた、「銀色の背景に白く浮かぶリンゴ」、つまりアップル社のロゴを思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。彼女がいうには、オバマは、この最後のリンゴに喩えられるというのである。

とはいえ、これは何もアップル社を宣伝してのことではない。その言わんとすることはこういうことだ。

オバマは旧来の人種政治の枠組みでは捉えられない新たな現象であり、1960年代以前、公民権運動以前には存在しえなかった「黒人」が政治の最前線に登場してきたことを意味する。

さて、オバマの支持層のひとつが18歳から29歳までの青年層。年配の方のなかに、上にあげた三つ目のリンゴをイメージする人びとは少ないであろう。なぜならば「オバマ」は新しい「現象」なのだから…

そのオバマの「新奇さ」は「人種」だけに留まるものではない。

彼は「これまでの二大政党の候補のなかではもっとも薄い履歴書の持ち主」と呼ばれているし、実際にそうだ。だから共和党は彼の「経験不足」の攻撃にやっきになり、5500人の人口しかなくても市長を経験したことのあるペイリンの方が大統領として資質を備えていると豪語したのだ。

9月の共和党大会で演説を行ったルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、そのようなオバマの経歴をきわめて陰湿な形で揶揄した。オバマに言及し、彼の経歴「コミュニティ・オーガナイザー」を紹介するときに、露骨に皮肉を込めて吹き出してみたのである。

ところでしかし、実際のところ、「コミュニティ・オーガナイザー」が大統領になるというのは大変なことだ。邦語がある彼の伝記の訳語ではこのことばに日本語があてがわれていないが、敢えてその仕事の内実から意訳すると、それは「市民団体職員」になるであろう。この経歴の持ち主は日本国首相にもなれないかもしれない。さらにこれに「大学教授」というのが加われば、それは、自民党や民主党というより、むしろ社民党の議員の響きがある。

ずいぶんと前置きが長くなったが、本題の「チェンジ」の内実に迫ろう。

アメリカ政界に必要なのは「変革」である、そのようなことぐらい、実は、政治家なら2006年中間選挙の共和党の惨敗を見て誰もが理解していた。だから、ブッシュ政権と距離をもつことが必須となったのだし、マケインが候補指名受諾演説で「ワシントンには変化が来ている」と言ったのもそのためだ。現状維持では選挙に勝つことはできない。

正直のところを言って、わたしは、そのような状況のなかで大統領予備選が始まったとき、当初のところヒラリー・クリントンを心情的に応援していた。なぜならば、オバマの今回の選挙戦は2012年か2016年を見据えての「予行演習」であり、クリントンならば共和党保守派に互するに十分の政治力をもっていると思ったからだ。そしておそらく、そのような見解は、少なくとも3月まではリベラル派の意見の体勢であっただろう。またこれははっきりと言えることだが、黒人研究に従事している人間のなかで、現在の状況を「予測」したと豪語する者がいるとすれば、それは、その人物がひどい日和見主義者か、ろくすっぽ研究を行っていなかったからである。過去の出来事を振り返れば、大統領はおろか、大統領候補にすらなるのは無理だと思うのが自然だからだ。

したがって、もうすでに政策の面ではともかく、政治の面ではアメリカでは「変革」が起きたのだ。

つまり、オバマの言う「チェンジ」とは、狭義に解釈して、「政権交代」と理解するべきではないのだ。9月に共和党も「チェンジ」をスローガンにしてからは、共和党の「チェンジ」と自分の「チェンジ」を差異化するために、彼はしばしばこう言っている。

We need a fundamental change in our policy, in our politics.

ポイントは最後の方だ。彼は政治を考える方法、政治行動のあり方、それを根本的に変える必要があると言っているのだ。

これは時と場合により、こうも響く。「アメリカの政治制度は人種主義によってゆがめられてきた、その政治のあり方を変えましょう」。以前、彼は怒りを表現しない「黒人政治家」であり、そうするには理由があるということは述べてみた。その議論に今回の議論をつなげると、こうなる。彼はこう訴えているのだ。

人種主義を超克した新たな「アメリカ政治」をつくろう、そのリード役をわたしに任せてほしい、わたしは過去のことで怒ったりはしないから、一緒にその変革への一歩を踏み出そうではないか。

もちろんこれは美辞麗句である。他面、人種主義や偏見といったものは、どす黒い情念だ。

しかしだからこそ、アメリカの有権者はこう問われているのだ。「あなたには勇気がありますか?」。だからオバマは、政治集会の際に、こんな常套句を使っている。

Are you ready for change?

こう説明するともはや明らかだろう。少し注意して彼の演説に耳を傾けてみれば、彼がこの言葉に冠詞をつけていないのがわかる。これを「政権交代への準備はできているか」と取ってはまったく真意を外している。政権交代が頻繁におきるアメリカ政治にあっては、もはやそれは問われるものですらない。彼は、変革には痛みや怖れが伴う、そんな変革への心構えはできているのか?、とアジっているのである。

〈アメリカ〉は、この選択を迫られ、恐怖と希望の狭間で震えている。

インターネットの活用や、それを通じた政治寄金の集め方など、オバマの選挙戦術は、アメリカ政治に大きな変革をもたらした。そしてここ最近、このブログで報じてきたように、1988年の大統領選挙以後、邪険な力を思う存分発揮してきた誹謗中傷公告がバックファイアするにつれ、アメリカの大統領選挙のあり方に今後大きな変貌が生じる可能性も出てきた。

この白熱した選挙戦の結果、ミシガン州での有権者登録者の率は有権者総数の98%に達したという脅威的な数値の報道もなされている(おそらく10月中旬に二大政党が選挙運動を止めたミシガンがこうならば、他州の状況も同じであろう)。

さて今回はチェンジについて述べてきたが、実のところ、書きながらも、どうまとめて良いのか不安であった。いまのわたしは、これを書き終えて、若干見通しができたところにいる。「変革」について述べた次は、では、彼が継承した「遺産」について述べてみよう。

バトルグラウンドからの報告(19) ── 「この街で何かが起きている」

こちらに来てから知り合いになった黒人の政治学者の方がこんなことを述べていた。その学者は、オバマの自伝の書評を頼まれて初めて、彼の著作 Dreams from My Father を買おうとした。ところが、書店が言うには、置くとすぐに売り切れになるので在庫がなく、一週間待たなくてはならないと説明を受けた。そこでこう思ったらしい。「この街で、この圧倒的多数が白人の街で何かが起きている」。

その後、今年の2月28日、公民権運動の英雄のひとりで連邦下院議員のジョン・ルイスは、「オバマ上院議員の立候補は、この国の人びとのハートとこころのなかで起きていた新しい運動、アメリカの政治史を画する新しい運動の象徴になっています。そしてわたしは人びとの側に立っていたいのです」という声明を発表し、それまでのヒラリー・クリントン支持の立場を改め、オバマ支持を表明した。そのときに彼はまた、1月のアイオワ党員集会以後の2か月間、かつての公民権運動時代を思わせる若者の動きがあること、そしてその動きの先頭にオバマがいることを驚愕が混じった喜びで語っていた。

驚くのも無理はない。オバマが生まれたのは1961年8月4日。彼は1960年代公民権運動を知らない。

夏にアメリカに来て以後、ここで述べてきたように、さまざまな場で「有権者登録」を呼びかける人びとに出会ってきた。これまでこのような活動をしている人びとと出会わなかったわけではないが、今年に限ってははっきりと以前と異なる特徴があった。それは有権者登録を呼びかけている人びとが若いということ。

それは1964年フリーダム・サマーを思わせるものだった。そして彼ら彼女らは、今週末、4日の投票日に確実に投票所に行くことを呼びかける Get-Out-the-Vote 運動に精力を集中している。

実はオバマの政治経歴には手痛い「敗戦」の跡が残っている。2000年、ブラック・パンサー党シカゴ支部の創設者の一人、ボビー・ラッシュが現職を務めている連邦下院議員の席を狙って彼は立候補した。ところが、彼の人種的アイデンティティが問題になるなか、彼はラッシュの前に完敗したのである。

実はこの敗北を契機に、彼は自分のルーツを忘れていては政治の世界で活躍することはできないと悟り、シカゴのサウスサイドの黒人政治家のサークルのなかに足を踏み入れ、そこで足場を固めることを改めて行い始めたという。当然のことだが、このときに彼はかつての公民権運動家たちと親交を深めることになったのだ。ボビー・ラッシュは敵に回すものではなく、学ぶ先達であると理解したのである。

そのような彼の運動が公民権運動の影響を受け、その流れを汲んでいたとしても何の不思議はない。

これが、彼が継承したものの唯一最大のものである。

今年の夏の民主党全国大会、それはワシントン大行進からちょうど45年目にあたった。キングの偉業を称える特別の催しもあり、その後、指名受諾演説を行った彼は、あたかもキングの衣鉢を継承したもののように見えた。そして実のところ、民主党全国委員会は、まさにその効果を狙ったのだと思える。

そしてまた、夫人のミシェル・オバマが演説を行った日には、幼い子供たちもステージ上に現れ、「ホワイトハウスの住人になる黒人家族」の姿がはっきりとアメリカ市民の前に提示された。そして、それもまた、60年代のある光景を思わせるものだった。幼い子供がいる若い大統領。そうジョン・F・ケネディである。

今年6月のアメリカ学会政治分科会で報告を行った際、わたしはオバマの選挙参謀のなかにシカゴ民主党主流とそれから少し左に位置する陣営との「手堅い連合」が生まれていることを指摘した。簡単にそれを振り返ると、デイレー市政の一翼を担っている人びとと、シカゴ市政の文脈では「レイク・フロント・リベラル」と呼ばれている人びと、そしてサウスサイド、ウェストサイドの黒人政治家の大連合が、彼の選挙参謀の重鎮のなかに簡単に見て取れるのである。

これは、実際のところ、簡単にできる話しではない。以前に一度シカゴ市政では、白人リベラルと黒人の大連合が成立したときがある。1983年から死去する87年まで同市の市長を務めたハロルド・ワシントンの時代がそうである。ラディカルな黒人政治学者のマニング・マラブルは、このときに見られた白人労働者階級と黒人の連合政治を、公民権運動の遺産を継承する最良のものだと評価している。

バラク・オバマは、市民団体で働いていた時代、ハロルド・ワシントンとの親交があり、それがきっかけで政界を目指すことになっている。彼の自伝の邦語訳では「ハロルド市長」と、実に奇妙な訳語があてられているが、原文では単なる Harold。つまり、ファーストネームで呼び合う間柄だったのだ。

そのハロルド・ワシントンの市政の特質が、黒人の人種としての特殊利害を追及するのではなく、より包括的 universalistic な文脈に問題を置き直し、政策を推進することにあった。これはオバマの政治姿勢そのものだ。

以前、わたしは、ここでニューワーク市長のコーリー・ブッカーを紹介するのと同時に、オバマのことを新しい世代の黒人政治家として紹介した。この新しい黒人政治家は、実のところ、黒人の運動の最良の部分を継承するものでもあるのだ。なお、わたしはニューワークとシカゴに関心があり、彼らのことを知るに至ったわけであり、何も日本でいち早く彼を「発見」した人物であると主張するつもりはない。彼の活躍を知るに至ったのは、20年以上地味な研究を積んできたことの嬉しい喜びであった。

さて、いよいよ投票日まで時間がなくなってきた。歴史研究者は予測など下手にするものではなく、下手な予測はブログ炎上の契機になりかねないが、次回は思い切って観測可能なことについていくつか述べることにしたい。冒頭で紹介した言葉を述べた方は、こうも言っていた。「さあ、われわれの候補の行方を期待とともに見守ろうではないか」。

2008年11月03日

バトルグラウンドからの報告(20) ── 恐怖を超える瞬間

この週末を迎える前、各種の最新の世論調査が発表されたが、概してオバマが 10% 程度のリードを保っている。アメリカ大統領選挙が、州別の Winner-Take-It-All 制度のために、一般投票がそっくりそのまま投票結果に反映するということはありえないが、このリードは、しかし、ブラッドレー効果があったとしても、オバマが勝利する高い可能性を示している。

ブラッドレー効果は、多かれ少なかれ見られるであろう。

こちらで知り合いになったインド系アメリカ人からこんな話を聞いた。友人のなかに「黒人をホワイトハウスの住人にしたくはないから、オバマには投票しないよ、ここだけの話だけどね」という人間がいたらしい。その発言に驚き、「ちょっと何を言ってんの?、わたしを見てくれ!」と訊ねたところ、発言の主はじっと黙り込んだままになったらしい。これはわたしが住んでいるきわめてリベラルな街でおきたことだ。

しかし、オバマが、ここまで 1976 年のカーター以来、白人男性からもっとも高い支持率を記録した民主党候補であることもまた事実だ。少なくとも民主党予備選において、ブラッドレー効果は大規模なかたちでは起きなかったのである。

予備選から通してのこの選挙戦ではいくつかの「転機」があった。オバマは、ヒラリー・クリントンと同じく、包括的政策によって中流以下の層の生活環境の改善を主張している。実のところ、〈大きな政府の復権=民主党〉対〈破綻した小さな政府の改善維持=共和党〉というきわめてはっきりした構図が描かれている本選挙に較べ、民主党予備選の方は政策論的対立がほとんどなかった。そこでは、政権中枢にいたヒラリー・クリントンと、外部にいたバラク・オバマとの個性とキャリアの対立であった。

わたしは、当初、黒人候補に勝ち目はないと思い、ヒラリー・クリントンを支持していた。

なぜならば、黒人が直面している社会政治的問題のほとんどは、人種問題として規定するよりも階級的問題であり、人種主義という人間のこころの問題に対処するよりも、現下のアメリカの貧富の格差を考えると、階級的問題に対処することが急務であると考えたからだ。そのためにはかつてこの国に存在していたニューディール連合に近い政治連合を復活させる必要がある。それができる一番近い人物はヒラリー・クリントンだと思っていた。

そして黒人市民もそう考えるものが少なくなく、連邦議会黒人議員幹部会 Congressional Black Caucus に至っては、ほぼ全員がかかる観点からヒラリー・クリントンを支持していた。

ところが、その流れが一気に変わってしまったのは、おそらくサウス・キャロライナ予備選の後、ペンシルヴァニア州予備選までのあいだだろう。より正確に言えば、オバマが長く親交を暖めている牧師は、アメリカを酷評し、テロの標的になっているのは「自業自得だ」と説いているということが突如「発見」されたあとのことだ。

わたしは人種主義にこだわることもしなければ、それを無視したりもしない、より完璧なユニオンに向かって努力することこそがアメリカの果たすべき役割であると述べた彼のそのときの演説は、おそらく2004年民主党大会の基調演説とともに、これまで彼が行った演説のなかで最高のものだ。

そしておそらくアメリカ黒人史上でも、フレデリック・ダグラスの独立記念日の演説、マーティン・ルーサー・キングの幾多の名演説などに匹敵する名演説だ。この演説は、単なる選挙遊説ではなく、アメリカの歴史経験が滲み込んだきわめて秀逸なものである。

前にも述べたことであるが、ここで彼は白人票に簡単に言ってこう訴えたのである。

そうです、わたしは「黒人候補」です。だけど安心してください、わたしは怒っていません。しかし忘れもしません。いまは忘れられるときではないのです。だからお願いです、一緒に努力しませんか。

さて、このような観測にたって、はっきりとこう述べたい。

もはやこの選挙は勝利の帰趨が問題なのではなく、オバマがどのような勝ち方をするかが問題である。過日も述べたノース・キャロライナ州とヴァージニア州がどうなるか、そして同時に行われる上下両院選挙がどうなるか、それが問題だ。

ここに来て、ノース・キャロライナ州やヴァージニア州だけでなく、ジョージア州も民主党になる可能性が取りざたされている。特に上院議員選はかなりの接戦になっており、もし上院が民主党になるとすると、それだけでも快挙なのだ。

喧伝されているブラッドレー効果は、おそらく選挙結果を左右するかたちでは起きない。なぜならば、トム・ブラッドレーが善戦した州知事選挙からすでに24年の月日が流れており、その間、アメリカ市民の多くが黒人に投票することに過度の「アレルギー反応」を示さなくても良いようになったはずなのである。その証拠に、白人の票を多数獲得して選挙戦に勝利した「黒人市長」のことを考えてみれば良い。都市部に住む白人の多くは、「黒人政権」に恐怖を感じるほど愚か者ではない。(なおジョージ・W・ブッシュが、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライスを国務長官という要職に登用したことも、人種的恐怖を減じるにあたっては多いに貢献したはずだ)。

昨日ここで紹介したハロルド・ワシントンは、こう言ったことがある。

「わたしはできることなら白人たちの恐怖心をなだめたいと思っています。しかし、白人のアメリカ人、そして彼らが中心となっているビジネス界の人びとに向かって、「ほらわたしは良いやつです、わたしはまっとうな教育を受けてもいますし、信頼できる人間なのです」などと言って回ることに人生の多くの時間を費やしたくありません。そんなくだらないことで時間を無駄遣いしたくないのです」

オバマも、おそらくフィラデルフィアで演説を行う前、どうようの感慨に包まれたことだと思う。誰でも想像つくだろう、能力がある人間が、その能力とは別の判断基準をもとに能力を否定され、そして「わたしには力があります、わたしは善良な人間です」と「証明」しなくてはならないことの「鬱陶しさ」は。

来る政権の政策がどう動くか、それはいまの時点で予測することは不可能だ。

ただし、人種的差異を原因とする恐怖心の超克、この可否はもうすぐ結果が出る。わたしは、きっと、Yes We Can!, Why Not? という結果が出ると思っている。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それでもはっきりと変わるときがある。ゆっくりとはっきり変わるときがある。

2008年11月04日

バトルグランドからの報告(21) ── Way Out of No Way, Keep Your Eyes on the Prize, Hold On!

20081104_michigan_union_obama_small.jpgネットで日本における報道をみると、この選挙の争点は経済に代表される国内政策だという議論が支配的である。しかし、はっきり言おう、これはまちがっている。

では、バラク・オバマ流に、問題点を4つ指摘しよう(左の写真はクリックで拡大)

ナンバー1。首尾一貫してオバマがリードしているにもかかわらず、接戦と報じられているのはなぜか。日本ではなじみのない政治学用語であるブラッドレー効果が、改めて取り沙汰されているのはなぜか。ブラッドレー効果が起きるというのは、「アメリカ人なんて、きれい事はたくさん並べるけど、結局のところ人種主義者なのよ」と言っているに等しい。これは昨日述べたことでもあるが、わたしは、そのような意見に対してこう述べたい。ブラッドレー効果はいくらかは起きるのはまちがいないが、選挙の帰趨を支配することはない。

ナンバー2。本日もオバマは遊説先で「期日前投票」を呼びかけている。なぜならば投票日には何が起きるかわからないかららしい。そういうのも無理はない。2000年フロリダ州、2004年オハイオ州と、投票権の剥奪と投票妨害が露骨に行われるということが続いたからだ。しかも、それはマイノリティの居住区を標的にしていた。現在行われている期日前投票では、予測できることではあるが、投票を行った者の圧倒的多数がマイノリティであると報じられている。

ナンバー3。経済はもちろん争点だ。しかし、ブッシュ政権の政策がまちがっていたこと、野放図な放任主義が今回の経済危機の原因であること、この大枠の認識についてオバマとマケインのあいだに差異はない。どちらが大統領になるにせよ、「規制」が強まることは、したがって、簡単に予測されることであり、税制における差異は、大半の有権者の関心を集めるには、専門的すぎる。

ナンバー4。共和党が選挙戦の武器にする「大きな政府」「テロ」の二つは人種を暗示する「コード化された言葉」である。前者は福祉に依存する都市の黒人やラティーノ、後者は中東出身者。後者の人種化は実に都合が良い。オクラホマ連邦ビルを爆破したのが「アメリカ第一」(今回の共和党のスローガンは Our Country First)を唱える武装民兵だったことはすっかり忘れているのだから。

さて、40 年前のキング牧師暗殺のあと、ロバート・ケネディ上院議員がこう述べた。

「あまりあせるのはよくありません、黒人は、そうですね、ええ、あと40年もすれば大統領になれるでしょう」。

ロバート・ケネディは、公民権運動の支援はもとより、ブラック・パワー運動にも一定の理解を示し、黒人層のあいだで人気の高い政治家だった。ところが、恩着せがましいところがあるこの発言に、黒人市民は嫌悪感に近い感情を覚えた。1968年、黒人ははっきりと We Can't Wait と言い始めていたのである。

今年は、それからちょうど40年目に当たる。

その間、シャーリー・チザム、ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトン等々、数多くの黒人が大統領選に挑んだ。ところが二大政党の予備選を勝ち残る人はおろか、その近くにさえ行った人物もいなかった。1988 年のジャクソンの11州で1位、それが最高だった。

ジェシー・ジャクソンらとはっきりことなること、それは抗議の声を届けるためではなく、選挙に勝つためをオバマは目標、自分の「希望」にしたということだ。その目標は、おそらく彼が政策論を論じた著書のタイトルに現れている。

希望をもつ大胆さを Audacity of Hope

そして、このタイトルもまた、黒人政治の伝統にはぐくまれたもの。論争を呼んだジェレマイア・ライト氏の演題からインスピレーションを受けたものだ。

大統領選を本格的に争う黒人は、遅かれ少なかれ現れると思っていた。しかし、近年の政治の流れからして、

黒人英語、エボニックスの表現に"way out of no way"ということばがある。方法はなくても何とかして成し遂げろ、これは、奴隷制に始まる不条理な世界で生きてきた人びとが継承してきたもっともたくましく高貴な遺産だ。

その遺産をまちがいなく継承しているオバマは、ハロルド・ワシントン当選当時のシカゴの黒人コミュニティを回顧してこう述べている。

「ハロルドがサウスサイドの人びとに持つような意味、果たしてわたしはそれを持つことができるだろうか、そう自問してみた。そしてもしわたしのことをよくわかってくれたならば、彼らはハロルドに対して抱いた感情と同じ気持ちをわたしにも抱いてくれるだろうか」

11月4日、全米各地が、「記録級の投票率」を予測し、投票ができるまで数時間もかかる混雑が危惧されている。まちがいなく、今日は長い一日になる。

そのムードは、いささか 1963 年にジェイムス・ボールドウィンが感じたものを思わせる。彼はこう述べている。

「いかなるものであれ、天空に大変異が起きるのは恐ろしいことだ。なぜならばそれは、誰しもが持つ現実感覚を激しく攻撃するからである。そこで言いたいのだが、黒人は、白人が支配する世の中にあって、ある一つの動かない星となっていた。じっとしていて動かすことができない支柱となっていたのである。黒人たちがそれまであてがわれていた場所から動きだすにつれて、天と地が大きく揺れ動きはじめている」。

アメリカの天と地が動き始めた。

Way out of no way, Keep your eyes on the prize hold on!

2008年11月05日

バトルグラウンドからの報告(22) ── アメリカ市民のみなさん、ありがとう!、そしておめでとう!

20081104_vote_here_small.jpg1976年以来の民主党候補の圧勝でこの大統領選挙は終わりました。

後日、改めて解説しますが、バラク・オバマは強烈な勝利演説をしました。

アメリカ市民のみなさん、ありがとう。あなたたちは、ブラッドレー効果が云々と言っていた「識者」を見事にあざ笑い、「世界」が誇りに思える人物を立派に選択してくださいました。投票ができなくて悔しかったのですが、トマス・ジェファソン、フレデリック・ダグラス、エイブラハム・リンカン、マーティン・ルーサー・キング、そしてマルコムXすら想起させる一連の「アメリカ的思想」を立派に胚胎する人物が大統領になれるのは、あなたたちの選択があってのことです。

バラク・オバマは、よく考えてみれば、これまでつねに過小評価されてきた人物です。そんな疑念に負けず、聡明な選択をしたあたたたちの勇気ある選択に「おめでとう」と言いたい。そして、そんなあなたたちを「世界市民の同胞」として生きるわたしは、この時間、このひと時、この一瞬をあなたたちと共有できたことをとてもとても誇りに思います。

ミシガン州では投票したものに"I Voted"と書かれたシールが配られていた。それを貼っている人びとの顔にははっきりと誇りがあった。全米でそのような光景が見られたにきっと違いない。

現時点、ここでわたしが最終的な注目のの場と述べた南部2州、ヴァージニア州をオバマが獲得した。ネットワークテレビがオバマに当確を宣言したのは、それから10分も経たないあいだだった。

牧師を務めているという白人の方から、こんな話を聞いた。

Rosas sit down, Martins walk, Obamas run, then, our children are gonna fly!

政治プロセスを通じて人びとのスピリットを高めること、これは公民権運動そのものである。それを目の当たりにして、驚き、そして正直、うらやましいと思った。

最後に今日、この日に一言。だから昨日言っただろ、ブラッドレー効果は選挙の帰趨を差配する規模では起きないって!!!

バトルグラウンドからの報告(23) ── わたしは恥ずかしいと思う

シカゴのグラント・パークを埋め尽くした12万人の人びとと、アトランタのアビニザー・バプティスト教会に押し寄せた無数の会衆と同じく、今宵はわたしも眠れそうにない。

市民が民主的権利を得たばかりの「第三世界」の国が民主的政治過程に沸く姿はテレビでおなじみのものだ。

しかし、今回は、それがアメリカで起きた。

その真只中にあって思う。

わたしは、わたしが8月まで住んでいた選挙区を恥ずかしいと思う。政権を投げ出した人間の郎党をいつまでも当選させている選挙区を、とてもとても恥ずかしく思う。

いちおう「遠隔地ナショナリズム」という言葉を知っている人間ではあるが、あまりにもわたしが住んでいた選挙区は恥ずかしい。

2008年11月06日

決定的勝利、人種の壁を破壊する

今日のエントリーのタイトルは、本日のタイムスのトップ記事の見出しである(ちなみに明け方まで自分の住んでいるレジデンス・ホールの方々と語り合っていたため、新聞を買いに外に出たときには、すでに売り切れていた)。

ここでわたしは、大統領選の中心は経済危機を初めとする国内問題であるというのはまちがいであり、いつのときでもつねに人種であると主張してきた。選挙運動はそう展開しているし、アメリカ大統領選挙の歴史自体がそうであると伝えてきた。

ところが〈人種〉に関する問題に触れるには、それなりの「覚悟」がいる。この問題には、だからこそ、選挙選のテーマとして表立って取り上げられはしなかった。それゆえ日本のメディアは、表面だけをみて勘違いしたのだろう。

バラク・オバマの政治的才覚の極みは、このいつ爆発するかわからない問題の「解決」に拘泥するわけでもなく、そしてまたそれを「回避」するわけでもなく、かくして一見「世渡り上手」に振る舞っているようにいて、実は正面から取り組んでいたところにある。

その結果、「人種の壁」は「破壊」された。

彼の存在自体が象徴するものの意味は、言語をこえたところで、この選挙戦を目にしたものたちのこころに響いたのだ。

アメリカの選挙戦では、テレビなどの放送メディアを駆使した運動を「空中戦」と呼び、運動員を展開させ、遊説を行っていくことを「地上戦」と呼ぶ。ここでも紹介してきたように、地上戦はオバマが圧倒的な「戦力」を駆使した。そこには、ブッシュの8年の政権のあいだにすっかり気恥ずかしくなって言えなくなってしまった理念の復活、「アメリカ民主主義の力」の復活があった。

Are you registered vote? と呼びかける彼ら彼女らの姿は公民権運動家の姿とわたしのこころのなかでは重なった。そして、市民ではないけど、こうこうこういった事由であなたたちのやっていることに関心があるから話を聞けないかと聞くと、みながこう答えてくれた。"Yes, you can"

オバマの選挙戦は、キャンペーンというより、ムーヴメントである。

さて、彼の自伝を読み返していると、改めて気になるセンテンスがあった。次回は、そのセンテンスを、彼の当選がきまった瞬間を振り返りながら、解説してみたい。

2008年11月07日

I promise you, we as a people will get there ── バラク・オバマにキングが微笑みかけたとき

20081105_cnn_projection_small.jpg4日、開票速報をわたしは知人たちと一緒に観ていた。選挙の結果が出るまでは一緒に観ようと言ってイスに座ったのだが、当初は深夜にピザの宅配を注文することはもはや「予定」に入っていたし、徹夜も覚悟していた。ところが、改めて振り返ってみると、事態は恐ろしいほど早く進行した。

選挙の行方を支配する最初のバトルグラウンド州の帰趨が決定したのは8時45分頃。ペンシルヴァニア

9時30分頃、オハイオ州も民主党へ。

この時点で開票が始まっている州のなかで行方が注目されていたのはノース・キャロライナ州とヴァージニア州。この二つは先にここで述べた通り、歴史の岐路を示すかもしれない最重要州だ。そう簡単には決まらない(実際のところノース・キャロライナ州は本日結果が判明した)。

そんななか、これまでの世論調査などをもとにCNNが「マケイン勝利の可能性」を計算し始めた。その「計算」によると、太平洋岸3州が共和党に行くことは有り得ないので、ほかのすべての接戦を制しないとだめらしい。オバマが勝つ、そんな期待がこの時点で大きく膨らみ始めた。

ところが、国内に時差のあるアメリカという大陸国家、これから先の開票が進まない。わたしたちは、そこで、開票速報のパロディをやっているコメディチャンネルに切り替えて、カリフォルニアでの投票が終わる11時までしばし笑って楽しむことにした。

そうするとこれからが早かった。10時50分過ぎ、なんとヴァージニア州の行方が決まった。そして大票田のカリフォルニア州での投票がおわる11時をほんの少し過ぎたところ、なんとネットワーク局が一斉にオバマの勝利が確定と報じた。ウェストコーストでは、したがって投票が終わると同時に決まったようなものだ。

2000年の大統領選挙の大騒動があって以後、ネットワーク局は開票速報のあり方を吟味し、発表には慎重になっていると聞かされている。それでもこの結果はほんとうなのか?信じて良いのか?テレビの画面はおびただしい人が集まったシカゴのグラント公園、そしてこの日のために特別のライトアップをしたこの街が誇るスカイラインが映されている。

午後1過ぎ、オバマがステージに現れた。そして彼はその演説のなかで、こう述べ始めたのだ。

The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even in one term, but America,

このとき、わたしには、マーティン・ルーサー・キング博士が暗殺される前日に行った演説が思い浮かんだ。

キング博士はこう言っている。

Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now. I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the Promised Land. I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the promised land!

オバマがこの部分でキング博士を意識していたのはまちがいない。なぜならば、この一節はあまりにも有名なものだからだ。誤解のないように言っておくが、これを思いついたのは、わたしがとりわけてキングに詳しいからではない。

2008年11月5日、オバマは、このあと目を一段と鋭くさせ、黒人教会で育まれた独特のゆったりとしたケーデンスで、こう言い切った。

I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you: We as a people will get there.

ここでテレビに映し出されたジェシー・ジャクソン、彼の頬には涙が伝っていた。オバマは、キングの言葉、いやむしろ正確にはこう言うべきだろう、アメリカの人びとにキングが残した遺言をはっきりと引き受けたのだ。may not を will と肯定型に置き換えて。「「約束の地」に辿りついて見せる」と言い切ったのだ。

このことばが響いたのは何も「黒人」だけではない。そうわかっていたからこそ、オバマは、指示代名詞 there を用いたのだ。「そこ」と言っても、それはみなにわかったのだ。

グラント公園を埋め尽くした20万人が Yes We Can と初めて大きな声で連呼し始めたのは、この決定的フレーズのあとである。

ここでキング暗殺後の40年間、暗くアメリカを覆っていた雲が一瞬ではあっても開き、キング博士が微笑みかけた。

もちろんこの演説のなかには、106歳のアンナ・ニクソン・クーパーさんの逸話を初め直截的に黒人の闘争の歴史に触れたところもある。しかし、その歴史を確実に踏まえたうえで、もっとも強く「新しい時代が来たのだ」と宣言したのは、実は、「黒人」ということばも、「人種」ということばも、「公民権運動」ということばも出てこないこのような箇所なのである。

ここにこそ、バラク・オバマの人のこころに訴えかける政治家としての類まれな才能が現れている【続く】

2008年11月08日

海外からみてわかる ── 日本の報道関係者ほんとうはバラク・オバマのことなどほとんど何も知っていないだろう!

今日の記事の題名を思いついたのは、日本では何が起きているのかなと思ってのぞいて見たこんな記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081108-00000055-jij-int

はっきり言って、アメリカではこんなことまったく、全然、どこのどの局でも「話題」にはなっていません。[ヤフーのサイトからは削除されたので、付言しておきます。この記事は、ナンシー・レーガンが占星術に凝っていたことを茶化して批判され、オバマがレーガンに謝罪したことを初の舌禍だとして報道しています。しかし、こんな舌禍、アメリカではほとんど報道されていません。報道されたのは、ほんの一瞬。その一瞬のあいだ、この報道を配信した時事通信の記者はテレビをつけていたのでしょう。そうして日本からの督促に応じて、急いであり合わせの記事を送ったのでしょう。あほらしい]

誰だ、この記事配信した記者は?

時事通信もついにイエロー・ジャーナリズムの仲間入りか?

何もわかっていないから、こんな記事を書く。

しかし、これが次期アメリカ大統領の最初の記者会見、しかもこんな世界情勢、こんな経済情勢のときに書くことかね…

もう一度言おう、何もわかっていないから、こんな記事を書く。

We as a people will get there の there が一体どこかわからなかったのは問い詰めないとしても(調べればわかるし、そう、あの日、シカゴのグラント公園にいてまじめに取材すれば教えてくれたよ、きっと)、知らないところ、それでも何か言わなくてはいけないところを「アホ記事」で濁すのはいかがなものかな…

2008年11月10日

バラク・オバマは何を起こしたのか? ── グラスルーツをみてみよう!

先のエントリーで少しばかり「過激」なことを書いたので、ではわたしが集めたもので「バラク・オバマが何を起こしたのか」を示そう。

20081109_fall_2007_small

上の写真(クリックで拡大)は、昨年の秋のミシガン州アナーバーにある大学の光景である。ここでは、08年の大統領選にマイク・タイソンを!という突拍子もないことを言っている。

さて、この写真は今年の秋、タイソンがなんとオバマになった。こちらをご覧ください。

20081109_fall_2008_small

ここでシニカルな人間はこう言うだろう。

「へへ、単に学生が最新の流行に乗っただけなんじゃないの?」

ちがいます。ぜったいにちがいます。

流行に乗せるだけで大統領選に勝てるなら、それは楽なもの。そりゃ、安いよ。そう思っている人、次の大統領選挙の顧問にでもなって、大学生票獲得の戦略を練ってください。

バラク・オバマは、本気だったから、タイソンを応援するような政治をシニカルに見る人間を大きく動かしたのです。そしてそれをかなり前から狙って行ったのです。

しかし、通信社や新聞社のアメリカ駐在記者、きちんと仕事をしなさい。眠気眼でみたCNNの内容をそのまま本社にメールするんじゃありません。街の人の声を聞いてください。というと、この人たちは、「街の人の声を聞いているCNNの放送」を配信するんだろうなぁ、きっと。

それをこれまでのオバマの著述と勝利演説とを解説することを通じて論じてみよう。では、これから「バトルグラウンドからの報告」に続き、新しいシリーズ「オバマ演説を読んでみる」を始めることにする。

グーグルでのヒット数を上げるのを狙っているようなものになって気恥ずかしいが、「We need a fudamental change not only of policy but also politics of our past ── バラク・オバマが目指す政治」とでも題して、新シリーズを始める(もちろん、そのほかのことも書きますが…)。

2008年11月14日

バラク・オバマが目指す政治(1) ── A Dream from My Father とつなげてみよう

では、バラク・オバマの勝利演説を少しずつ解説してみよう。

と言っても、その前にまず整理しておきたいことがある。以前にここでも書いた彼の言うチェンジとは何かという問題、それを改めて彼の発言に即して整理してみたい。わたしは前のエントリーで、彼が政策 policy の変化だけではなく、「政治のあり方 politics の変化」を主張していることに着目してみた。それを今回は敷衍してみたい。なぜならば、それがわかる部分をよく見てみると、勝利宣言直後にわたしが書いた「キングの遺言の受け手」であるというところもさらに鮮明にわかってくるからだ。

1995年に著された彼の自伝 A Dream from My Father の 2004 年増補版のあとがきにオバマは、既存の政治、いまある政治を批判し、こう記している。少し長くなるが、彼の政治観を物語る重要なところなので丁寧に訳してみよう。

「もちろん、毎日仕事をすることで精一杯のおびただしい数のアメリカ人たちが語らなくてはならない、いまひとつの物語が存在している。そのなかには、職に就いているものもいれば、求職活動中のものもいるし、事業を始めたばかりのものもいるだろう。面倒をみなくてはならない年頃の子供がいるために仕事を抱えて家に帰らねばならないものもいるし、高騰するガソリン価格のために請求書と格闘しているものもいるし、さらには裁判所が破産を宣告した保険会社の年金に加入していたためにそれを受け取る権利を失ってしまったものもいるだろう。人びとは将来について思いをはせるとき、希望と恐怖を交互に経験する。人生は矛盾と不確実さに満ちあふれている。そして、彼ら彼女らが日々経験し続けているものについて政治がほとんど何も語らないため ── そして、彼ら彼女ら自身も、政治は使命感とは関係のないビジネスであり、ディベートと呼ばれているものでさえ実は大仕掛けの見せ物にすぎないと考えているため ── に、彼ら彼女らは内側を向き、喧噪、怒り、終わりのないおしゃべり、これらみんなから遠ざかってしまっている。
「このようなアメリカ人を真に代弁する政府には、いままでとは異なった政治が必要である。そのような政治は人びとの現実の生活を映し出す必要がある。それは予め包装紙に包まれたもの、つまり棚から下ろせば事足りるといったものではないはずなのだ。それは、われわれアメリカ人の最良の伝統からもう一度構築されなくてはならないものだし、われわれの過去の暗い部分も責任をもって物語らなくてはならないのである。そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所へ、どうして辿りついてしまったのかを理解しなくてはならないのである。そして、それでも、どれだけの差異がわれわれのあいだにあろうとも、それより多くのものをわれわれは共有しているのだということを忘れてはならないのである ── たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯、それを忘れてはならないのである。

さてどうだろう。日本政治を物語るときに流行したことばでいうと、彼はこのときからまった「ぶれて」いない。むしろ、この思いひとつで大統領選に勝ったと言っても良い。

それでも後の議論を明確にするために、いくつかのキーワードを解説しよう。

1.「そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所」

彼はここで、通常は状況と思われるところを、はっきりと空間概念「場所」に置き換えている。これは、まるで勝利宣言のWe will get there というのをすでに準備しているかのようだ。

実のところ、勝利宣言のなかにある"I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there"というパートを彼が流暢に言い放ったとき、あまりにもそれが流暢だったがゆえに周囲のムードが一変したものの、その真の意味については共通理解はなかった。自分がそのときいた場所(ミシガン大学)でもそうだったし、YouTubeにある録画画像にあるグラント公園の様子もそうだ。人びとがはっきりとわかったのは、彼が We as a people と口にした瞬間だった。そして周囲は絶叫する人もいれば、絶叫が終わったあとにその意味を聞いて絶叫する人も現れ、とんでもない状況になった。

これからだ、単なる選挙政治の散文的結果が、「独裁制からの解放」を祝うかのような祝典に変化していったのは。Diagと呼ばれるミシガン大学セントラルキャンパスの中心ではドラムが鳴り響き、あたりは解放感に包まれていった。

いまわたしは「解放感」ということばを使った。しかし実のところ、このことばの意味を知っていたわけではない。わたしはこのときにこのことばの内実を「経験」した。

さて、"We as a people get there"、このことばは、先に述べたキングの演説を彷彿させるとともに、アメリカ合衆国憲法の最初の文言を思わせる。さてオバマが何と書いているだろうか? 上をよく読んでほしい。「われわれアメリカ人の最良の伝統」と言っているではないか。そしてこれは、勝利宣言の冒頭のきわめて大胆な文言へと接続されている。

ここで、この箇所は「公民権運動のことじゃないの、それをこのブログが指摘しなくてどうするの?」と思われる方もいるかもしれない。もっともな指摘。確かにこの箇所は公民権運動「も」指示している。しかし、公民権運動が根本のところで依拠したのは建国の理念であり、合衆国憲法であった。この辺りのつながりに関しては、公民権運動の「参加目撃者」であるハワード・ジンが著した横の著書が詳しい。

2.二つめはかなりわかりやすい。「われわれの過去の暗い部分」。これは、明示的には人種主義の歴史のことであると考えてまちがいない。しかし、バラク・オバマの政治手腕の妙技は、これをはっきりと言わないところにある。言わないことを通じ、「たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯」を際だたそうとしているのである。

初回の今回はいささか長くなった。次回からは小出しに短くする。

なお、"A Dream from My Father"は、〈人種〉の憂鬱とそれを超克することの歓喜とが瞬時に入れ替わる「名著」だと思う。その文学的トーンはデュボイスの『黒人のたましい』に似ている。

2008年11月28日

バラク・オバマが目指す政治(2) ── 勝利演説完全解読(1)

そろそろ大統領選以外のことを書きたいとは思うものの、現実の話、黒人研究に携わっているものは、いまだに「バラク・オバマという現象」から離れることができない。

彼の大統領選勝利は、承知のとおり、よく「歴史的瞬間」と言われている。おそらくほんとうの「歴史的瞬間」とはこんなものだろう。

忌憚なく言って、わたしには、場面も内容もまったく違うが、同じく歴史を明らかに劃する瞬間に出会った経験がある。それは昭和天皇崩御のとき。あのとき、右派も左派も、共産党も右翼も、みんな「裕仁という人格の外側」で論じることができなかった。そのときの「歴史のうねり」をふと思い出したりする。

さて、本題に入ろう。新シリーズを「完全解読」とした限りには、冒頭部分を解説しないといけない。単なる「挨拶」にあたる冒頭のところに何か深淵な意味があるのか?、そんな声も聞こえそうだ。

そんな疑念にははっきり答えます。

「おおあり」です。むしろ冒頭部分にこそ、彼の選挙キャンペーンの妙技が濃縮されて表現されていると言ってもいい。

では、こんな場面を想定して欲しい。あなたは目がねをかけている。そして選挙に立候補した。「目がねをかけているあなた」は、冒頭で何と言うか。

【続く】

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