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バラク・オバマが目指す政治(5) ── 勝利演説完全解読(4)

前にエントリーを書いてから、学期末ということもあり、少しバテてしまった。今回は、この演説の「最初」の佳境に入る。このブログのために再度演説を画像からおこしていて、改めてこの演説の意味の重層性に驚いている。今回は、したがって、ヘヴィな解説になると思う。

まず英語の原文を示そう。

It's the answer that -- that led those who've been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day. It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America

これを訳すとこんな感じだろうか。

「またそれは、ずいぶんと長い間、ずいぶんと多くの人に、歴史が描く円弧を自身の手でしっかりとつかみ、それをもう一度より良い明日の方向へ曲げるには、やれシニカルになっている、やれ恐怖心で、そしてさらには猜疑心でいっぱになっていると言われてきた人びとが出した答なのです。この答がでるまでに、ほんとうにずいぶんと長い時間がかかりました。しかし、今夜、私たちが今日行ったことによって、この選挙によって、そしていまこの決定的瞬間に、変化のとき、それがアメリカにやってきたのです」。

さて、この訳を読むと、「歴史の円弧を自身の手で…」の部分、さっぱり意味が通じないはずだ。なかには、これを「手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために」と訳しているところもあるが、正直言ってこれではこの一節が持つ重みがまったく伝わらない。

オバマは、3行目で "once more"と言っています。直訳は「もう一度」。さてでは最初の一回はいつのことだったのでしょう? 少し日本の新聞の訳をみたが、全部不正解です、まったくわかっていません。先に紹介した訳は、ここをまったく無視しています(さらにこの訳は、「あれはできないこれはできないと言われてきました」と訳していますが、そんなこと彼は全然言っていませんよ、achieve anything とは言ってないじゃないですか?、政治行動に関してだけここは述べているのです、その内実がわからないのでごまかそうとしていますね、この訳は)。

では、今回が"once more "ならば、前回はいつだったのでしょうか?

答え:公民権運動のときです。

なぜか、なぜそう言えるのか

それは、その直前にある"arc of history"という言葉があるからそう言えるのです。

人類の営為=歴史を天空を描くアーチに喩えることは、実はマーティン・ルーサー・キングが十八番としたものだった。彼は"bend"という動詞も使ってよくこう述べていた

The arc of the universe is long, but it bends towad justice。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのだ」

さてよく考えるとこの比喩はおかしい。だからすこしピンぼけな感じがする。比喩が懐にポンと落ちない。

おかしいのは、「天空の弧」の中心には「地球にいる人間」が立ち、それを「中心」にして宇宙の秩序が説明づけされているからだ。現代のわたしたちはこんな天空の描き方はしない。これは「天動説」なのである。

それもそのはず、この文言を最初に述べた人は、中世の神学者、アウグスティヌスである。彼の思想を現代の政治に持ち込んだのは、神学博士であるキングの解釈があってのことだ。

「あのねぇ、学者先生、それはあんたの深読みでしょ」、そう述べたい人がいるかもしれない。だから少し念を押しておこう。

ちがいますよ、オバマははっきりとキングの演説を意識しています。意識している証拠があります。

1966年投票権法の期限延長法案が連邦議会上院で討議されたとき、彼は、キングが行ったこの演説(それは投票権法の可決を迫るセルマ=モントゴメリー行進の最後の集会──公民権運動史上、主要黒人団体が最後の団結を示した行進──で述べられたもの)をはっきりと出典を明示して議場で、こう演説している。

Two weeks after the first march was turned back, Dr. King told a gathering of organizers and activists and community members that they should not despair because the arc of the moral universe is long, but it bends towards justice. That's because of the work that each of us do to bend it towards justice. It's because of people like John Lewis and Fannie Lou Hamer and Coretta Scott King and Rosa Parks, all the giants upon whose shoulders we stand that we are the beneficiaries of that arc bending towards justice.

「(セルマ=モントゴメリー行進の)最初のデモ隊が撤退させられたあと、キング博士はオーガナイザーと活動家、そしてコミュニティの人びとに対してこう述べました。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのです、だから悲嘆に暮れるべきではないのです」と。そうなるのも、わたしたち一人ひとりが、天空の弧を正義の方向に向かうように行動しているからです。ジョン・ルイス、ファニー・ルー・ヘイマー、コレッタ・スコット・キング、ローザ・パークス、その他もろもろ偉大な人びとの存在があってこそ弧は正義へと向かい、そんな彼ら彼女らの偉業のうえにわれわれは立っています。われわれは、弧が正義へと向かい始めたことの受益者なのです」。

つまり、1966年にははっきりとしていた天空の円弧の方向は、その後一度見えなくなり、2008年11月に再度そもそも向かっていた方向に「曲げられた」のだ、そう彼は述べたいるのだ。

ここの意味の重層性、強烈である。

その次の箇所はこれに比べるとそれほど重くはないが、それでもその時間感覚の表現は絶妙だ。

時制を少し変え、語句を抜き去れば、ここにこんなフレーズが見えてくる。

It's been a long time coming but , , , change has come. . .

こうすれば、リズム&ブルースの好きな人は、すぐにピンと来るでしょう。そうです、サム・クックの名曲、「ア・チェンジ・ゴナ・カム」の歌詞をもじっているのです。この曲は、映画『マルコムX』のなかで、マルコムXが煩悶の末にネイション・オヴ・イスラームを脱会することを決断するシーンで流れる曲でもある。

公民権法が成立した1964年(サム・クックが殺害される年)、クックはこう歌った。

It's been a long, long time coming, but I know, ou, ou, ou, a change's gonna come

ここでのポイントは時制にある。クックが近接未来形を用いた箇所で、オバマは大胆に現在完了・完了形を用いている。1964年公民権法が約束した変化の到来を、44年後に宣言したのだ。

なお、右のCDは、1990年代になって発売されたベスト盤だが、これに収録されている「ア・チェンジ・ゴナ・カム」は、公民権運動の歴史に少しでも関心があるものには必聴のものだ。64年に発売されたシングル盤にはない歌詞が入っているものが収録されていて、その「発掘された」歌詞の部分は、明らかに公民権法成立によって到来した新しい秩序のことを歌っているのである。

しかし、ほんとうにほんとうに実に長い時間だった。

さらにオバマの才覚。キングの演説(YouTubeのリンクを参照)では、"How long, not long”というフレーズが繰り返されている。ブラックパワー宣言が行われ、ロサンゼルス・ワッツ地区では大規模な人種暴動が勃発した1966年の夏、キングは、たちこめる暗雲(と催涙弾のガス)を振り払うかのように、夢が現実となる日まで「長くはない」と断言していた。黒人のキリスト教の伝統のコール・アンド・レスポンスを駆使しつつも、自分で自分に言い聞かせるかのように何度も何度ももそう述べていた。

そう、今回解説している箇所の前半部と後半部は、時間の表現、long によってつなげられているのだ。わかりやすく翻案すると、オバマはこう言っているのである。

「キング博士、あなたは長くはかからないとおっしゃいましたが、実際のところ長くなってしまいました。その間、人びとはシニカルになり、怖れを抱き、猜疑心でいっぱいになっていったのです。でも、それも終わりです、今夜、変化が来たのです、ご安心ください」。

さて、よく英語を聴いて欲しい。中学2年で習う文法が実に巧妙に使われている。クックの近接未来 is gonna come (is going to come) が、オバマでは現在完了 has come になっている。まだ現実でない(近接未来)の実現が完了したのだ。

これは、おそろしく大胆な宣言だ。

こうやってみると、オバマの演説の bottom line にはいつも「アメリカ黒人の経験」が存在しているのがわかるだろう。彼の演説の妙は、それを明示することで黒人の経験の特殊性を主張したりはせず、敢えて比喩や引用にとどめることによって人類普遍の経験を喚起しているところにある。

オバマの雄弁さは、ヒラリー・クリントンとの「死闘」を通じて、一般に知られるようになった。しかし8月の民主党大会の指名受諾演説(それまでの演説を繰り返しただけの間延びした退屈なもの)にがっかりした人は多い。それによって彼が旬だった時期はもう去ってしまったと思った向きも多い。

それゆえ、11月5日未明、わたしはオバマの演説に期待するとともに不安も感じていた。しかし、おそらくいまとなってははっきりとは思い出せないが、この辺りから、「今夜はちがう」と感じ始めたと思う。Tell like it is!、おそらくそう実際に叫んでいた。

ところで、クックの歌い方とオバマの話し方にはかなりの差異がある。クックの歌い方は、ジェシー・ジャクソンらの黒人教会が育んだ黒人指導層の話し方に近い。そう考えると、さまざまな意味をコラージュさせていくオバマの手法はヒップホップ的と形容してもいいかもしれない。

続く

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2008年12月14日 12:56に投稿されたエントリーのページです。

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