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2005年03月 アーカイブ

2005年03月11日

黒人兵の率が急低下

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2000年度には23.5%に達していた軍隊新兵のなかのアフリカン・アメリカンの比率が、今年度は14%までに低下した。

全人口に占めるアフリカン・アメリカンの比率が12.3%だから、ほぼアメリカの人口構成と等しいまでに下がったことになる。

しかし、80%に近い減少率、これは重大なことを物語っている。

この数値を報道した『ワシントン・ポスト』紙は、アフリカン・アメリカンのイラク戦争支持率が白人に比すと著しく低いことを、その理由のひとつとして指摘している。事実、ブッシュ再選に投票した黒人は11%しかいない。

イラク戦争がここまで長引くことで、アメリカ史上初の事態が起きることになった。徴兵制がひかれずに長期の戦争に突入するのは、この戦争が初めてなのである。

そう考えると、コンドリーザ・ライス、ブッシュ双方が欧州との関係回復をまず最初に目指したのには、「この戦争はアメリカ一国では勝てない」という認識が強まったことを表しているのかもしれない。

いずれにせよ、黒人兵の減少は、黒人がイラク戦争を支持していないことを表す、これはまちがいないだろう。

2005年03月15日

ビギーの命日に…

20050315biggie.jpg2月28日のことになるが、世界でもっともホットなヒップ・ホップ局、ニューヨークのHot 97で銃撃戦があった。

ロサンゼルスのサウスセントラル地区コンプトン(映画Menace II Societyがモデルとした黒人ゲトー)出身で、全米に名を馳せているギャング、Cripsのメンバー(Snoopy Doggy Doggもかつてはメンバーだった)だった50 Centが、ニューヨークのブルックリン・ベットフォード・スタイヴザント地区(スパイク・リーの数多くの映画のモデルとなっている地区)でドラッグ売人だった経験をもつthe Gameを、同局放送のインタービューで酷評した。それに怒ったthe GameのガードマンのひとりがHot 97に殴り込み。待ち受けていた50 Centのガードマンたちから銃撃される。

その後、今度は、50 Centのエージェントに銃弾が撃ち込まれる事件が起きた。

ニューヨーク地方紙はRap War Broke Out!などとセンセーショナルな見出しで大々的にこれを報道した。

すくなくとも過去10年間、ヒップホップシーンを追いかけているものならば、ここで思い出すことがあるだろう。コンプトン対ブルックリン、ともに若くて将来が期待されるラップシンガーの暴力的対立。7年前にラスベガスで殺害された2Pacと、8年前にロサンゼルスで殺害されたBiggie(Notorious B.I.G.)のあいだの対立である。

実際、多くの新聞がこの過去に言及していたし、それゆえに、両者のあいだの休戦と和解のために動いた牧師(アル・シャープトン)もいる。右の写真は、そのような努力あって、和解を宣言したときの2名の姿である。彼らは、この事件の「反省」として、ハーレムのコミュニティに寄付をすることにしたと『ニューヨーク・タイムス』は告げている。

この事件に限らず、ラップのアクトには「暴力」が何かと取りざたされている。昨年のSource Awardでは、Dr. Dreがステージ上で殴打されるという事件があったばかりでもある。確かにギャングスタ・ラップは暴力を賞揚しさえしている。2Pacが流行させたことばThugh Lifeは、敢えて日本語に訳すならば「極道」ということになるだろう。

しかし、カントリー・ウェスタンだって、「暴力」と無縁ではない(映画『ブルース・ブラザース』ーー古典ですね、しかしーーを観ればよくわかる)。ただ違うところは、ヒップホップの場合、あめりにも多くの若い「タレント」が、傷ついてしまったということだ。

50 Cent と the Game の「和解」は、Biggieの8周忌の日に行われた。偶然であっただろうが、「極道」の「先輩」を、この2名も忘れてはいなかった。とにもかくにも、今回の事件、地元のメディアは大騒ぎしたが、1名が怪我をしただけですんだということを喜びたい。

Biggie、Big Poppaは天国でどう思っているだろうか…。

(この問題に関しては、6月にきちんとまとめたかたちで「論文」にする予定であった。その素材であるために触れるのを避けていたが、この事件があまりに大きな余波を引き起こしただけに、今日こうして簡単に紹介することにした。「論文」は、でき次第、http://www.fujinaga.org/に掲載したい)。

2005年03月16日

ムフーメ、連邦上院議員に立候補へ

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このブログではこれまで幾度か登場してきている元NAACP会長のクウェイシ・ムフーメが、ボルチモア州から、2006年の連邦上院議員に立候補することを表明した。

彼は、NAACPの会長になる前には、同州の連邦下院議員の職を務めていたし、黒人連邦議会議員連盟の会長を務めたこともある。

しかし、この度は、状況が大きく違う。

下院議員は州を細分化した小選挙区をつくり、議員を州の人口に比例して割り当てる方式をとっている。したがって、その有権者の姿は、たとえば「都市部」だとか、たとえば「農村部」だとか、極めて同質性が高いものになる。事実、ムフーメは、都市部のボルチモアから選出されていた。

都市部でのマジョリティは、現在、アフリカン・アメリカンとラティーノよりなる。したがって、アフリカン・アメリカンが議員になれる確率は、アメリカの居住区が現在のように「人種」によって分断されているかぎり、極めて高いことになる。

ところが上院は州全体がひとつの選挙区である。アフリカン・アメリカンは、アメリカのどの州にあっても、マイノリティだ。したがって、上院議員選挙に勝つためには、人種の壁を越えた連帯をつくりだすことが必要不可欠だ。より明確に言えば、白人票を取らなければ、選挙に勝利できないのである。

今のところ、南北戦争直後に上院議員が「指名」されていた一時期を除き、この職に黒人が当選した前例はない。

報道によると、ムフーメの「根回し」は順調に進んでいるらしい。2006年が楽しくもあり、心配でもある。

ビギー殺害事件捜査終了

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Biggie Smalls (aka. Notorious B.I.G)の殺害に関する捜査の終了を、FBIが公式に発表した。

これで、Tupac殺害事件もBiggieのそれも、ともに「迷宮入り」してしまった。

アメリカの刑事事件は、突然捜査が再開されることがあるので、これによって将来を断定することはできない。が、それでも、彼らが「なぜ」死んだのか、は、とりあえず誰にもほんとうのところがわからなくなってしまった。

なお、Biggieの母親は、ロサンゼルス市警の警官で、同地のギャングと親密な関係を持っていたことが判明し刑事訴追されている人物を、Biggieの殺害に関与しているとして民事裁判にて補償を求めている。

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