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投票権法制定の功労者逝去

&t20070608jim_clark.jpg6月7日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙は、1965年に可決され、黒人の投票権を連邦政府が保障することで南部、ひいてはアメリカ政治の近く変動を起こした投票権法制定にあたり、多大な功績を成した人物が逝去したと、いささか斜に構えた訃報を掲載した。亡くなった人物は、アラバマ州セルマのジム・クラーク保安官(当時)。一般的に彼は白人優越主義者で、公民権運動家を人間とは思わず、凄まじい暴力を奮った人物としてしられている。私が「斜に構えた訃報」という所以はここにある。

しかしながら、ジム・クラークに対する評価として、これはかなり広く言われているものでもある。私が知っているかぎりでは、64年公民権法制定にあたって、公民権活動家に警察犬をけしかけたり、高圧放水を浴びせたりで対抗した同じく白人優越主義者の警察署長、バーミングハム市のブル・コナーに対して、「公民権法制定の功労者」という形容をしたのはロバート・ケネディであり、『ニューヨーク・タイムズ』の記事はその変奏にあたる。

では実際、ジム・クラークは何をしたのだろうか。もっとも有名なのは、1965年3月7日、投票権法制定を求めてセルマからモントゴメリーまでの行進を開始した公民権運動家を強力で弾圧したことであろう。この事件は、「血の日曜日事件」として知られている。この事件の報道が全国ネットで流されていたとき、あるネットワーク局は、ニュンルンベルグにおけるナチス戦犯の裁判の記録映画を放送していた。もちろん、その映画にはナチによるユダヤ人虐殺の模様も含まれている。ところが、セルマでの激しい衝突が起きたために局はこの放映を一部中断し、南部からの映像を伝えた。そうして、ナチに匹敵しかけない残虐性がアメリカ南部に存在しているということが、その局の意図ではなくても、一般視聴者に伝わっていった。(「血の日曜日事件」以前、実際に彼は、牧師で公民権運動家のC・T・ヴィヴィアンに「ヒトラー」と罵られてカッとして、ヴィヴィアン師を殴打、手の甲の骨を骨折したこともあった)。

公民権運動家(そのなかにはキング牧師も含まれる)は、そこで、全米に向かって「良心への訴え」というコールを発表し、セルマ=モントゴメリー間の行進を再度実行に移すので、それに参加するように呼びかけた。このような運動の盛り上がり、そして公民権運動に対するシンパシーの高まりを受け、リンドン・ジョンソン大統領は、当初は彼の政策日程にはまったくなかった新公民権法(投票権法)の議会上程を決意する。テレビで放送された演説で法案の趣旨説明を行ったジョンソン大統領は、演説の最後を公民権運動のスローガン、「我ら打ち勝たん」 We Shall Overcome" Martin Luther King - The Wisdom of Martin Luther King - We Shall Overcome で締め括った。それを観ていたキング牧師の頬には涙がつたったと言われている。このような劇的な運動に関し、キングの伝記でピュリッツァー賞を受賞することになる公民権運動史家デイヴィッド・ギャローは、「公民権運動中もっとも統率がとれ、もっとも効果的だったものだった」と評価している。

この投票権法によって、セルマでは公選の職である保安官だったクラークの「政治生命」は絶たれた。黒人有権者数の急増の結果、1966年の選挙で落選すると、可動式住宅(映画『8マイルズ』でエミネムが住んでいるキャンピングカー式の住宅)のセールスマンとなり、1978年にはマリファナを販売したとして逮捕され9か月の懲役に服さねばならなくなった。裕福や幸福さからはほど遠い生活を送っていくことになったことが、ここからは窺える。

60年代当時、ジム・クラークのような人物は決して少なくはなかった。例えば、アラバマ州知事であったジョージ・ウォーレスも、セルマに運動家弾圧のために州兵を派遣する決定をくだしていた。ところが、その後のウォーレスが良心の呵責にさいなまれ、「血の日曜日事件」の時に頭蓋骨骨折の重傷を負った活動家で現在は連邦下院議員(ジョージア州選出)をしているジョン・ルイスなどを自らの自宅に招待し、公式に謝罪し赦しを請うたのに対し、クラークはまったく変化しなかった。昨年、アラバマの地方紙のインタビューに答え、彼は、当時の場面にいまもう一度立ったとしても「基本的にまったく同じ命令をくだす」と明言している。

ジム・クラーク、享年84歳。彼のような人物のことを英語では unreconstructed と形容するが、そのような人物が逝去した。過去に残虐な行為を犯しておきながら、「敗北」が決まるとその途端、そのような行為への加担を否定したり言い訳をしたりするものは多い。ウォーレスのように改心するもの、クラークのように頑迷さを突き進むもの、それらよりかかる類型の人物の方がおそらくは多数であろう。例えば、日本が行ったアジアへの侵略行為、それとまともに立ち向かわず、政治的情況次第で発言を変える人間は老若を問わず現在激増中である。またリベラル派の respectable な政権を含めて、アジア太平洋戦争で日本の民間人を標的にした空爆や原爆投下を謝罪した大統領はいない。それを考えると、彼の死は、どこか寂しい感じすら受ける。

そう言えば、マルコムXは言っていた。白人優越主義者は批判しつつ己の人種主義的行為は顧みない北部のリベラルの偽善より、南部白人優越主義者の頑迷さの方が、実直さという面において道義上優れている、と。

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2007年06月08日 00:06に投稿されたエントリーのページです。

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