4-4 You Send Me (Part 1)

赤字は重要ポイント、青字はリンク
2002318日脱稿

今回は前半でうんちくを述べ、後半で感覚に訴えます!。

(1) アメリカ社会から排除され、差別されているものすべてが、反米的になるとはかぎらない

歌うサム・クックの姿さてこれまでの経緯が示している通り、サム・クックやJ・W・アレグザンダーといった人物は、黒人音楽を商品として売り出すアメリカのエンターテイメント業界に対しエンターテイメント業界は腐敗しているだの、黒人アーティストを非情に搾取しているだの、業界を否定する方法で接したわけではありません。むしろ、業界の懐深く飛び込み、そこで業界を変質させることを選びました。アメリカ社会から排除され、差別されても、すぐにそれが反米的行動をひきだすとはかぎらないのです。右の青年は、どうみても、社会に怒りを抱えた若者ではなく、「(黒顔の)美青年」です。

この文化現象を語るのに適切な議論の枠組みを提示してくれているのが、このシリーズの冒頭で述べたアントニオ・グラムシのヘゲモニー論です。レコード産業を含むアメリカの資本主義経済秩序は、黒人の首に縄をつけて、指図に従わなければムチで打つという露骨な搾取をしたのではない。音楽業界で「一旗あげよう」という、被抑圧者の自発的同意があって、R&Bはヒットしたのです。反米的になって、メインストリームの文化の外側に、自分たちだけの住処(ニッチ)を築くことは簡単にできます−−多々あるカルト集団を考えてみてください。しかしそれではそのニッチが究極的には拠り立っている文化構造を変化させるには至らないのです。ニッチは社会変革を起こさない。むしろ社会との懸隔を保ち、互いが干渉しないことによって成立し、維持される。

しかし、アラン・フリードやロックンロールに関する反発に簡単にみてとれるように、黒人のリズム&ブルーズの影響を強く受けたこの時代のポップ・ソングの流行は、権力にとって脅威となり、権力のヘゲモニーを激しく揺さぶるに至りました。自発的合意はつねに対抗勢力を形成するモメントに接しているのです。ここできわめて重要なことは、時代の諸情況−−政治的、経済的、社会的、敢えて加えれば文化的−−からなるメタ構造(諸情況を包括的に規定する構造)が、つねにヘゲモニーとそれからなる権力関係や権力構造に影響を与え、ゆえに関係や構造が固定化され安定することなどない、ということ。

そしてその実、この「黒いアイドル」はアメリカ音楽の色を変えていくことになるのです−−ニッチに逃げ込むことをしなかったので。もしそうしたならば、彼は結局インディレーベル所属のマイナーなアーティストとして、ポストモダンの今日やっと評価されているようになったでしょう。

サム・クックの「ユー・センド・ミー」がポップチャートでナンバー1になった1957年は、アラバマ州モントゴメリーでのバス・ボイコットが勝利、その過程でマーティン・ルーサー・キング博士が若き黒人指導者(当時まだ28歳!)として頭角を現し、アメリカでのテレビ普及率が80%に達し、そのテレビでディック・クラークの「アメリカン・バンド・スタンド」が全米ネットで放送され始めた年と同じなのです。曲がヒットしたとあっては、ヒット曲の「オンパレード」を特徴とする「アメリカン・バンド・スタンド」も彼を無視することはできず、「(黒顔の)美青年」の姿は全米ネットのテレビに登場したのです。「ずっこけロック」の世界に「本物の」(authenticな)R&Bが表玄関から入ってきたのでした[1]

(2) では数々のバージョンがある「ユー・センド・ミー」を聞き較べしましょう。

・最初のものは、マイナー・レーベル、Keenから出されたもののデジタルリマスター。
・2番目のものは、Keenでのこの曲に目をつけた大手レーベルRCAが発売したもの。ここで音響効果=エンジニアリングの点で明らかに繊細な技巧が施されているのがわかると思います。これはインディでは無理だったことです。
・3番目は、1968年、アレサ・フランクリンのカバー

さて、ここでそれぞれ感想をため置いてください。1番目と2番目はマイナーとメジャーでの音質の差異を示すためにアップロードしました(ちょっとマニアックにいきました、差異はヘッドフォンで聴いてかすかにわかります、ひょっとするとこれはRCAのエンジニアリングではなく、CDへデジタル化するときに生じた音の温度の違いかも知れません)。

問題は2番目と3番目。ここには、フランスのポスト構造主義者、ジャック・デリダが言う散種=disseminationと呼ばれる現象が絡んできます。それを理解するための補助線として、以下の「ユー・センド・ミー」の歌詞の意味を考えてみてください。時代情況について、クックのヒットのときはこれまで述べてきたものですが、アレサのものに関し補足しておきます。この年はキング博士が暗殺され、全米の都市で大規模な暴動が起きた年、テト攻勢と呼ばれる南ベトナム民族解放戦線と北ベトナムの攻撃によって、ベトナムでのアメリカの勝利が難しいと考えられた年、アメリカを代表するエリート校、コロンビア大学で大学紛争があった年です。歌詞の意味、注釈は次回に行います。それがより有意義なものになるため、まずは各々、自分なりの解釈を考えてみてください。ひょっとするとわたしの読みは単なる学者の深読みかもしれませんので…。ちょっとわたしの視点のひとつを紹介すると、アレサ・フランクリンは女性ということです。彼女が意味の決定不可能性をもちこみ、そこから散種が始まります(←この文の意味も次回に詳述します)。

You Send Me

Darling, you send me
I know you send me
Darling, you send me
Honest you do, honest you do, honest you

Darling, you thrill me
I Know you you you you thrill me
Dariling, you you you you thirill me
Honest you do

At first, I thought it was infatuation
But ooh, it's lasted so long
Now I find myself wanting
To marry you and take you home

Oh, you you you you send me
I know you send me
I know you send me
Honest you do

Oh, whenever I'm with you
I know, I know, I know
When I'm near you, mm, hm, mm, hm
Honest you do, honest you do
Oh oh I know
I know, I know, I know
When you hold me
Oh whenever you kiss me
Mm hm mm hm honest you do

【注】
[1] ここでおやと思われた方がいらっしゃるかも知れません、レイ・チャールズはどうなのだ!、と。レイ・チャールズの場合も、今度は別の情況が彼のポップ界でのヒットを助けました。彼のヒットはアメリカの音楽家の労働組合が長期のストライキ−−50年代から60年代にかけて、アメリカの労組は一大政治勢力でした−−に入っていたときと重なっています。つまり彼はまずは最初に「スト破り」として使われたのでした。つまりこう考えるといいでしょう。彼のメインストリームへの登場が「間隙を突」き突破口を開いたものだとすれば、クックはその突破口から堂々とメインストリームに登場してきたのです。[本文に戻る]

[2]散種= dissemination
極めて簡単に説明すると、言葉の意味が、本来の意図を離れ、まったく別のものへ解釈されていくこと。[本文に戻る]

前のページ

インデックスへ

参考文献一覧
検索サイトから直接訪問された方へ